第4話 お姉ちゃんに見せてみなさい?

「ちょっと~? 宗ちゃん? どうしちゃったの~?」


 部屋の外で、自称姉が俺を呼ぶ声が聞こえる。まだ聞こえる。もう二時間ぐらい布団にくるまっているのに、一向に幻聴が消える気配がない。


「お熱でも出たの? お姉ちゃんに見せてみなさい?」


 何か言ってるんだけど。マジで何なんだよ。怖いって。え? 本当に誰?


 ちょっと待て、一旦冷静に考えてみよう。お姉ちゃんって言ってるだけで、別に俺の姉と言ったわけじゃないよな。年上の女性のことをお姉さんと呼ぶことはしばしばあるわけだし、やっぱりただの親戚なのでは?


「弟の元気がないと、お姉ちゃんも心配なのよ? 何かあったならお姉ちゃんに相談しなさい?」


 うわぁ、弟って言ってる。そう言えば、さっきも言ってたか。じゃあこの可能性はなくなったなぁ。


 じゃあ何か? 俺が知らないだけで、実は俺には姉がいるのか?


 いくら何でもそれはおかしいよなぁ。あまりにも非現実的だ。それならば自分のことを俺の姉だと思い込んでいる頭のおかしい女である可能性の方が高い。


 ……なんじゃそりゃ? 自分で言ってて訳がわからなくなってきた。でも俺の名前を知ってるのは間違いないし、この気を抜いたら迷いそうな無駄に広い家を苦もなくウロウロしてるし、全くの他人ということもなさそうなんだよな……。


「姉……か。そういえば、あの漫画ではそんなキャラを登場させたっけ……」


 俺の母親はもう死んでいるので、妹や弟ができることはない。ましてや姉など時空を歪ませない限り不可能だ。だけどそんな不可能を可能にできるのがフィクションの世界なわけで。

 細かい設定は忘れたが、確か美人で世話焼きな姉を登場させて、俺の面倒を色々と見てもらっていたような記憶がある。我ながら業の深い設定だ。


「漫画……か」


 ふと、俺は庭の蔵に押し込めた漫画のことが頭に浮かぶ。今日出会った三人の女子たち。

 どいつもこいつも変な奴だったが、共通点があるとすれば、昔漫画で描いたキャラに似ている気がするという点だ。


 だからなんだという話だが、少し気になるところではある。二度と人目につくことのないように封印した代物だが、一度確認してみるべきかもしれない。


「うぅ……嫌だなぁ……あれを引っ張り出すのか」


 恥ずかしい過去に触れたくない気持ちと、この妙な感覚を確かめたい好奇心。それらがしばらくせめぎ合っていたが、結局俺は封印を解くことにした。


「あっ、宗ちゃん! もう大丈夫なの?」


 部屋を出るなり、バタバタと慌てた様子で自称姉が駆け寄って来る。二時間は部屋に籠っていたのに、その間ずっと部屋の前をウロウロしていたらしい。


「あぁ……えっと……」


 俺はこの人とどういう距離感で会話すればいいんだ。結局未だに何者なのかよくわからないし。一応、なぜか俺のことを弟だと思い込んでいるいとこぐらいで着地させておこうかな……。


「俺はちょっと外の蔵に行ってくるから」

「蔵? あんなところに一人で? 大丈夫? お姉ちゃんも行こうか?」


 外の蔵のことも知ってるのか。あの中は長い年月をかけて色々な物が放り込まれたらしく、凄まじくごった返している。

 残念ながらうちの先祖の中に、あの蔵を一度整理してやろうと思い立った人はいないようで、積もりに積もったガラクタがちょっとした迷路のようになっており、迂闊に足を踏み入れると山が崩れてきて危ない。


 その危険性のことまで知っているとなると、やっぱりうちの関係者であることは間違いないんだろうけど……。


「いや、一人で大丈夫。慣れてるから」


 本当は人手が欲しい所だが、あの機密文書を俺以外の誰かに見られるわけにはいかないからな。


「そう? 何かあったらすぐにお姉ちゃんを呼ぶのよ?」


 そう心配そうに言って、彼女は去って行った。


 一体どこへ向かったのだろう。空き部屋は腐るほどあるが、その内のどれかを既に自室にしているのだろうか。

 しかし俺が家を出る前の時点では今まで通り、一人きりの屋敷だったというのに、学校へ向かっている僅かな時間にやってきて、産まれた時からこの家で育ちましたみたいな顔をして暮らしているというのは、改めて訳がわからないな。


 俺は産まれてからずっとこの家で過ごしてきたんだ。そんな俺が知らないのだからあの女がこの家で暮らしていたことなんてないはずなのに……。


「……まあ、いい。今は漫画を確認するのが先だ」


 漫画に描いたキャラ達に似た人が現れたなんて、偶然にしてはちょっと奇妙な部分がある。最悪の事態を想定するなら、あの漫画を誰かが見つけ、俺に嫌がらせをしている場合だ。


 漫画の登場人物に似ている人たちを集め、俺と出会わせる。もしそうなら、俺の精神を破壊するのにこれ以上効果的な攻撃はない。今朝から起こっている不可解な出来事の数々にも一応の説明はつく。

 ただ、この場合、あまりにも手間がかかりすぎるという難点がある。俺に嫌がらせをするためだけにそこまでする意味がわからない。


 だからきっと、これはただの偶然なんだ。だけど、一度最悪の可能性が頭を過ってしまえば確認せずにはいられない。


 蔵の鍵を開け、ガラクタの山の中に足を突っ込む。とにかく古臭い物ばかりが眠るこの蔵の最深部に、クッキーの空き缶に詰めて封印した漫画。まさかこんなに早くその封印を解く時が来るなんて。


「……あった。これだ」


 それは思いのほか早く見つかった。海外のなんだかよくわからないキャラクターが描かれた空き缶は、和風の物しかないこの蔵の中ではよく目立つ。

 他の物に比べても放置されてから経過した年月にだいぶ差があるので、まだ派手な色合いが錆びずに残っている。


 俺は意を決してその缶を手に取り、念のため周囲に誰もいないことを何度も確認した上で、何重にも巻かれたガムテープを剥がして蓋を開ける。


 中には、紙を束ねてホッチキスでとめただけの、手作り感満載な漫画があった。


「うわぁ……表紙を見るだけでキッツいな……」


 絵心なんて皆無な俺が心の赴くままに描いた絵だ。下手くそなんて次元じゃない。

 ペラペラとページをめくってみれば、体のバランスも、顔のパーツも、ファッションのセンスもおかしな登場人物たちが次々と出てくる。


「やっぱり、似てるな。あの三人……」


 序盤に登場するヒロインと、偶然では片づけられないレベルで、特徴が一致している。出会い方は漫画と少し違うが、展開そのものは大きく外れていない。


「だったらこの次の展開は────あれっ」


 さらに先を確認するべくページをめくっていた手が止まる。というより、物理的にそれ以上はめくりようがなかった。

 なぜなら、三人のヒロインと出会ったそのページで、漫画が終わってしまっているのだ。

 その後の展開を記していたはずの部分が、誰かに引き千切られたかのようにゴッソリと抜け落ちてしまっていた。

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