第12話 じゃあ、今日はもう帰る
教室内に出来た大きな人の渦二つを遠目に見ながら、俺は自席でため息を吐いていた。
希蝶と出雲はどちらも凄まじい人気ぶりだ。国民的アイドルでも紛れ込んだのかというほど人が群がっている。いや、これは決して誇張表現ではなく、本当にとんでもなく人が集まっている。
なにせ、自分の席に座っているのは俺の他数人程度で、後の生徒は全員二人のどちらかの周りにいるのだ。
ついでに教室の外では、他クラスの生徒がすし詰め状態になっていて、さながら満員電車の様相を呈している。
「いくらなんでも人気過ぎでは……?」
彼女らの奇行と、自作漫画のヒロインであるというイメージが先行しているせいなのか、俺は彼女らのことを正当に評価できていないのかもしれない。
二人は容姿だけなら一級品なんだ。容姿以外の欠点が多すぎるだけで、同級生としてちょっと距離を置いて見ている分なら美味しい所だけを味わえるんだ。
俺だって何も知らない普通の生徒だったなら、今頃彼女らを取り囲む人混みの一員だっただろう。
……俺が人の集団に馴染めるわけはないから、それはないか。
「はぁ……まあ、過ぎたことを考えても仕方ないか。俺だって高校入学を機にいきなり周りに馴染めるようになるとは思ってなかったし……」
自分にそう言い聞かせ、高校生活のスタートダッシュを諦めることにする。三年間かけて、誰か一人でもいいから気軽に話ができる友達を作ろう。それができたら万々歳だ。
それよりも、今気にするべきことは転校生の方だ。一体どんな奴が来るのか、未だに思い出せない。
さっきからずっと記憶をほじくり返しているのだが、人間の脳は忘れたいものは忘れてくれないし、思い出したいことは思い出してくれないものだ。そう都合よく記憶の出し入れなんてできるはずがない。
「あの三人が登場した後も、ヒロインを追加していった記憶はあるんだが……」
三人と同様、顔を見れば思い出す可能性は高い。しかし顔を見てからでは遅いような気もする。
それ以前に心の準備というか、一応こっちにも都合ってものがあるんだ。非常識な同居人が次から次へと現れると色々困る。
実の姉が登場した以上、もう何が出てきてもおかしくないからな。幽霊とか、人工知能とか、宇宙人とか、そんなブッ飛んだ奴らが出てきてもおかしくない。
というか俺の記憶では、確かそんな奴らもいた。ただ、それがこのタイミングで登場するのかどうかは定かではない。
あの三人だけでも手を焼いてるってのに、もう手に負えないレベルの奴が出て来たらどうしよう。出会った直後に膝蹴りされたトラウマのせいか、転校生に対する不安が際限なく膨らんでいく。
しかし消えた漫画の残り部分を探し出すためには、こうして次々に起こる漫画の展開にとりあえず従っておくしかない。犯人に繋がる証拠が何もない以上はそれ以外にできることなんて何もない。
「────はーい、皆さん席についてくださーい」
どうやら教師が入ってきたようだ。人の壁の向こうから明るい女性の声が聞こえてくる。生徒たちはその声に素直に従い、出雲や希蝶の周りから離れてそれぞれ自席へと向かう。
「……は?」
そうすることで、人の壁が無くなり、ようやく入室して来た教師の顔が見えるようになったわけだが……。
「国語担当の眞貝優里です。今日は担任の宮部先生がお休みなので、先生が代わりにホームルームをしますね」
当たり前のように、スーツを着た優里が教壇に立っていた。
「な……え?」
落ち着け。落ち着くんだ俺。叫びたい気持ちを抑えろ。ここで大声なんか出したらクラスの皆から白い目で見られるぞ。
「あ、宗ちゃん! 今日はちゃんと学校に来てくれたのね。お姉ちゃん嬉しいわ」
「お前が触れてくるのかよ⁉」
あーあ、ついに叫んでしまった。クラス中から困惑の視線が向けられているのがわかる。もう嫌だ。早く帰りたい。
「おっと、ごめんなさい。今は先生だったわね。ちゃんとお仕事に集中しなくちゃ」
優里はコホンと一つ咳ばらいを入れ、俺に向けられていた視線を引き戻す。
「先生は非常勤だから、こんな風に担任の先生みたいなことをするなんて滅多にないとは思うけど、皆と仲良くしていけたらなと思ってます。これから、どうぞよろしくお願いしますね」
良い感じの挨拶をするも、それでさっきの失言は取り返せない。皆の顔には「お姉ちゃんってどういうこと?」という疑問が貼り付いている。
ついでに俺の方を見て「こんな奴いたっけ?」とでも言いたげな顔をしている奴も大勢いる。そんな疑問を抱くのは至極当然だ。とても正しい。ただ俺としては頼むから勘弁してほしい。
「それじゃあ、さっそく転校生の紹介をするわね。まだ入学したてのこの時期なんてちょっと変わってるけど、皆仲良くしてあげてね」
優里がそう言うと、タイミングを合わせたように教室の扉がガラリと開いて一人の女子生徒が入って来た。
おかっぱ頭の小柄な少女だ。瞼は退屈そうに半分ほど閉じられていて、教壇の前に立っても無表情のまま。
転校生などと言うから、それなりに緊張した面持ちで入ってくるかと思えばそんなことはなく、一切何の感情も持っていないかのように佇んでいた。
「自己紹介をお願い」
「
少女は淡々と名を名乗り、それ以降何も喋らなくなった。その沈黙に耐え切れなくなったかのように、教室のあちこちからざわざわと声が広がり出す。
こんな特徴的な人物だ。やはりこれは漫画の展開通りなんだろうと思う。しかしどうしよう……全く思い出せない。1ミリたりとも心当たりがない。あんなヒロイン描いたっけ……?
漫画を描き始めたのは中学一年の頃。古くとも三年前のことだ。記憶を消し去るには時間が足りない。いくら忘れようとしていたって、本人が目の前に現れてしまえば思い出さざるを得ないはずなんだ。
なのに彼女のことは何も思い出せない。本当に何も。薄っすらとした心当たりすら湧いてこない。
俺がひたすら困惑していると、教室中をグルリと見回していた彼女と目が合う。彼女はそのまま席の合間を縫って歩いてきて、俺の目の前で止まった。
「これからよろしく。眞貝宗作」
「え、あ、うん……」
差し出された手を俺は反射的に握り返す。まだ名乗ってもいない俺の名前を知っていること、他にも生徒は大勢いるのになぜか最後列に座る俺に挨拶をしてきたこと。
以上のことから、こいつはやっぱりただの転校生なんかじゃない。あの三人と同様に漫画の中の登場人物だと確信した。
「じゃあ、今日はもう帰る」
役目は果たしたとでも言わんばかりに、彼女は踵を返して教室を出て行った。
「えぇ……」
ひょっとしたら、こいつはあの三人よりも厄介な相手かもしれない。彼女の異次元なマイペースさを見て、俺はそんな予感を抱くのだった。
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