第10話 三嶋梨律(リッくん)とバレンタイン9

「何が欲しい?」


あたし自身の真剣な眼差しを花束ふらわーちゃんの瞳の奥に見止めながら、事態の重大さにどうしても表情がこわばってしまう。


「あなたの望むものを1つだけあげる。

今のあたしにはそれが限界。

だけど、あなたが約束を守ってくれる限り、あたしはあなたを裏切らないことを誓うわ。


今は、それだけで許してほしい」


三嶋みしま先輩……私、そんなつもりじゃ……」


大事だいじな事なの。

波柴はしばさんの話を、誰かに一言でも話されたら…………あたしも、波柴はしばさんも、そしてあなたも、花束ふらわーちゃん、"あなたも"タダでは済まないかもしれない……」


「私も……?


あの女が先輩の唇を奪ったのが、どうして私もタダで済まないことになるんですか?」


「単純な話ではないけど、よく理解してほしいの。

でも、それを伝え切る前に、あなたにこの場から立ち去ってもらわれると……あたしはすごく困る」


「だから、先にあなたの望みを教えて欲しい。

あたしがそれに応える代わりに、あなたはあたしの話をしっかりと聞いてくれると嬉しいな」


「私の望みが何か、先輩にはわからないんですね……」


花束ふらわーちゃんが俯いて視線を下げた。


どうやら……あたしが花束ふらわーちゃんの望みを言い当てないと、彼女の望みを叶えてあげるのも難しいらしい……。

正直、今のあたしに花束ふらわーちゃんの望みを言い当てる自信は全くない。

しかし、考えろ。

彼女が何を求めているのかを!


花束ふらわーちゃんはどんな子だった?

あたしに盗聴器を仕掛けて、どうしたかったのか。

そうだ。

盗聴器を仕掛けて、チョコを渡すチャンスを伺っていたのだった。

あたしが彼女のチョコを受け取ることが彼女の望み?

そうじゃ……ないと思う。

そんな簡単なことじゃ、ないと思う。

あたしにチョコを渡したかったのは何故なのか。

あたしのことをどう思っていたのか。

來美くみのことをどう言っていた?

波柴はしばさんのことは?

激昂した花束ふらわーちゃんは、來美くみを"山咲やまざき"と呼び捨てにしていたし、波柴はしばさんのことは"あの女"と言っていた。

今日あたしに関わった2人を目の敵にしている?

昼にお店で話していたことを花束ふらわーちゃんは知らない。

だから來美くみ畠山はたけやま部長が付き合っていることも、もしかしたら知らないかもしれない。

一先ひとまず、そこから攻めてみようか……。


「ねえ、花束ふらわーちゃん……。

來美くみ、いや、山咲やまざき課長がさ、どうしてこの着替えをロッカーにしまってたと思う?」


「どうして今、山咲やまざき課長のことなんて!?

そんなこと、私が知るわけないじゃないですか!」


花束ふらわーちゃんが視線を上げた時、彼女の目には明確な敵意が宿っているようにも見えた。


「実はね、この服は山咲やまざき課長が"彼氏と"、スポーツジムに通ってるから準備してあるものだったの。

花束ふらわーちゃんは知らないのも無理はないと思う。

あたしも今日のお昼に知ったことだから……。


でも、來美くみ山咲やまざき課長は、彼氏と付き合ってることは特に"隠してない"って言ってたんだ。


畠山はたけやま部長も"、いい彼女を持ったよね?

同僚に優しくて、面倒見も良くて、スタイルも良くて、その上、課長職で仕事もバリバリできちゃうんだから。

相当いいヒトよ?」


「たしかに山咲やまざき課長は美人で仕事が出来るかもしれませんけど…………ぇ?

今、畠山はたけやま部長って?!」


「そうなんだよね。

畠山はたけやま部長と山咲やまざき課長は、そういう大人の関係みたいだよ?」


「大人の……関係……。

山咲やまざき課長と畠山はたけやま部長が……」


「うん。

だから、あたしも、來美くみからこの服を借りる時、納得してたんだ」


畠山はたけやま部長の下の名前って、たしか海斗かいとさんでしたっけ?

あのときはなしてたのは、そういうことだったんですね……」


「ね?

だから、彼氏持ちの友達から、たまたま服を借りることができたってだけで、ラッキーだったなあって思ったんだよね」


「……友達から……」


「友チョコももらったし、あたしも來美くみとは友達だと思ってる」


「それ……信じていいんですね?」


「もちろん、信じてくれていいよ」


「キュレールの波柴はしばさんのことはどうなんです?

一方的にキスされたのに……後悔しないって…………。

それは……先輩が波柴はしばさんのこと、好きなんじゃ……?」


「それを気にしてたの?」


あたしは花束ふらわーちゃんの髪を優しく撫で始めた。


「ひゃぁ……」


「ふふっ。

それも心配しないで。

波柴はしばさんは今日、これから婚約相手に会いに行ってるのよ?

あたしは、残念ながら、婚約が決まっている人を好きになったりできるほど、恐れ知らずでもないし、臆病者だから、これから波柴はしばさんを好きになってしまうことは多分無いと思う……。


ただ……」


「ただ……?

ただ、なんだというのですか?」


「ただ、波柴はしばさんが……。

本当は外部に漏らしてはいけない会社の状況も……、婚約のことも……。

あたしにだけはと、打ち明けてくれたこと……。

あたしのことを、それほどまでに想っていてくれたこと……。

それがあたしにとって、ものすごく嬉しいことだったの……。


その嬉しさが、唇を奪われたことよりもまさっていたから、あたしはあの時のことを後悔することは今後もないと思えるの」


「…………」


花束ふらわーちゃんがあたしの独り言のような心象吐露を聞きながら黙り込んでしまった。


「……花束ふらわーちゃん?」


「私も…………」


「……うん?」


「先輩のことを、ずっと……ずっとずっと慕っていました……。

私が入社して間もない頃から、先輩は女子達に囲まれてました。

いつも……そこが羨ましかった……。

私には、その輪に入るのがすごく大変なことで…………。


遠くから先輩のことを見ている事しか出来なかった……。

それでも先輩は、私が作ったブローチを嬉しそうに受け取ってくれて、そして、よく使ってくれていて……。


それなのに、盗聴器を仕込んだなんて…………。

私は本当にバカです……」


「…………花束ふらわーちゃん。


ありがとう」


「……!?」


「あたしは嬉しい。

花束ふらわーちゃんは可愛いのに、いつも声をかけてもすぐに自席に行っちゃうし……もしかしたら嫌われてるのかな、とか。

あたしが"花束ふらわーちゃん"って呼んでるのが良くないのかも、とか、色々と考えちゃってた」


「先輩を嫌いな人なんて!この世に存在しません!」


「ははは……それはちょっと、どうかな?


電車とかでおじさん達の隣りに立ったりすると、むちゃくちゃしかめっ面されたりするし、あははははは……」


「そんな人たちなんて先輩を見る目が無さすぎるんです!

なんなら私がそのおじさん達全員の瞼を縫い付けてやります!」


「あ、いや、ちょっと待ってね……。

どうどう、落ち着いて。ほら、ね?

おじさん達もそんな怖い思いとかしたくないだろうし、あたしに免じて(?)許してあげて欲しいな〜……なんて……」


花束ふらわーちゃんの頭を優しく、優し〜く撫で続けると、少しづつ花束ふらわーちゃんの呼吸が穏やかになりつつあった。


「じゃあ、スネを蹴飛ばすくらいに留めておきます」


「あ、あはははは……。

危害を加えるの……禁止しちゃおうかなぁ〜……はははは……」


この子はちょっと目がマジだからやりかねないところが怖い。

現に盗聴器仕込まれたりしてるし……。

けっこう危ないのでは……?


「で、花束ふらわーちゃんは、要するにあたしのことが大好きって事で、いいんだよね?」


「……ふえ?!それは……!」


急に目の色が変わったのを、至近距離のあたしが見逃すはずがない。

こうなれば、とことん押してみようと思う。

顔を近づけて、耳元で囁いてみる。


花束ふらわーちゃん……。

かわいいよ……」


「ひゃうん?!」


花束ふらわーちゃんの手首を軽く掴んで、その動きを制した。

耳を塞げなくなった花束ふらわーちゃんは、みるみるうちに耳が赤くなっていった。


「あたしが、花束ふらわーちゃんのことを嫌いじゃないってこと……どうしたら信じてもらえる?


例えば…………。

その白い首筋に、キスマークを付けるとか?」


「……みゃっ?!?」


「今の声も……すごく可愛いよ……」


「ななにゃな、ふゃわう?!」


「……どうして欲しいのか……教えてくれないと…………。

…………食べちゃうよ……?」


「……はぅんんん♡」


あぁ……ちょおっっと、調子に乗ってやりすぎたかも?

花束ふらわーちゃんが崩れ落ちそうになっている。

なんとか腰を支えているけど、離したらすぐに床にへたりこんでしまいそう。

まるで、社交ダンスで女性(花束ふらわーちゃん)が仰向けに反るのを男性(あたし)がサポートしているような格好だ。


「……ええと、とりあえず、今日のところは"キス"……」


キスと言いかけたところで、花束ふらわーちゃんの体がビクッと震えた。

キスがしたい……そういうことなのかもしれない…………。

あたし……1日に2回も、彼女じゃない相手とキスする羽目になるの?


「"キス"……」


ピクッと反応している。

どうしよう…………。

波柴はしばさんに唇を奪われたことを知ってるから……、ほっぺにチューとかじゃダメかもしれない…………。

盗撮強すぎない!?

圧倒的に不利な戦いを強いられてる気分…………。

でも……やるしかないのか…………。


花束ふらわーちゃん……目を瞑って…………。

今から"キス"するからね……?」

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