第17話 三嶋梨律(リッくん)とバレンタイン終
手を素早く洗い終えてこの場を立ち去ろうとするゆうちゃんに、あたしは必死で訴える。
「ゆうちゃん、ちがう、ちがうから……待ってよぉ」
しかし、あたしの喉から出てくる声に力はなく、ゆうちゃんを止めることはできそうにもない。
あたしはゆうちゃんの行く手を全力で
といっても視界がぐにゃぐにゃでぼやけていて、上手く
ゆうちゃんを失う恐怖に足腰の力も抜けてしまい、立ってすら居られず、冷たい床がおしりに当たる。
「ゆうちゃんのことが好きなんだよぉ……あたしにはゆうちゃんしか……ゆうちゃんしかいないんだよぉ……出ていかないで……ゆうちゃん……ゆうちゃんだけなんだよぉ……ゆうちゃああん!」
あたしはみっともなく泣いた。
今のあたしにできることはこれくらいしかなかった。
普段は取引先との会合や社内会議で鞭撻ぶりを発揮して、男性社員にも押し負けない力説を叩きつけることもあるこの
顔をゆがめて全力で、ただゆうちゃんゆうちゃんと連呼しながら泣きわめいた。
精神的にも限界に達していた。
それで、それであたしの前からゆうちゃんがいなくなってしまったら、あたしはきっとおしまいだ……。
「リッくん?!
ちょっ、ちょっと待って、なにそれずるい。
号泣し過ぎ。
そんなん私が悪いみたいになるから。
ああ、ちょっと、どうしよ、もう、リッくん?
ほら、よしよし、ダーリンに甘えたい?おいで?」
「ゆうちゃああああん!」
「おう、痛っ、ちょっと、や、その涙、ああ、べったり、パジャマに着替えたばっかなのに……。
うん、ごめん、ごめんって、ハニー?
ほら、寒そうだよ?震えてる。
なんか着よ?ね?ほら、だから一旦顔離して、ね?」
「いやだよぉ、いかないでゆうちゃん……ひっく……ダーリンはゆうちゃんだけだよぉ……ひっく……どこにも行かないでぇ……ゆうちゃん大好きなのぉ……」
「うん、わかった、わかったから。
どこにも行かない、どこにも行かないから、うん。
そうだ、シャワー浴びよう。ね?
着替えとってきてあげるから、ちょっとシャワー浴びてきて、ね?」
ゆうちゃんがあたしを脱がしにかかる。
あたしはゆうちゃんにしがみつき、手こずらせ、ひたすら泣きわめいた。
ゆうちゃんは時間にすると10分以上は格闘していたと思う。
そして、なんとかあたしから服を脱がしきった。
その頃にはあたしの涙も枯れ、放心状態になって真っ裸で突っ立っていた。
「ほら、早くシャワー浴びるんだよ?
タオルはこれ使ってね?
服は私が取ってくるからね?」
ゆうちゃんはそう言って行ってしまった。
頭がうまく回らない。
寒い。
そうだ。シャワー……。
強烈な疲労感があたしの頭をぼんやりとさせた。
シャワーの間、ほとんどなにも考えられず、自分が今どんな顔をしているのかすら、鏡が目の前にあるのに全く見えてこなかった。
シャワーから出ると、着替えが用意されていた。
ぼーっとしたままそこにあった服を着る。
脱衣所を出るとゆうちゃんが待っていた。
「リッくん、ちゃんとシャワー浴びられた?」
無意識に
ちゃんと浴びたのかは自分でもよくわからない。
体が勝手にいつものルーティンで動いていたような気もする。
「そっか、それなら良かった」
ググ〜……。
お腹が鳴った。
「え!?今のリッくん!?
夜ご飯食べてないの?」
また頷いた。
頭がぼーっとする。
眠くなってきたかも。
「冷凍のパスタならすぐ出せるけど、食べる?」
「……食べる」
「わかった。
座ってて、温めてきてあげるから」
ゆうちゃんがパタパタとキッチンにかけて行くのを見送り、あたしはぼんやりとした頭のままダイニングの椅子に座っていた。
キッチンから電子レンジのうなる音が聞こえてきた。
電子レンジの温め完了のメロディが聞こえてくる。
「おまたせおまたせ〜。
オーユーパスタのナポリタン温まったよ〜。
あつあつだから、冷ましながらお食べ」
目の前に湯気が立ち上るパスタが置かれ、フォークを手渡された。
「……ありがとう、ゆうちゃん……。
ぁっ!」
熱すぎて上手く食べられなかった。
「あ、ちょぉ!
せっかくお姉さんが熱いって忠告したのに。
そのまま食べちゃダメダメ。
仕方ないなぁもう。
ちょっとそのフォークをお貸しなさい」
あたしの手にさっき渡されたフォークをゆうちゃんが取り上げる。
ゆうちゃんがオーユーパスタのナポリタンをくるくると絡め取るのをただ眺めていた。
「ふー、ふー、ふー。
これくらい冷ませばもう食べられるよね。
ほら、ハニー。
ハニーの好きな人はだあれ?」
「だーあむん」
あたしが口を開いた瞬間、パスタが口の中にスっと差し込まれた。
適度に冷まされたパスタはトマトの酸味と甘みがあり、空腹と愛情のスパイスでいつもより美味しく感じた。
1口食べたら自分でも食べられそうな気がして、ゆうちゃんからまたフォークを受け取って、残りを平らげた。
「ハニー?
まだ何か食べたい?」
食べ終わったあたしの顔を、ゆうちゃんが覗き込む。
「ゆうちゃん最高、大好き、愛してる、食べちゃいたい」
ゆうちゃんの顔がみるみる赤く染まっていき、顔を
「ええと、ハニー?
そういう食べたいは聞いてないんだけど……」
「お腹はもう大丈夫。
ゆうちゃん大好き」
「いや、あの、うん。
リッくん。私もリッくんの事が大好き。
でも、私そろそろ寝るからね?
明日も仕事だし……。
今日何があったのかは、後日しっかり教えてもらうけど…………
まだ私がリッくんの1番ってことで、いいの……?
それだけは、正直に本当の事を言って……」
ゆうちゃんがこちらに向き直り、真剣な眼差しがあたしの目に真っ直ぐ向けられている。
次のあたしの返答次第で、この関係が終わってしまいかねないことが、はっきりと伝わってきた。
だけど、あたしは迷いなく、ゆうちゃんの視線を受け止めて断言した。
「大好きな人はゆうちゃんしかいない。
これは本当の本当で、信じて貰えなきゃまた泣く」
そんなあたしの迷いのない様子にほっとしたのか、ゆうちゃんの不安そうな表情が晴れていく。
「そっか。
わかった。
……ありがとう。
これで今日もいい夢見れる」
「ふふっ。なあに、それ?
あたしがゆうちゃん以外に
「いや〜、それさ。
なんでなのか
私、リッくんに好かれる要素とかあんまりなさそうだしねぇ……実際。
だからいっつもいーっつも不安で不安でしかたないんだけど。
リッくんはずっと私のこと大好き大好き言ってくれるから、嬉しすぎるの。
脳みそバグりそうっていうか、もうバグっちゃってる感じがするかも。
それはリッくんのせい」
「だって、実際ずっと大好きなんだし、言われないより、言葉にして言って貰えた方がいいよね?
あたしは大好きな人に大好きって言ってもらえるの嬉しいし、ゆうちゃんもそうだと思ってる」
「うれしいよ、そりゃあ。
先に惚れたのは私だしね。
リッくんよりもずっと長く大好きしてますから、負けませんよ?」
「勝ち負けは気にしてないけど、これからもずっとゆうちゃんと一緒にいたいな。
ねえ、今日一緒に寝よ?」
「今日はダメ。
今日は無理、もう寝ないとなのに、リッくん寝かせてくれないよね?」
「うん、寝かさない。
ずっとずっと大好きって色んな言葉でゆうちゃんに伝えたい」
「ダ〜メ。
おあずけ、ステイ、ウェイト!
私の心臓が
せめて週末までは待ってもらうからね。
次の日行動不能そうだし」
「じゃあ、週末を楽しみにして頑張るね」
ゆうちゃんが椅子から立ち上がる。
「おやすみ、素敵なマイハニー」
「おやすみ、愛しのマイダーリン」
視線や言葉でお互いの好きを確かめ合い。
リビングから出ていくゆうちゃんを見送る。
フォークやお皿を片付けながら、今日あった色々なことを思い出す。
今日のこと、その内ゆうちゃんにも話さないといけないし、
忘れちゃいけないのは、
ホワイトデーのためにみんなへのお返しも用意し始めないと。
今考えたこと、忘れないうちに全部メモに書き込んでおく。
とにかく明日からもしばらく忙しい日が続く。
それでも、ゆうちゃんや友達や仲間たちに囲まれていれば、あたしはまだがんばれそう、そんな気がする。
よし、布団に入りながら、最近入れた癒し系のアプリを起動して気持ちを鎮めてから寝よう。
このなんとも言えないゆるさがお気に入りだ。
プカプカと小舟でくつろいだり、ゆるゆるなダンスとかをする着せ替えアバターたちを眺めながら、思い思いに過ごすだけなのだ。
みんなもやってる?
ボウーンディーっていうアプリ、おすすめだよ。
しっかり寝て、朝が来た。
支度を整えながら、ゆうちゃんの分も朝食を作る。
今日はゆうちゃんの好きなシャウンセンのウィンナーだ。
昨日手を焼かせてしまったから、今日は残業はパスして、早く帰ってきてゆうちゃんと一緒に夕食を食べよう。
何か美味しいものを食べよう。
そして、ゆうちゃんにたくさん好きを伝えよう。
あたしが誰よりもゆうちゃんを好きだってこと、しっかり伝えて、二度とあたしの前から去ろうとしないように。
大切な二人の時間を、何よりも誰よりも大切にしながら、これからもすごしていこう。
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