第19話 お買い上げ

「榎並くんって普段はどんな服着るの?」

「動きやすい奴かな。普通のシャツとか、パーカーとか……」

「なるほど……これとかどう?」


 店を移って、皆森がメンズの服を物色している。良さそうなものを手にとっては、鏡の前で俺の体に合わせて具合を見つつ「うーん」と呟いている。


 その俺の隣。

 夜宮がどこか拗ねたような表情で傍にいる。


「……あの、夜宮?」

「はい?」

「なんというかちょっと……近くない?」


 夜宮は俺の腕を掴んで隣にぴったりとくっついていた。距離が、近い。世の中にはパーソナルスペースというのがあるというが、どう見てもその中に入り込んでいる。


 問いかけた俺に向けて、なんだか切なげな表情で見上げてくる。


「だめ……でしょうか?」


 俺は無言で首を横に振った。だめじゃない。だめとは言えない。この顔を見てしまっては……。


 夜宮はさっき俺と皆森の様子を見てからちょっと変だった。

 なぜかずっと俺の傍らにいて、袖を掴んでいる。

 でも袖を掴まれていると試着ができない。


「……ちょっと試着したいんだけど、いい?」

「……はい」


 放してもらうだけなのにすごい心が痛むな。縋ってくる幼い子供の手をほどくような気持ちだ。皆森はそんな俺たちをチベットスナギツネみたいな目で眺めている。


 とりあえず着替えて、鏡の前に立った。

 ……うむ。かっこいいのではないだろうか? ファッションについてはよくわからないけど、なんだか清潔そうだし、見栄えが良い。たぶん。いや、実際いいんだろうけど。


「かっこいいと思います……!」

「あ……ありがとう」

「うん、似合ってるしいいと思うよー。今日着てた服とも合わせやすいんじゃないかなー」


 二人が褒めてくれる。褒めてくれるのだが、なぜか皆森だけは口調が投げやりだ。


「皆森……なんか雑じゃない?」

「そんなことないよー」


 皆森がしらーっとした目で顔を背ける。


「柊くん、お買い上げですか?」

「ああ。着やすそうだし、この機会に買っちゃおうかな」

「じゃあ着替えたらわたしがちょっと預かるので、そこで待っててもらえますか」

「え? わ、わかった」


 着替えて、買う予定の服を夜宮に渡す。「では少し待っていてくださいね」と言って夜宮は服を持って試着室から離れていった。


 ……何をしようとしてるんだ? 他の服とも合わせてみるとか? それなら俺もついていく方がいいと思うけど……。


「榎並くん、ちょっと聞いてもいい?」

「ん?」


 夜宮が離れたのを見て、皆森が声をかけてくる。


「日奈ちゃんってあんなキャラだっけ?」

「…………」

「中学の時はあんな感じじゃなかった気がするんだけど……榎並くん、何かしたの?」

「いや……」


 したかしてないかで言えば……したというかなった。許嫁に。


 それが原因なんだろうか? たしかにさっきの距離感は変な気がする。普段家にいる時はもう少し適切な距離が間にある。袖を掴まれるのとか久しぶりだ。小学校以来?


「お待たせしました」


 思い返しながら待っているとすぐに夜宮は戻って来た。手に店の袋を持っている。

 ……ん?


「……夜宮も何か買ったの?」

「これはさっきの柊くんのやつです」

「ええ!?」


 お、お金出してもらっちゃってる!?


「いやいやいや! そんな、受け取れないって!」

「で、でも」


 袋を握りしめて夜宮が見上げてくる。


「そうすると……これが紗良さんだけのものになっちゃうじゃないですか……」

「……え?」


 夜宮が拗ねるように目線を逸らす。皆森の顔が死んでいく。


「わたしはお洋服を選んだりできませんし……。ここでは何もできないので、何かでお役に立てればと思って……」


 そ、そんなことは気にしなくていいのに。


「いやでも、夜宮にはいつも色々やってもらってるだろ」

「わたしが?」

「お菓子作りとか……お弁当とか」


 夜宮には日ごろからお世話になっている。お弁当もその一つだ。うちは母さんが仕事人間だから、お弁当を作ってくれるというのはかなりの助けになるのだ。しかも美味しい。それも毎日。ありがたいという言葉では足りない。


「むしろ俺から払いたいくらいだし……」

「でも、そんな……」

「それにこの服、夜宮だってかっこいいって言ってくれただろ。それが決め手の一つでもあるわけだから」

「そ、そうなんですか……?」


 夜宮の声が揺れている。

 もう一押しだろうか。……なんとしても払わせるわけにはいかない。

 周囲の目も凄いし。


『あの人、女の子に買ってもらってるの?』

『ヒモってやつ?』

『貢がせる男……サイテーじゃん』


 誤解です……!


「じゃあ、今度一緒に何かしよう」

「え? 何か……とは?」

「うん、夜宮の好きなことでもなんでもいいから……」

「それはつまり、何かお願いを聞いてくれるということですか……?」

「え!? あー……うん、じゃあ……それで」


 背に腹は代えられない。ちょっとリスクの大きいことに頷いてしまったような気はするが、この場を乗り切るにはそうするしかないのだ。


「わかりました。では、また今度ですね」

「……ああ」


 夜宮が服を手渡してくれる。ちゃんとお金も返そう。


 隣の皆森を見ると、目から光を失って虚空を見上げていた。


「お、おい。皆森? 平気か?」

「……うんまぁ、平気かな……」


 本当に平気か? とは思ったが、「じゃあ行こっかー、あはは……」と前に進みだしたのでついていくことにした。動けるなら……大丈夫かな?


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