第11話 三嶋梨律(リッくん)とバレンタイン10

花束ふらわーちゃん……目を瞑って…………。

今から"キス"するからね……?


うわっ!?」


"キス"と言い終わる間際、花束ふらわーちゃんの腰を支える腕にさらに体重が乗り、よろけてしまった。

花束ふらわーちゃんの全体重がど〜んと腕に来たように感じだ。

よく見ると花束ふらわーちゃんの目は白目をむいており、鼻からは赤いすじれている。


花束ふらわーちゃん!?

ちょっ、ほんとに大丈夫!?」


返事がない。反応もない。

気絶してる……?

ポタリと赤い雫が床に落ちていった……。

……まずい、止血しなきゃ!


まずは花束ふらわーちゃんをその場に寝かせた。

床に落ちていた自分のスーツのポケットから素早くティッシュを取り出し、適度な大きさに丸めた。


「ごめん、花束ふらわーちゃん!」


謝りつつ、花束ふらわーちゃんの鼻にティッシュの詰め物を突き刺す。

れ流れた鼻血をきとり、これ以上は流れ出てこないことを確認した。

その場を離れる訳には行かなそうなので、來美くみにメッセージで助けを求めた。

医務室の鍵を持ってきてほしいことと、人を1人医務室に運びたいのでエレベーターホールまで誰かよこしてくれるように頼んだ。



5分ほど待っていたら、誰かの足音が聞こえてきた。


「あの、そこの人……。

俺、山咲やまざき課長から頼まれて医務室のかぎ持ってきたんだけど?

三嶋みしま先輩知らない?」


振り返ると後輩の田中たなかくんが医務室の鍵を手にこちらをのぞきこんでいた。

あたしと目が合うと、田中たなかくんは目を見開いて驚きの表情で固まった。

來美くみグッジョブ!


「ありがとう、田中たなかくん。

この格好はちょっとワケあって、急場しのぎに着てるだけだから気にしないで。

それよりも、花束ふらわーちゃんを医務室に運ぶのを手伝ってもらえる?」


「うっす……。

すみません、三嶋みしま先輩。

てっきり知らない人かと思って敬語が抜けちゃいました」


「そっちの肩持って……うん、オッケー。

せーのっ!」


田中たなかくんと一緒に、花束ふらわーちゃんを挟んで肩組みで持ち上げた。

そのまま医務室に向かって歩き出す。


田中たなかくん。

今度から知らない人に話しかける時は、もう少し敬語を意識しといた方が、何かと困らずにすむかもよ?

あたしは別に構わないけど、もっと年配の人だったら、多分それだけでお説教だったかも」


「うっす……。

三嶋みしま先輩で良かったっす。

つか、その格好……。

俺的にはありよりのありっす」


「うん、そうそう。

前に教えたこと、実践してるみたいね。


女性は気づいた時に言葉に出して褒めるのが良いってやつね。

どんどん使っていきなさい」


「…………うっす」


なんか返事までがあったけど、後輩が自分の教えを守っているのは嬉しいものだ。

もう少し伝わりやすく褒めるように、相手に合わせた言葉選びは必要かもしれないが、意識して実践できているのと、全くできないとでは雲泥うんでいがある。

あたしには普段から田中たなかくんが言っている"ありより"とか"ないより"とかの意味が何となくわかってきたので、今の格好が田中たなかくんにとって良い感じだということはわかる。

褒めていることが相手に伝わっているので及第点である。


田中たなかくん。

今日は忙しいだろうにごめんね」


たしか田中たなかくんも女性の先方からの受けはそこそこ良かったはずだ。

あたしが研修担当した最初の教え子みたいな感じだから、何かと仕事状況などをメーリングリストで把握できるようにはなっている。


「いや、俺今日、ドひまだったっす」


「え?そうなの?

バレンタインだし、会合とか入れられたりとかしなかった?」


「いや、特になかったっす。

というか全部リスケしたっす」


「なんで??

バレンタインに会合したら、先方の女の子とかからチョコもらえるじゃん?

わざわざリスケしたってことは、なんか理由とかある感じ??」


「先輩は大変そうっすね」


「ん?ああ、けっこう大変だったというか、今もその延長線上にまだいる感じ」


「そっすか」


なんかはぐらかされた気がするけど、本人が特に焦ってなさそうだから、まあいいのかな。

仕事の進め方は人それぞれだから、先輩風吹かせまくってあんまり干渉し過ぎるのも良くないし。


「先輩。

先輩は誰かにチョコ渡さないんですか?」


「え?う〜ん。

あたしはバレンタインにはもらう側でホワイトデーにしっかり返す派だから、誰かに渡すチョコは特に用意してなかったなぁ」


「そうなんすね。

教え子とかにもチョコなしっすか?

期待ありよりのありだったんすけどね」


「ああ、ごめん。

そっか、教え子にチョコ渡すとか、なるほど、盲点だったわ。


たしかに來美くみ山咲やまざき課長とかはチョコをのみんなに渡してたりするもんね」


三嶋みしま先輩の教え子って、俺と小南こみなみだけっすよね。

あいつには渡してないんすよね?」


「うん、こみちゃんにも渡してないよ。

なに?ライバル心メラってる感じ?


こみちゃんと田中たなかくんは全然タイプが違うから、あんまライバルって感じしないんだけどな、あたしは」


小南奏音こみなみ かなとくんは田中将貴たなか まさたかくんの同期で、ちょうどあたしが研修を初めて任された年に入社した2人だ。

他にも同期はいたが、残念ながら今残っているのは2人だけだ。

そして、その年だけ研修を担当して、翌年から畠山はたけやま部長からの引き継ぎやなんだで研修に回ることができないくらい忙しくなった。


田中たなかくんは、デンマーク人のおばあちゃんを持つクォーターで、色白の高身長のイケメンだ。

物静かながら頭が良く、何事も要領よくこなせる天才気質。

しかし、愛想はあまり良くない。

ミステリアスというのか、何を考えているのかよく分からないのだが、それでも取引先の女性から人気があり、彼の担当している相手先からクレームが来ることはほとんどない。


対して、こみちゃんは、身長は低めで頑張り屋なんだけど、ちょっと抜けてるところがあって、憎めないキャラクターだ。

相手の話を親身になって聞く姿勢や、ぱっちりタレ目なところとかが年上の女性にウケるのか、いつも先方から呼び出されて奔走しているイメージが定着しつつある。


そうこうしているうちに花束ふらわーちゃんを医務室のベッドに横に寝かせることが出来た。


「ありがとね、田中たなかくん。

助かったよ。

あとはあたしが見てるから、オフィスに戻ったら山咲やまざき課長によろしく伝えておいてね。

メッセージも送っておくから軽くでいいよ」


「うっす。

この人、早く目、覚ますといいっすね。

手伝ったお礼に、これはいただいても良いっすか?」


いつの間にか田中たなかくんの手にはレース編みで包装されたチョコが1箱握られていた。


「それ……どうしたの?

まさか…………」


「この人が持ってて、運ぶ時みぞおちに当たって痛かったから抜き取ったっす」


「返して、くれない?」


「嫌っす。

こんな肉体労働させられて、何もなしなのはなんか納得できないっすから。

これはもらってもいいっすよね?

どうせ先輩が貰う予定だったんだし、それを先輩から俺にくれてもいいと思うんすけど」


あのレース編みは恐らく、花束ふらわーちゃんの手作りだ。

繊細な編み込みに作り手の想いが込められている。

たぶん、このチョコを渡したくて、盗聴までしてあたしの行動を探っていたのだ。

その想いをまだ本人から受け取れずにいる……。

それを持っていかせる訳には、絶対にいかない……!


「ごめん。

今度この件のお礼はあたしから直接するから、それはあげられない……。

返して?」


手が届く距離にある花束ふらわーちゃんのチョコの箱に手を伸ばす。


「……ぇ?きゃあっ!」


伸ばした腕を力強く引っ張られて、体勢を崩し、前のめりに倒れこむ。

引かれた腕に走る痛みと、倒れる恐怖から、いつもの声音より高い音が自分の喉から発せられた。

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