第8話 つまり、よくわからんってことだな

 誰の目にもつかないよう厳重に封印した自作漫画。ただ妄想の赴くままに、自分の理想のみを詰め込んだ羞恥の塊。

 あの作品内に登場するキャラクターは美少女ばかりで、しかも全員が俺にベタ惚れしていて、次から次へと俺に都合の良い展開ばかりが起こる。


 誰に見せるためでもなく、ただ自己満足のためだけに描き上げた駄作。あんなものを今、誰かが持っていると考えるだけで怖気が走る。


 そんな漫画のヒロインたちが、現実に俺の前に現れている。


 一旦細かいことを考えることは止そう。俺だって馬鹿じゃない。漫画が現実になるなんて有り得ないことぐらいわかっている。俺の妄想癖は理性を上回っているわけではない。

 だが俺の理性も度重なる超展開にもうボロボロになってきている。それに実際問題今朝出会ったばかりの美少女三人が、何もかもをすっ飛ばして俺と同じ家に住むというのだ。

 これはもうファンタジーの世界だと考えるしかないだろ。そうでもなければ、こんなことが現実に起こるわけがない。


 俺は頭が固い方ではないつもりだが、流石に「なるほど、つまり漫画のキャラが現実に飛び出してきたってわけね」と納得することはできない。

 せめてもうちょっとちゃんとした理屈というか、説明がほしい。普通こういうファンタジー要素のある物語では全ての事情を知ってる女神様的なポジションのキャラが出てきて、状況を詳しく解説してくれたり、不都合な問題を全て上手い具合にクリアしてくれたりするものじゃないのか。


「うぅ……一体何が起こってるんだ」


 現実と向き合うことを決めた途端にこれとは、もう何が現実で何が虚構なのかもよくわからなくなってきた。


「宗ちゃん、どうかしたの?」


 俺が頭を抱えていると、優里が心配そうに覗き込んでくる。


「いや……俺はひょっとしてまだ夢を見ているんじゃないかと」


 実はまだ入学式当日の朝で、俺は絶賛二度寝中で、現在進行形で大遅刻しているのかもしれない。それならそれでもいい。この超常現象よりはいくらかマシだ。


「────そうだ。夢だ。これはきっと夢だな」


 思考を放棄して、そう結論付けた俺は、三人を居間に残して自分の部屋に戻る。


 何も深く考える必要はない。どうせ夢なんだから。サッサと寝て、今度こそ高校のスタートダッシュをバッチリ決めるんだ。


「ちょっと! なんでお昼寝なんかしてるのよ! お友達が来てるのよ?」


 このトンデモ空間から早々に離脱するべく、布団に潜り込んでいたところ、そうは問屋が卸さないとばかりに優里が駆け込んで来た。


「あの二人は友達じゃない。他人だ」

「友達にそんな言い方しちゃ駄目でしょう?」

「だからマジで友達じゃないんだって」

「……ってことはもしかして、彼女さん⁉ え? 二人も⁉」

「ちが……ああ、もう! うるさいなぁ! 彼女でもない!」

「じゃあ何なのよ? 家に来ているのよ?」


 そんなの漫画を描いてた時の俺に聞いてくれよ。マジで何の脈絡もなく家に住まわせることにしただけなんだから、経緯とか何もないんだよ。


「……待てよ。その辺、現実だとどうなってるんだ?」


 もうこれが夢だという現実逃避はやめよう。こんなリアルな夢があるわけないってことぐらいわかってる。

 これは妄想でも幻覚でもない。ちょっと奇想天外なことが起こっているだけで、俺が向き合うべき現実なんだ。


 となると、俺が漫画の中では省いていた細かい設定がどうなっているのか。少し気になってきたな。


 全てが俺の都合通りに回っていた漫画の世界とは違う。きっと三人の性格が漫画内と違っているのは、無理矢理漫画を現実に持って来た影響だろう。ならば、俺の家に来た理由なんかも、補完されていたりするのだろうか。


 とにかくこれが現実である以上、逃げようとしても無駄だな。布団にくるまるという無駄な抵抗を止め、俺は居間へと戻る。


「さっきから出たり入ったり忙しいわね」


 放置されたことが不満なのか、希蝶は頬を膨らませて俺を睨んでくる。


「いやぁ……ちょっと、バタバタしてて」


 主に俺の脳内が慌ただしいことになっている。クリスマス当日のサンタクロース級の忙しさだ。


「ねえ、お茶のおかわりないのー?」


 出雲はさっきまで苦い苦いと文句を垂れていた緑茶を要求してくる。


「……美味しくないんじゃなかったか?」

「だって……思ったより苦かったから最初は驚いたけど、慣れてきたら案外癖になるかもしれないって思って」


 良い意味でも悪い意味でも素直な奴だな。この辺は俺のつけた設定に近いような気もする。


「わかったわかった。じゃあお茶淹れるから──」

「ああ、宗ちゃん。お姉ちゃんがやるからいいわ」


 優里は俺を目で制し、台所へと向かった。そう言うならここは彼女に任せることとして、俺は二人から聞きたいことを聞き出すことに専念するとしよう。


「えっと……ところで二人とも、俺の家に泊まるってどういうこと?」


 間に色々とやり取りを挟んだが、俺は抱いて当然の疑問を投げかけてみた。


「さっきも思ったけど、なんで知らないのよ」

「なんでと言われてもなぁ」


 何がどうなったら初対面の女子を家に泊めることになるのやら。妄想の中なら自由だが、現実ではそうもいかないだろう。年頃の男女が一つ屋根の下だなんて、何かと問題がある。


「おかしいわね。爺やが話を通しているはずなのに」


 網蜘蛛希蝶。黒髪のお嬢様。漫画の中ではもっとおしとやかな感じだったのに、現実では頓珍漢なことばかり言う変人と化している。


「私は産まれながらの上流階級だから、ちょっと世間知らずなところがあるらしいのよ。だから俗世間の生活について学ぶため、高校入学を機に、一般階級の家で過ごすことになったの。そこでお父様の伝手で、高校から比較的近いあなたの家に住むことになったというわけ」

「お父様の伝手? そっちの親とうちの親が知り合いってことか?」

「さあ? どう話がまとまったのかは私の知るところではないわね」


 あとで父さんに確認をしてみるか。父さんの認識も昨日までとはまるっきり変わっているようだったし、俺の知らない知り合いが増えていたとしてもおかしくない。

 なにせ姉がどこからともなく出てくるぐらいだ。子ども同士を同じ家に泊めても気にしないぐらい仲良しな大富豪がいますと言われても、衝撃は薄い。


「あたしは普通に、実家が県外だから、高校の近くに下宿したかったってだけなんだけど」


 松江出雲。金髪で活発なスポーツ少女。漫画ではもっと気配りのできる優しい子なはずだが、現実では傍若無人になっている。


「どこでも良かったんだよねぇ。でも、知り合いの家に泊めてもらえば家賃もかからないってことに気づいてさ。で、あんたのとこに来たってわけ」

「俺とお前は知り合いじゃないぞ……」

「そりゃそうだけど。親同士は知り合いなんじゃないの? 知らないけど」


 こっちも父さんの仕業か。というより、父さんを介するのが一番都合が良いからそうなってるだけなんだろうな。

 海外にいる父さんが、うちのことについて俺に相談もなくあれこれ決めるとは思えない。だからきっと既に俺はこの話を聞いて、了承している。正確には、了承したことになっている。


 なので父さんに確認をしたところでまた呆れられるだけかもしれないな。まあ、しないわけにもいかないので一応するが。


「……で、姉さんは? なんでうちにいるの?」


 お茶を淹れて戻って来た優里にも同じ質問をする。


「え? なんでって、お姉ちゃんはずっといるじゃない」


 そう、一番のファンタジー要素はこいつだ。


 時系列をすっ飛ばして突如現れた俺の姉。希蝶と出雲だけなら壮大なドッキリだと考えることもできただろうが、こいつがいるせいでもう超常的な何かが起こっているとしか思えなくなっている。


 だってそうだろ? 姉だぞ? 妹でも大概なのに姉だぞ? もう意味が分からな過ぎて理解を放棄するしかないんだ。

 どこかへ消えた俺の漫画がなぜか現実に影響を及ぼしている。そんなファンタジーが起こっていると考えるしかなくなっている。


「ふむ……つまり、三人がここにいる理由は、過去の俺が知ってるってわけか」


 俺が許可を出したことにしてしまえば、大抵の事情には説明がつく。そして当の俺だけはなぜか置いてけぼりにされていて、何の事情も知らない……と。


「……オーケー大体わかった。つまり、よくわからんってことだな」


 もはや理解しようとするだけ無駄なのかもしれない。これはそういうものなのだと受け入れるしかない。

 もし手がかりがあるとすれば、消えてなくなった漫画の残り部分だ。それさえ見つかれば何かわかるかもしれない。


 それに、あの漫画を誰かが読んでいるという現実だけで、今にも爆散しそうなほどの生き恥なんだ。何が何でも取り返してやる。そのためにも────


「で? 私たちは受け入れてもらえるのよね? 今さら拒否しようなんて、そんなのは無しにしなさいよ?」

「そうだよ。あたしここ追い出されたら学校通えなくなるんだから。ちゃんと約束は守ってよね」


 この厄介者二人……あと自称姉も含めて三人を相手に、どうやって共同生活をしてくのか考えないとな。

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