転校生はミステリアス

第9話 私をあまり舐めないことね

 考えてもみれば、俺の妄想が具現化したヒロインなんだ。そんな彼女らが目の前に現れるというのは、かなり幸福なことなんじゃないだろうか。


 裏表のない無償の愛を向けてくれる優しい姉。世間知らずなところはあれど気品あふれる振る舞いで周囲を魅了するお嬢様。やや不躾だが素直な性格で愛嬌溢れるスポーツ少女。


 ほら、素晴らしいヒロインたちじゃないか。現実離れしたことが続けて起こり、物事を難しく考えすぎていたが、普通に夢のような展開では?


「────ちょっと、何をしているの? 手が止まっているわよ」


 希蝶に注意され、俺は彼女の肩を揉む手を再始動する。


「握力が弱いわね。もっと親指に力を込めなさい」

「そ、そうはいっても……」

「ほら、私を預かっている以上、あなたには私の世話をする義務があるはずよ。一般階級なのだからきちんとその義務を果たしなさい。私のような貴族に仕えることができて幸せでしょう?」

「それはもちろん────って、そんな訳あるかぁ‼」

「ひぇっ」


 突然大声を出したことに驚いたのか、さっきまでくつろいでいた希蝶はマヌケ面で跳び上がった。


「なんで俺こんなことやらされてるんだよ⁉ おかしいだろ⁉」

「だって、私は貴族だし……」

「現代日本に貴族なんかいねぇんだよ‼」


 あれ、俺が貴族って設定にしたんだっけ? まあいいや。何にせよこんな雑用をやらされる理由にはならない。


 あの漫画は俺の妄想を具現化したもので、そこに登場するヒロインたちも俺の好みをこれでもかと詰め込んだ理想の権化だ。

 しかし現実に現れた彼女らはそうではない。ワガママを言うし、文句も言うし、暴力も振るうし、容姿の良さ以外は欠点だらけの問題児ばかりだ。


 これでは流石に夢のような展開とは言えないな。傍から見ている分には良いかもしれないが、これから彼女ら三人をうちで預からなくてはならないと考えると気が遠くなりそうだ。


「じ、上流階級の私を怒鳴りつけるなんて……」


 希蝶は目をぱちくりさせながら体を小刻みに震わせている。怒っているのか怯えているのかよくわからない。


「ここの家主は俺だ。それと、俺はお前に仕えてるわけじゃない」

「あなたが私の使用人になるわけではないの?」

「そうだ」


 なんでそうキョトンとしているんだ。本気で勘違いしてたのかこいつ。


「なら、そこの女。あなたがやりなさい」

「え? お姉ちゃん、ちょっと今手が離せないから……」


 洗濯ものを畳んでいる優里は、希蝶の命令を申し訳なさそうにしながら断る。この無駄に広い家の膨大な量の家事は、ずっと俺が一人でやっていたはずなのだが、今では優里と分担することになっているらしい。

 俺としては大助かりなのだが、洗濯物の畳み方や、食器をしまう場所なんかが若干違うのは何とも言えない気持ち悪さがあるな。


「なんてこと……この家には常識を知らない変人しかいないの……?」

「変人はお前だ」


 うちに預けて、一般家庭での生活を学ばせたい……だったか。最初に聞いた時は何を言ってるんだと思ったが、たった今納得できた。


「ねえ、そんなことよりご飯にしようよ。もう六時だよ?」


 出雲が肩を揺さぶって来るので壁にかけられた時計を見上げると、時刻は5時45分を示していた。


「そうだなぁ……そろそろ夕飯にするか」

「何? 今日の夕飯何?」


 いつもは俺一人なので、好きな時間に好きなように食べればよかった。時間や献立など気にする必要は全くない。

 料理は一応それなりにできるが、父さん以外に振舞ったことなんて一度もない。こうして夕飯をせがまれることだってもちろん初めてだ。


「あ、しまった。四人分となると食材が足りないな……」

「大丈夫よ。お姉ちゃんが準備しておいたから」

「え? いつの間に」

「お姉ちゃんだもん。それぐらいちゃんと準備しておくわよ」


 それはどういう理屈なんだ。意味不明だが何にせよ助かった。


「お姉ちゃんが作ってあげるから、三人は遊んでいていいわよ」

「いや、俺も手伝うよ」

「大丈夫よ。宗ちゃんは二人の相手をしてあげて」

「そ、そっか」


 助かる、と言いたいところだが、正直あの二人の相手をするよりも料理の方が遥かに楽だ。


 自称姉なんて明らかにヤバイ奴だと思ったし、今でもよく考えたらホラー染みてると思っているが、あの二人に比べたら相対的にマシだ。できれば優里と一緒に料理していたい。

 ……しかし、あの二人から目を離すのもそれはそれで怖いな。何をしでかしてもおかしくない。俺の常識なんてぶっちぎりで超越してくるならず者コンビだからな。


「あなた、さっきから何をしているの?」

「ん? 逆立ちだけど」


 居間の方を覗いてみると、天地のひっくり返った出雲と、それを間近でまじまじと見つめる希蝶の様子が見える。

 二人ともさっきまで制服姿だったはずなのだが、いつの間にか出雲はどこかのサッカーチームのユニフォームに着替えている。


「それに一体何の意味があるのかしら?」

「え? そうだなぁ。バランス感覚と、筋力が鍛えられるかな」

「へぇ……なんだか野蛮だわ」

「そんなことないって。これぐらい皆やってるから」

「……皆? 皆やっているの?」

「うん、やってると思うよ」


 やってねぇよ。逆立ちしてトレーニングする人がいないとまでは言わないけど、皆はやってねぇよ。


「あんたもやってみたら? えっと、名前なんだっけ」

「網蜘蛛希蝶よ。ちゃんと覚えておきなさいと言ったでしょう。えっと……あなたの名前は……」

「松江出雲。自分だって覚えてないじゃん」

「私はいいのよ。上流階級なのだから」


 希蝶は悪びれもせずに自分の特別性を主張する。漫画を確認してみても、ただ金持ちの子という情報しかなく、彼女の親については一切謎なので、彼女の言う上流階級とやらが何を指しているのかはよくわからない。


「上流階級っていうなら、当然できるよね?」

「……当たり前でしょう? 私をあまり舐めないことね」


 止せばいいのに、希蝶は出雲の隣に並び、畳に手を付ける。漫画内の彼女ならこんな安い挑発には乗らないと思うのだが……現実の彼女はちょっと馬鹿っぽいところがある。


「支えてあげようか?」

「必要ないわ。見てなさい」


 いつでも逆立ちできそうな体勢を取り、そこから十秒ほど躊躇っていたが、ついに意を決したようだ。大きく息を吸い込んだあと呼吸を止め、地球を蹴り飛ばすかのように思いっきり足を上げる。


「ほ、ほら、見なさい! できた! できたわよ!」


 思いっきり壁にもたれかかっているが、一応逆立ちの形にはなっている。しかし着替えていた出雲と違い、希蝶はスカートのままなので……。


「あ、ちょっ、ちょっと! やめっ……⁉」


 案の定、スカートが重力に従ってめくれる。フィクションの世界ならどれだけ強風が吹こうが、どれだけひっくり返ろうが絶対にめくれない鉄壁スカートなんてものもあるが、ここは現実だ。逆立ちなんかすれば普通にめくれる。


 しかもこともあろうに、そのタイミングで俺と希蝶は目が合った。


「な、何を黙って見ているのよ! 死刑にするわよ! こっち見るな!」


 顔を真っ赤にした希蝶から激怒され、俺は慌てて後ろを向いた。


(まさかのうさぎさんパンツ……)


 ついうっかりパンツを見てしまうというのはラブコメの定番かもしれないが、こんな間抜けなパターンは初めてだ。やる前からこの未来は明らかだっただろ。


「ぷぷ、まさか本当にやるとはねぇ」


 出雲は満足げに口を抑えて笑いを堪えている。


「は……謀ったわね……⁉ 許せない! あなたも下着をあの男に見せなさい!」

「嫌だよそんなの。あたしはあんたと違って痴女じゃないんだから」

「ちっ……痴女⁉」

「だって、わかってて逆立ちしたんでしょ? まさか貴族様が、逆立ちしたらスカートがめくれるなんて、小学生でもわかることに気づかないわけないもんね」

「うぐっ……」


 出雲の煽りに、希蝶は言葉を詰まらせる。馬鹿を取るか、痴女を取るか、どちらの汚名を被るのがマシかを、顔を引きつらせながら考えているようだ。


「そ、そうよ……当たり前でしょ! わかっていてやったのよ!」


 結局、彼女は痴女を選んだらしい。爆発しそうなほど顔を真っ赤にするぐらいならやめておけばいいのに、乗せられたら止められない性格みたいだ。


「あんた、本当に馬鹿なんだね……」

「なっ……なんでそうなるのよ⁉」

「おい、あんまり暴れて襖を破るなよ」

「なんであなたは平然としてるのよ! 私に謝りなさいよ!」

「……まあ、確かに絶対見えるってわかっていながら黙っていた俺にも責任はあるかもしれない」


 俺の理想のお嬢様は、現実では非常に残念な感じになってしまった。希蝶の怒った顔を見ながら、俺は理想が破れて残念半分、見たいものが見れて嬉しさ半分で複雑な気分だった。

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