降ってきたCrisis Ⅰ

 椿からの電話が圏外で途切れたことに首を傾げていたが、いつの間にか自分の立っている場所の違和感に気が付いてしまった。路地裏とは言え、少し建物の間を抜ければそこは繫華街のはずだ。しかも既に18時を向かえて太陽が殆ど沈んでいる時間帯だと言うのに、人の声が全くしない。


「なんで?」


 おかしいと思って椿の忠告も無視して、早歩きで路地裏から飛び出して繫華街を見てみると、電気がついて明るい街並みはそのままで、生物だけが存在していなかった。まるで異世界に迷い込んでしまったかのような静けさに、寒さとは別の鳥肌が立った。僕の本能的な部分が、なにか警告を発している気がするのだ。

 なんの音もしていないと思っていたが、背後からなにかの息遣いが聞こえる。明らかに人間のものではないけど、それに対して振り向く勇気がなかった。


「……くそっ!」

『ギュオォォォォォォ!!!』


 少し歩いても全く離れる気配がないことに焦って、僕はそのまま繫華街を走り出した。すると、背中にピッタリとくっついていた存在が叫び声のようなものを上げた。

 恐怖心に駆られて走りながら振り返ると、そこには人智を超えた怪物がいた。

 芋虫のような身体に蜘蛛のような足が百足のように大量に生え、蜻蛉のような顔からは触覚の代わりに山羊のような角が生えている。蛍光緑色の身体は数メートル以上後ろまで続ていて、口の大きさから考えてこの怪物の餌はきっと人間サイズのものだろう。


 このまま追い付かれた後のことを考えて、普段よりも絶対に速くなっている足の回転を意識から外して繫華街を走る。


「はぁ、はぁ」


 数分間繫華街を走っていたが、何かがおかしい。僕以外の生物が存在しないとか、異形の生物が存在するとかではなく、そもそも数分間全力で走り続けているというのに出られない程、この繫華街は大きくないのだ。つまり、僕が知っている繫華街を走っているというのならば、同じ道を延々と走っていることになる。だが、それでも後ろから近づいてくる異形の芋虫が消えない。


「どうなってんだ……くそっ!」


 芋虫から離れた場所で路地裏に入り込んだ僕は、普段の自分が出せる速度以上で走っていた反動を身体で受けていた。今になって、灰崎君に蹴られていた腹が再び痛み始めた。


 明らかに非日常の存在であるはずの怪物を前にすると、変わらない日常が嫌だなんて言えなくなってしまう。覚悟の無い現代人らしいかもしれないが、それでも僕は自分勝手に生きたいと思ってしまっている。

 あの怪物がどんな存在で、どんな影響を周囲に及ぼしているのか、とか難しいことは僕には関係ない。ただ、僕は他人から暴力を受け続ける日常を変えたかっただけなんだ。


『ギュチィ……ギギュア!』

「はっ!?」


 考え込んでいる間に、建物の上から異形の芋虫がこちらを覗き込んでいた。最初とは違い、既に芋虫は僕のことを餌だと認識しているようだ。

 逃げなくては考えて足を前に出そうとしたが、下腹部に灰崎君から受けた怪我の痛みがはしり、そのままコンクリートの上に倒れ込んでしまった。


 こんな所で死にたくない。

 本当に命の危機に瀕した瞬間、自分の命が惜しくなった。


 今度こそ死んでしまうと思った瞬間。


『ギュアァァァ!?』

「大丈夫!? 助けに来たよ!」

「つば、き?」


 怪物の悲鳴と共に、僕に手を差し伸べる椿の顔が見えた。

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