第6話 お渡し

「は? ……よ、夜宮? と、三鳩さん?」


 ランニングから家に戻ると、夜宮がソファの端っこで足をそろえて座っていた。隣には美人の三鳩さんがぴしりと立っている。


「お邪魔してます。柊くん」

「お邪魔しています」


 ぺこりと頭を下げられる。


 夜宮はなんでもないうちの家のリビングにいても、夜宮は儚げで絵になる美しさを纏っていた。長い黒髪。あどけなさと綺麗さを押し混ぜたような整った容姿。折れそうなくらいの細さ。


 そしていつものような表情の掴みづらいクールな顔をしている。


「どうしましたか?」

「いやなんというか……」


 微妙な顔で夜宮を見つめていたが、よくわかってなさそうに首を傾げられるだけだった。……ちょっと懐かしい。たまに話が伝わらなくて、不思議そうにされることがよくあった。


「二人は……何をしに?」


 三鳩さんが口を開く。


「お嬢様から、お渡ししたいものがあると」

「渡す?」

「柊くん――これを」

「え?」


 夜宮が傍らに置いてあった小包を取って、俺に渡した。

 中にはお洒落なお店で売っていそうな……なんたらというお菓子が入っている。ちょっと焦げが目立っているようではあるが。


「スコーンと言います」

「なるほど、スコーン」


 ……それをなぜ俺に?


「この前のお礼です」

「あ……ああ」


 手渡されたそれを受け取る。

 可愛らしいラッピングの中に、スコーンが二つ入っている。


「ありがとうございました。柊くん。おかげで私はこうして元気になりました」


 夜宮がわずかに微笑む。

 その表情が見れるだけで、タイムリープしてきた価値があったと思う。


 けどまだちょっと、状況に追いつけていない。

 夜宮は視線を落とすと、今度は俺の手元を指さした。


「スコーン、食べてみてくれませんか」

「え?」

「お願いします」


 言われるがままに包みを開いて、中に入っているスコーンを取り出した。一口サイズに切り分けられている、ちょっとふっくらした三角の形。チョコチップがあり、焦げが目立っているから、濃い色をしている。


「……む?」

「どうですか?」

「美味しい、か? これは? ……焦げの味と……何か独特な風味が……」

「なるほど」


 また、こくりと頷く。


「それ、私が作った物なんです」

「……え?」


 目を丸くする。手元の包みと夜宮を交互に見る。


「まだうまくできないみたいですね。レシピにアレンジは加えたのですが」


 驚いた。


 なのでアレンジは加えるべきじゃないぞというツッコミができなかった。


「夜宮が? これを?」

「先日、三鳩と一緒に、将来はカフェを開きたいという話をしたんです。お菓子とか作れる方がいいと思ったので、調べながら、今日はスコーンを作りました」

「カフェ?」

「……変でしょうか?」


 また見つめられる。今度はわずかに不安がっている事がわかった。


 俺がびっくりしたのは夜宮にカフェとかお菓子のイメージが無かったからだ。夜宮は何をしても完璧な人間だった。なんとなく、将来は研究職だとか学者だとか医者だとか、そういうお堅くて頭のいい何かになるのだろうと思っていた。


 でも、カフェ。


 夜宮がカフェにいる様子を想像する。


 落ち着いた色の制服を着て、カウンターの向こうに立っている。


 うん、いいじゃないか。


「いや、変じゃない」

「そうですか」


 こくりと頷く。表情はあまり変わらないが、今度は嬉しそうにしているのがわかる。


「柊くんはそう言ってくれると思ってました」

「……ご期待に沿えて何より」

「あと一つご報告なんですが」

「うん?」

「柊くんと同じ学校を受けられることになりました」

「ええ!?」


 よ、夜宮が!?


 同じ学校に!?


「わたしの家……本家の方で、色々あったので。予定が色々なくなったんです。今の塾も止めます。課題も全部なくなります。元々予定していた高校に行くのも止めます」

「……が、学校も? いいのか?」


 元に予定していた学校は、たしかすごい偏差値の高い所だったはずだ。夜宮はそこにも余裕で入れるくらいに学力があった。なのにいいのか? 近所のちょっとした進学校で。


「そうですね。お菓子作りなら専門学校も良いのですが、今はまだ普通科の学校に通うべきだと」


 ……お菓子作りならたしかに、偏差値というよりは技術が必要になるのかもしれない。


 でも、今までの夜宮の境遇からすればあり得ないことだ。


「じゃあ……本家との話し合いは、特に問題は無かったのか?」

「はい」


 こくりと頷く。隣で三鳩さんも頷いている。

 その様子を見て、俺の胸に安堵が染みわたっていく。良かった。これで夜宮が理不尽に苦しむことは無いはずだ。きっと。


「ですから、柊くん」

「ん?」


 夜宮は目を細めて、嬉しそうに呟いた。


「また同じ学校に通えますね」


 頷きながら、つい目元を抑えた。

 ……やばい。泣きそうだ。

 でも同じ学校に行けるのはまだ決まってない。まだ受験もしてないのだ。


「……じゃあ、ちゃんと受からないとだな」

「はい」


 夜宮が楽しそうにしている。


 その表情を眺めてぼんやりと思う。

 夜宮がいると、こんな風に明るい気持ちになるのだな。

 これからどうしようと考えていた悩みに薄っすらと答えが浮かぶ。


 タイムリープして、俺は夜宮を助けられた。

 一つの大きな目的をクリアした。でもその先のことは何も定まっていない。


(夜宮に幸せになってほしい)


 一週目の夜宮は散々だった。いや、散々と思う間もなく終わってしまった。

 そんな夜宮が、今は目の前で楽しそうにしている。

 この表情を守りたい。自然とそう思える。


(そうか。それでいいのか)


 その目標はすんなりと胸に落ちた。

 夜宮に幸せになってほしい。幸せにしたい。


(俺程度が、おこがましいのかもしれないけど)


 手伝えたらいい。俺にできることなら、手を貸そう。

 夜宮を幸せにするために頑張るのだ。


 そのためにもまずは、受験を成功させなくちゃいけないわけだけど。



 


「――榎並さん。私からもひとつ、いいでしょうか」


 そんな風に決意を新たにしていたら、三鳩さんが口を開いた。


「大事なお願いがありまして」

「え? 大事……? なんでしょうか?」


 三鳩さんは淡々とした声で言った。


「これから……お嬢様の許嫁になっていただけないでしょうか?」

「……へ?」

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