第5話 ちょっとお節介過ぎたかもしれないわ

 これはいよいよ最悪の状況が現実味を帯びてきたかもしれない。


 封印しておいた漫画はその大半が消失していた。空き缶に入れ、ガムテープでぐるぐる巻きにし、鍵のついた蔵の最深部に放り込んでおいたというのに、序盤を残してほとんどが持ち去られてしまっていた。


 紙の束がひとりでに歩いて出て行くわけはないので、誰かが持ち出したということに他ならない。

 つまりだ。俺が誰にも見られないように封印しておいた漫画は、既に最低でも誰か一人に見られてしまっているということになる。


「ぐはっ……! なんてことだ……アレを誰かに……⁉」


 重力が数倍になったかのように体が重くなり、膝から崩れ落ちる。消えた漫画と同様、俺も今すぐ消えてなくなりたい。


「い、いや、待て。消えてる場合じゃない。被害が広がる前に何とかしなくては」


 今、あの漫画を持っているのは誰なのか。それを早急に突き止めて、奪い返さなくてはならない。さもないと、俺の恥がどこに飛び火するかわかったものではない。


 怪しいのはやはり、今日出会った三人の女だろう。三人全員が、俺の描いた漫画のヒロインに似た特徴を持っていた。

 漫画の消失が確認された今、あれはやはり偶然の一致ではなかった可能性が高いと考えて良さそうだ。


 一体何の意味があるのかわからないが、俺が描いた恥ずかしい漫画を発見した奴が俺に嫌がらせをするために、漫画のヒロインたちそっくりな女を用意し、けしかけてきたということか。


 そうなると一番怪しいのは自称姉だな。彼女は我が物顔で家に居座っていて、その上昔来たことがあるのか家の中のことをある程度把握していると見える。

 ならば蔵の鍵がどこに保管してあるのか知っていてもおかしくはないし、封印してあった漫画を持ち出す機会はいくらでもあったといえる。


 だが、一体なぜそんなことを……? 俺の恥ずかしい過去を掘り出しても何一つメリットはないだろうに。

 それに、そもそもあの漫画の存在を知っているのはこの世でただ一人、俺だけのはずだ。だから犯人は漫画の存在を知らないのに、あのゴチャゴチャとした蔵の中から漫画を見つけ出したことになる。


「クソ……考えるのも面倒だ! 直接問い詰めるのが一番手っ取り早い!」


 蔵の中は安全ではないとわかった以上、残された漫画をこのまま放置しておくわけにもいかない。クルクルと丸めてポケットに突っ込むと、俺は蔵を飛び出し、その足で自称姉のもとへと向かう。

 どの部屋にいるのかわからず、屋敷中を十五分ほどかけて探し回ってしまったが、彼女は俺の部屋のすぐ隣の部屋で、呑気にお茶を啜っていた。


「茶葉がしまってある場所まで知ってるのか……」

「ん? どうかしたの? 急に部屋に入ってきて。もしかして、お姉ちゃんに甘えたくなった?」


 俺が漫画の中で本来は存在しない姉を登場させたことは事実だが、こんなにも鬱陶しい姉に設定した覚えはない。さっきザッと確認したが、少なくとも一人称はお姉ちゃんではなかった。

 ちゃんと読んでないからキャラづくりが甘いんじゃないのか? いや、そんな読みこまれても困るけど……。


「お前、俺の……アレを持ち出しただろ?」

「……アレ?」


 自称姉は白々しくも首を傾げる。とぼけやがって。わからないはずないだろうに。


「ほら、アレだよ。アレ。隠してたやつ」

「隠してたやつ? 宗ちゃん、お姉ちゃんに何か隠し事してるの?」

「そのお姉ちゃんってやつも止めろ!」


 俺が抗議すると、自称姉は目を丸くして俺を見つめてくる。


「ど、どうしちゃったの宗ちゃん?」

「どうしちゃったもこうしちゃったもねぇよ! 一体これは何のいたずらなんだ? もういい加減にしてくれ! とにかく、サッサと持ち出した物を返すんだ!」


 漫画の封印を解かれた俺に余裕はない。あまり白を切られるようでは、我慢していられなくなる。

 俺が怒りを露わにしながら詰め寄ると、流石の彼女も観念したようで、その顔から微笑みが消えた。


「……わかったわ。お姉ちゃんが悪かったわね。だからそう怒らないで」

「そんなのいいから、早く返してくれ。どうやってそれを見つけ出したか知らないけど、これ以上人目に晒すわけにはいかないんだ」

「そうね。勝手に持ち出すのはよくなかったわね。ちゃんとひとこと言ってからにするべきだったわ」


 そう言って彼女は湯呑みを置いて立ち上がり、背後の襖を開けて一冊の本を引っ張り出した。


「……ん?」


 思ってたのと違う……というか、俺の漫画はその辺にあった紙を自分で本の形にまとめたものなのだが、これはちゃんとした雑誌だ。表紙には、あられもない格好をした女子高生のイラストが掲載されている。


「これは……」

「部屋の戸棚の奥に隠してあるのを見つけちゃったのよ。こういうのは教育に良くないと思って没収してたんだけど、ちょっとお節介過ぎたかもしれないわ」

「いやいや、ちょっと待て! これじゃないけど、これはこれでヤバイって! なんでこんなものをお前が……⁉」


 これは受験勉強に疲れた中学三年の夏。どうしても気分転換がしたくなって買った十八歳以下お断りの禁断の書‼ 自作漫画とはまた別の意味で、人には絶対見られたくないやつじゃねぇか‼


「だから、部屋の掃除をしてた時に……」

「は? 部屋の掃除? なんでそんな……勝手なことを! もうこの際だからハッキリ言うけど、お前マジで誰なんだよ! 知らない間に人の家に入り込んで好き勝手にしやがって! 親戚だろうと思って大目に見てたけど、もう我慢ならない! いい加減にしやがれ!」


 俺の重大な秘密を立て続けに暴かれ、大人しくしていられるわけもなかった。怒鳴り慣れていない俺の声は酷く上擦っていたが、もうそんなことを気にしている余裕もない。


「ど、どうしちゃったのよ。勝手に本を持ち出したのは謝るわ。だからお姉ちゃんにそんな怖い顔しないで?」

「だから、なんでさっきからずっと姉面してんだよ! 俺に姉なんかいない!」


 彼女の鼻先に人差し指を突き立て、そう現実を宣告する。俺への嫌がらせもここで終わりだ。下手な小芝居には終止符を打たせてもらう。


 ────パチン。


 そんな小気味良い音がして、俺の首は右に九十度回転した。左の頬に鈍い痛みが走り、数秒遅れて自分がビンタされたことに気が付く。


「お姉ちゃんにそんなこと言っちゃダメでしょ! いくら宗ちゃんだからって、怒るよ!」


 いたずらに付き合いきれず、堪忍袋の緒が切れた俺に逆切れした……というわけではどうやらない。

 彼女は本気で怒っていた。それは真っ赤になった顔を見れば一目瞭然だった。自分が姉ではないと言われたことに、心の底から腹を立てているのだ。


 そして問題なのは、俺の視線の先。ビンタによって横を向けられた、俺の顔の正面に位置する棚の上。

 ここは昨日まで空き部屋だったはずなので、そんな家具があることもおかしいのだがこの際そんな小さいことはどうでもいい。


 そこには小さな写真立てが飾られていた。撮影場所は背景から推察するに家の庭だろう。写っているのは満面の笑みでピースする自称姉の女と、彼女に肩を抱かれて恥ずかしそうにしている少年。


 その少年はどこからどう見ても、今より数年前の俺そのものだった。

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