第11話 おはっ

「あんた、何してんの?」


 学校の正門前に辿り着いた俺は、その脇にある茂みに身を潜めていた。


「いつどこから現れるかわからないんだ。今この瞬間にも背後に迫ってるかもしれないと思うと……」

「何の話? 誰かに暗殺でもされんの?」

「転校生だよ。さっき言ってたじゃないか」

「なおさら意味がわからないんだけど。なんで転校生が来るとそんなにコソコソ隠れなきゃいけなくなんの?」

「転校生がお前らと同じ漫画の登場人物なら、俺としては会いたくないんだ」


 俺の妄想を惜しげもなく詰め込んだヒロインたちが現実に現れるというのは、聞くだけなら夢のような話に思うかもしれないが、実際のところは生き恥が具現化して追いかけ回してくるようなものだ。

 サッサと忘れたかった記憶が実体になって迫って来るんだから、気分の良いものであるはずがない。


「…………は? 漫画? 何言ってんの?」


 出雲は呆れたようにため息を吐く。


 昨日から薄々察してはいたことだが、彼女らは自分たちのことを漫画の登場人物だなんて認識していない。

 多分そうだろうと思っていたから本人たちには言わないようにしていたのだが、今はちょっと口が滑った。


「ともかく、考えてもみろ。この時期に転校生だぞ? 変人であることは間違いないじゃないか」

「それは、そうかもしれないけど、だからってそんなコソコソする意味なくない?」


 今回ばかりは出雲の言い分が正しい。ビクビクしすぎている俺が間違っていることなんて百も承知だ。でも怖いものは怖いんだから仕方ないじゃないか。


「あれ? そういえば希蝶はどうした?」


 さっきから姿が見えないな。ここには茂みに全身どっぷり浸かっている俺と、それをジト目で見つめる出雲しかいない。


「あの子なら男子を大勢侍らせてどこかへ消えたけど」

「侍らせてって……お嬢様かよ。あ、お嬢様だったか」


 希蝶については学校のマドンナ的な設定をしていた気がする。彼女の周りには常に複数の男子生徒が居て、代わる代わるアプローチをかけている。本気で相手にする気のない彼女は適当にあしらうのだが、それでも人気は全く衰えず、取り巻きは日に日に増えるばかり……といった具合だったか。


 どうやらその設定通り、希蝶は人気者になったようだな。実際、普通の高校に居てはいけない次元の美少女であることは間違いないので、モテまくるのは既定路線ではあるが。


「そんなことより、早く出て来なって。他の人に見られたら恥ずかしいよ?」


 確かに。こんなところを見られでもしたら、俺の高校生活はスタートダッシュどころか、思いっきり逆走する羽目になる。


「仕方ない。ここは腹を括るか」


 どう足掻いても遅かれ早かれ、同じクラスに来るのであれば転校生とは絶対に顔を合わせることになる。


 あの漫画のヒロインはなんやかんやで全員うちの家に住み着くことになるはずなので、その転校生も例外ではないということだ。

 クソ……せめてどんな奴が登場するのかだけでも事前にわかれば心の準備ができるというのに、そのページは消えたままだし、記憶にも残っていない。


 どうせ対策のしようもないというのなら、もうあまり考えない方がいいだろう。そんなことより俺には悩むべきことがある。一日遅れの初登校。この遅れをどうやって取り戻すのかという重大極まる問題だ。


「昨日、クラスの雰囲気はどうだった?」


 俺は茂みから這い出ながら、出雲に入学式当日の様子を尋ねる。


「雰囲気? うーん、すごく賑やかだったけど?」

「初日からそんなに盛り上がってたのか?」

「うん、皆メチャクチャ話しかけてきたし」

「へぇ……」


 普通初日はお互いの距離感をまだ掴めず、同じ中学の連中とヒソヒソ話し合うぐらいで終えるものじゃないのか? 初っ端からそんなガツガツ飛ばしていっていいものなのか?


「だから別に心配いらないと思うけどなぁ。一日休んだくらいで、クラスに溶け込めなくなることなんてないと思うけど」

「ぐっ……なんで、俺が悩んでることがわかるんだよ。口に出してたか?」

「いや、見てればわかるでしょ。ずっとおどおどしてるんだもん。ああ、クラスの皆と仲良くできるか心配だなぁって、顔に書いてあるし」

「うぐっ」


 俺は慌てて、両手で顔を拭い取る。本当に何か書いてあるわけではないのでこんなことをしても意味はないが、つい反射的にやってしまった。


「もうちょっと自信持った方がいいよ? もじもじしてると不細工に見えるから」

「そんなの、一朝一夕でどうにかなるものじゃないだろ……」

「そうだけど、意識しないと変わらないでしょ」


 出雲がまともなことばかり言ってきやがる。素直に聞いてやるのは癪だが、間違ったことを言っているわけではないので反論のしようもない。


「うぅ……もう帰りたくなってきた」

「シャキッとして。大丈夫、皆向こうから話しかけてくれるから」


 出雲にここまで励まされてしまえば、俺も弱気ではいられない。どうせもう、昨日登校できなかった時点で大失敗してるんだ。

 今さら恐れるものなんて何もない。当たって砕けるつもりでいけば、案外どうにかなるかもしれん。


「よし、じゃあ行くか!」


 覚悟を決め、俺たちは教室へと向かう。扉の前で大きく息を吸い、そして吐く。この扉を開ければ、俺の高校生活がスタートすることになる。

 第一印象は極めて大事だ。入室しての第一声で今後の三年間の行く末がほとんど決まると言っても過言ではない。


 ここで躊躇えば、いつまで経っても踏み込めない。俺は半ば勢いに任せるようにして、教室の扉を開け放った。


「おはっ────」

「────松江さん! おはよう!」

「出雲ちゃん! 今日の放課後なんだけど……」

「松江さん、昨日のドラマ見た? あのラストシーンが……」

「あ、あれ、髪型変えた? 今日も可愛いねぇ」


 俺は教室に入ったと思ったのだが、気づけば廊下に弾き出されていた。ヌーの大群を思わせるような集団が教室の入口に殺到しており、その突進に巻き込まれたのだ。


「うん? ああ、はいはい、それあるよね~あるある」


 その群の中心にいるのは、俺と一緒に入室したはずの出雲だ。

 なるほど、俺は失念していたようだ。希蝶が入学二日目からもう男を侍らせているというのなら、彼女と同格の美少女力を誇る出雲だって同じ状態になっていてもおかしくない。

 積極的に声をかけてくるというのは、太陽のような存在感を放つ出雲だからこそであって、俺みたいないるんだかいないんだかよくわからない陰気な少年なんかに声をかけてくる酔狂な奴なんて一人もいないのだ。


「いや、うん……わかってたよ。わかってた。まあ、俺はこんなもんだよ」


 結局、あれだけ悩みに悩んだ俺の高校生活第一声は「おはっ」になってしまったのだった。

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