第7話 不可能だからに決まってるだろ⁉
登校中に出会った膝蹴り女と、高級車登校女。彼女らがなぜか家に来て、居間に上がり込んでいる。
この何の前触れもない唐突な展開は、いかにも俺が中学時代に描いた漫画の展開っぽい感じがする。具体的なことは何も思い出せないが、多分そうだ。
「おい、どういうことだよ? お前、この二人と知り合いなのか?」
「お前じゃないでしょ」
「……姉さん」
居間にいる二人を襖の隙間から覗きながら、優里と小声で話す。
さっきの彼女の口ぶりは、この二人が来ることを事前に知っていたかのようなものだった。ならば知り合いでも何でもない二人が突然俺の家を訪問したことについて事情を把握しているはずだ。
「お姉ちゃんは何も知らないわよ? 宗ちゃんが昨日言ってたんじゃない」
「……俺が?」
さっき突如として現れたこの自称姉と、昨日何かを話した記憶なんてあるはずがない。これまたややこしいことになってきたな。
「で、昨日の俺はなんて言ってたんだ?」
「えーっと、二人の女の子が家に来るって」
「……それだけ?」
「それだけだったと思うけど?」
情報量が皆無じゃねぇか。何の参考にもならない。そもそも昨日の俺が言ってたってどういうことなんだよ。
ツッコミどころは山ほどあるし、聞きたいことは腐るほどあるし、分からないことは死ぬほどあるが、とにかく今はあの二人をどうするかだ。
これが漫画をなぞった展開であるということはわかっている。しかし次に何が起こるのかまでは思い出せない。なのでこれから俺はどうしたらいいのかも、全く見当がつかない。
「────ねえ、ちょっと!」
部屋の中から苛立ちを含んだ声が聞こえてきた。
「なんかこのお茶苦いんだけど? 普通のはないの?」
金髪の少女は湯呑みをクルクルと回しながら、お茶の水面に舌を垂らしては顔を引きつらせている。
「……緑茶は苦手だったか?」
「得意とか苦手とかじゃなくさ。美味しくなくない? 何この飲み物? 普段からこんなの飲んでるの?」
ブツブツと文句を言いながらも、残すという選択肢はないようで、ちびちびと少しずつ喉の奥に流し込んでいく。
「口に合わなかったなら、無理に飲み切らなくてもいいけど……」
「え? そんなの勿体なくない? 捨てるってことでしょ?」
彼女はそう言って、結局湯呑み一杯の緑茶を飲み切った。
……なんかこいつを相手にしていると調子が狂うな。あの時、顔をハッキリと見たわけではなかったけど、このハリのある声と派手な金髪からして、間違いなく今朝の膝蹴り女と同一人物だ。
うちの制服を着ているということは、彼女もまた俺の同級生らしい。姉以外の二人のヒロインは同じ学校の同級生という設定にしていたので、それを忠実に守っているということか。
それにしても、彼女があの膝蹴り女だというのなら、俺の顔を見たらまず謝罪を口にするのが筋ってものではなかろうか。なんで何事もなかったみたいな顔をしていられるんだ。
男だから避けられて当たり前、みたいな暴論を吐き捨てて逃げて行ったと記憶しているが、普通再会したら謝ると思うんだけどな。
それともアレはその場を切り抜けるために絞り出した言い訳とかではなく、心の底からそう思っているからこそ出た言葉だったのか。
俺が入学式を断念した原因の大半はこいつのせいなのだから、一言ぐらい詫びてくれてもいいんじゃないのか……なんて、面と向かって言う度胸はないが。
「ところで」
顎の痛みを思い出し、恨みを募らせていると、今度はお嬢様の方が口を開く。
「なぜ今朝は私を裏切ったのかしら?」
「……裏切った? 何の話だ?」
どちらかと言えば、裏切られたのは俺の方では?
「一緒に行こうと言ったのに、来なかったじゃないの」
「一緒にって……車に乗せてくれなかったじゃないか!」
「それは当然でしょう? あれは私の車なのだから、あなたを乗せる理由が無いわ」
「いや、でも、一緒にって……」
「だから、あなたも車を呼ぶなり、一生懸命走るなりして、私に追いついて来ないと駄目じゃない。なぜそうしなかったの?」
「不可能だからに決まってるだろ⁉」
俺を馬か何かだとでも思ってるのか? 出会った時から息切れしてたのに?
「そもそも、お前ら一体何なんだよ? 優里……姉さんのことだけでも頭がパンクしそうだってのに」
「その言い草は何よ。あたしらが何か迷惑かけたっての?」
「大いにかけただろ! 特にお前!」
よくそんな真顔で、自分の潔白を主張できるな……どういうつもりなんだ。面の皮が厚すぎだろ。
「お前じゃないわ。
膝蹴り少女はここに来て初めて、自分の名前を名乗る。
「ならついでに、私は
それに倣うように、お嬢様の方も自己紹介をする。
「松江……出雲? 網蜘蛛希蝶……?」
俺は慌てて部屋を飛び出し、廊下の角へ行って、ポケットに突っ込んでおいた漫画を開く。
松江出雲、網蜘蛛希蝶、そして眞貝優里。三人とも、俺が描いた漫画のヒロインの名前そのままだ。
まさか、特徴だけじゃなく、名前まで一致している人を集めたのか? 一体どれだけの手間をかけて……いや、それ以前に、そんなことができるものなのか……?
偽名を使うにしても、優里に関しては父さんに確認が取れている。他の二人だって学校で確認すれば一発だ。しかし、だからといって、本名であると考えるのにはあまりにも突拍子が無さすぎる。
「ん……?」
俺が持っている漫画の最後のページが、二枚重なっていることに気づいた。乾燥しきった指で必死に擦り合わせてめくると、さらにもう一枚のページが姿を現す。
ペンのインクか、それとも描いていた時に食べたお菓子か、何かが接着剤みたいな役割を果たして、二枚のページを一枚にしていたのだろうか。
それを俺が今剥がしたということは、漫画の残りの部分を盗み出した犯人は、このページを見ていないはずだ。
「……確認してみるか」
俺の中で燻り続ける疑念。それを解消するため、俺は部屋へと戻る。
「……それで、二人は一体何の用があってここに来たんだ?」
当然の疑問をぶつけると、二人は目を合わせて不思議そうな顔をする。
「あら、おかしなことを聞くわね。もう既に話は通っているはずだけど?」
「あたしも、ちゃんと許可取ってから来てるんだけど? なんでその辺噛み合ってないわけ? おかしくない?」
「おかしいという点についてだけは同意なんだけど……」
優里の時と同様に、過去の俺が何かをしたとでも言い出すつもりだろうか。だとしたら今の俺がどれだけ頭を捻っても思い出しようもない話だな。
「ああ……その、なんというか、俺は色々混乱してるんだ。もう一度、一からちゃんと説明してほしい」
オーバーヒートしそうになる脳みそを何とか正常に維持しながら、俺は二人に向き合う。この質問の答え次第で、一つの仮説が成り立つかもしれない。
「仕方ないわね。ならよく聞きなさい? 私は今日から、この家で暮らすことになっているのよ」
「あ、あたしも一緒。この家に住むから。よろしく」
俺の必死さとは対照的に、二人はあっさりとそう口にした。
「……ここに、住む?」
本来なら「そんな話は全く聞いていないぞ」という抗議を叫ぶべき場面だろう。だが俺は「やっぱりそうか」と思った。
登場した三人のヒロイン。彼女らはなんだかんだあって、三人とも家で一緒に暮らすことになる。
この展開はまさしくさっき確認したページそのままだ。この世で俺しか知らないはずのページの展開通りのことが起こっている。
それが一体何を意味するのか。もう常識の範囲内ではどうにも理解しきれない。だから俺の脳みそは常識の範囲外に正解を求めることにしたらしい。
これは誰かが仕組んだ手の込んだいたずらなんかじゃない。もっと現実離れしていて、もっととんでもなくて、信じ難いファンタジーのような出来事なのではないか。
捨て去ったはずの妄想癖が、また暴走しているとしか思えない。だが、これ以外に妥当な推論を立てることすらできそうにない。
彼女らはキャラクターそっくりの人ではなく、正真正銘、嘘偽り誤魔化しなく、俺が描いたあの漫画の登場人物本人なのだ────と、俺はそんなふざけたことを考え始めていた。
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