第7話 許嫁

「――いっ、許嫁!? って、どういうことですか!?」


 三鳩さんから聞かされたその単語に俺は叫んだ。

 冗談か? いや、そんなことを言う人ではない。


「榎並さん。真面目な話なのです」


 三鳩さんは頷いて言う。


「良くも悪くもなのですが、お嬢様の時間ができたことで、縁談の話が断りづらくなっています。今までは勉強や習い事を理由に旦那様が断っていたのですが、今はそれがありません」

「ああなるほど……」


 夜宮を拘束していた勉強や習い事がなくなったことで、断る理由がなくなる。不要な縁談を断るというその一点だけにおいては役立っていたらしい。当然、肯定するつもりはないが。


「ですので榎並さんに許嫁になっていただければと」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「はい?」


 話が飛んでる気がする。

 まず、相手は俺ではなくてもいいはずだ。


「ど、どうして俺を? うち、普通の一般家庭ですけど、平気なんですか?」

「はい。榎並さんのお母様と、お嬢様のお母様は以前、仲の良いお知り合いでした。それはご存じですか?」

「えっ?」

「あれ……ご存じないですか?」


 し、知らないぞ。


 最近も、小学校の頃に夜宮と家で遊んでいた時も、母さんはそんなことは何も言わなかった。

 まさか夜宮は? と思って目を向けたら、こくりと頷かれる。


「私は知ってました。三鳩から聞いていたので」

「お嬢様のお母様は、困ったら榎並さんのお母さんを頼るようにと伝えていました。なのでお嬢様が引っ越す際、こちらの近くを選んだのです」


 そうだったのか。タイムリープして新事実を知る。


 ……なんで母さんは俺に黙っていたんだろう。


 そんなことを考えてしまいそうになるが、たぶん、『言わなくても勝手に仲良くなったからいいかと思って』みたいな軽い理由な気がする。割と適当な人だし。


「……まぁ、それはいいです。今度母さんに聞きます」

「はい。そうすると……お二人の間で昔、『お互いの子供同士で結婚できたらいいかもね』というようなお話があったのもご存じないですよね?」

「ないです。……ってもしかしてそれが原因ですか?」


 それって、ただの口約束では?


「それだけですが、親同士の約束です。しかも、時間的にも幼い頃の約束なので、都合が良いです。法的な効力としては薄いでしょうが……夜宮の家としてはそれなりの効力があります」


 そうなのか。名家の伝統のようなものなのかもしれない。


「ですので、断りを入れる理由としては正当なのです――榎並さんが受け入れてくれれば」


 考える俺に、三鳩さんがためらいがちに説明を付け足す。


「……ただ、もちろん榎並さんにはデメリットもあります」

「デメリット?」

「はい。まず、一部の方からそういう目で見られるということ。知らせる相手は基本的に外部の方ですので、学校では特に許嫁として過ごす必要はありません。ただ、人によっては関わってくる家の方もいるかもしれないので」

「……なるほど」

「あとは、榎並さんの恋愛の自由がほぼ無くなることです。もし榎並さんが誰かとお付き合いをしようとした場合、許嫁としては不適格になりますから」


 その話のタイミングで、夜宮がぴくっと体を動かす。


 恋愛ができない……なるほど。


 三鳩さんは言いづらそうな様子で続ける。


「もし破った場合はお嬢様にも非難が向いてしまいます。……なので、他の方と恋愛関係になることは避けていただかなければなりません」

「……ああ、それくらいなら、別にいいですけど」


 さっと言った俺に、二人とも驚いた様子を見せる。


 でも、俺の懸念はもっと別にあった。


 一番大事なこと。


「これ……夜宮の意見は?」

「私は、柊くんがいいと思ったんですよ」


 夜宮はすぐに答えて、俺の手を取った。


「許嫁とか、縁談とか……そういう関係なら、柊くん以外は考えられません」


 まっすぐな視線。まっすぐな台詞。

 そのまっすぐさに戸惑う。


「柊くん。もし……少しでも懸念があったら、断ってくれて構いません。これは柊くんにはそんなにメリットの無い話でもあります」


 夜宮がわずかに目を伏せて、手を離した。


 指先が離れた手を眺めて、俺は思う。

 俺は、夜宮を幸せにできたらとさっき思った。これがその機会にあたるのかもしれない。


「――わかりました」


 肩書一つで夜宮が不要な縁談を避けられるのなら、何も問題はない。


「許嫁に、なります」


 そうはっきりと頷いた。


「ありがとうございます。榎並さん」

「……柊くん、これから、よろしくお願いしますね」


 三鳩さんは安堵した顔をし、夜宮は顔を綻ばせた。

 俺はたぶん緊張で硬くなっているだろう顔で、ゆっくりと頷く。


 思うことは一つだった。


(許嫁って、何するんだろう)


 ともかくこうして、俺は夜宮の許嫁になったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る