第3話 三嶋梨律(リッくん)とバレンタイン2
バレンタインがチョコの日というのは、世界を探しても日本だけらしい。
カップルができるとかも日本だけらしい。
企業のイメージ戦略の一種がバッチリとハマった結果。
あたしのような苦難を経験したり、逆に失恋したりという不運を産むという、なかなかに業の深いイベントだ。
バレンタインのおかげで上手くいったという人もいるかもしれないが、要するにその影には色々な出来事があるということだ。
駅のホームに電車到着ギリギリで着くように、歩く歩幅で速度を調整しつつ、人通りの多い道を行く。
時刻は朝の7時。
いつも家を出る時間より1時間近く早い。
それだけで、自分のいつもの行動パターンを熟知している相手から、朝のアタックを避けられる。
いわばフェイントだ。
電車に乗り込む時も、周りをよく確認して、なるべく知り合いではないおじさんたちに前後左右を隣接したところが狙い目だ。
あたしはこれを"おじさんバリアー"と呼んでいる。
あたしみたいな高身長の中性的な見た目の女は、ある程度年上のおじさん達には全く受け入れられない未知の生命体らしく、敬遠されがちだ。
人によっては思いっきりしかめっ面をされることもあるから間違いない。
そして、そういうおじさん達は、若い女子たちからは忌み嫌われている。
だって、女は全員男よりも弱い立場にあると思い込んでいるのだから、嫌われても当たり前だろう。
日本ではほんの数年前まで女性が高位の地位を持つことすらなかった完全なる男尊女卑の国だ。
男女雇用機会均等なんたらというあたかも女性の権利を尊重するかのような法律が作られたこともあるが、実際に効果があるのは雇用の入口だけで、上の世代が作った分厚い偏見と差別の壁はそんな簡単に瓦解することはなかった。
それ以上の効果を発揮することはないお飾りの法律は、女性の決起集会などの社会運動の抑止として上手く機能している。
実際、雇用はする、雇用したら会社のルールに従ってもらう。
重要なポストは与えないというのが常態化して久しい。
男性社会を維持したいという中年以上の男性は多く、しかも年功序列の名残でそういう輩が最重要ポストにおさまっているのだから、どうやったところで女性の進出なんて夢物語でしかないのだ。
彼らが全員退いて、会社の自然な新陳代謝が成り立つまでには、さらに10年はかかることだろう。
本当の意味で均衡の取れた男女バランスの会社は現実的には現在一つも存在していない。
というのが、あたしから見た日本社会の現実だ。
実態として未だに女性はある一定以上の地位を持つことが非常に難しい社会が続いているという、事実はあたしの目だけでなく、多くの女性が感じていることだろう。
若い女子たちはそんな醜い社会を肌で感じて、事実や現実を目にして、そしてそんな現状を大いに不満に思っている。
なかには一方的に庇護される対象となることを受け入れて、不平等で歪な社会に適応し、折り合いをつけられる者もいるが、大半の女性は納得などしていないと思う。
女性が未だに社会的地位が低い状態が続いている国は経済発展国の中では少ない。
日本は入口だけの、スタンス倒れの、影響力の限りなく低い、見かけだけやっている感じを出すための法の設置だけに留まっており、根本的なところはほとんど改善をしなかった。
女性が暮らしにくい国が国際的な競争力を担保できるはずもなく、経済発展国の中で日本だけはこの30年間、全く経済成長をしてこなかった。
ほかの国々は30年で経済が上向いていて成長しているにも関わらず、日本の1人負けの30年という学者もいるくらい、日本の状況は海外から悪い経済状況にある例としてよくよく引き合いに出される。
女性が生き生きと生きたくば、海外でより発展的な国に行くことが最も良い結果をもたらすのは間違いないことだ。
そういうわけで、絶対的なディフェンス能力を誇る"おじさんバリアー"はあたしにとって、つかの間の休憩ポイントとなる。
いつも降りる駅を
乗り過ごし、次の駅で降りる。
可能な限り早足で階段を上り、改札を通り抜ける。
ヘッドフォンを装着して、あたかも音楽を聴きながらという感じで目の前の人の背中だけを見ながら、駅の南口を出た。
今日は別ルートで会社に行く。
そのために会社の最寄り駅とは別の次の駅で降りたのだ。
ここからビルとビルの合間を縫って、大回りに会社の警備員室側の扉に向かう。
普段は正面からしか出入りしない。
正面から入ろうものなら、すぐに誰かに捕まってしまう。
できるかぎり、普段とは行動パターンを合わせない方が、人を避けるには効果がある。
そのために、ここ1ヶ月は限りなく同じダイヤの電車、同じ車両の、同じ位置、同じ時間に正面から出社していた。
これだけあからさまに同じ状況を繰り返せば、ここぞという時のフェイントとしての効果がより期待できるというものだ。
下準備や調整はアスリートやスポーツ選手にとって1番重要なことの一つだ。
それにしてもおかしい。
離れてはいるものの、会社で見る顔ぶれを何人か見かけた。
これだけいつもと違うところにいるのに、なぜ彼女たちはあたしのことを何度も見つけることができるんだろう?
駅を出てすぐと、先程の交差点でも見かけた。
スマホを手にしていたような気もする。
すると自分のスマホが振動した。
驚いて画面を見ると、同僚の
「おはよう、
どうしたの?こんなに朝早くに」
「おはよ、それより……。
6丁目から歩いて来るつもり?」
「え?なんで?
いや、あたしは今、3丁目交差点にいるから、もう少しで会社には着くよ?」
なぜか
「相変わらず嘘が下手ね。
今は5丁目のファミソンの前でしょ」
「……!」
まさにその通りだった。
でも、どうして?
「
あたし、からかわれてる?」
「いないわ、バカ!
あんたの携帯から出てるGPSをみんな追ってるだけよ!
いいかげんに気づきなさい!」
「じ、じーぴーえす!?」
「ああ、もう!
機械得意顔だけは上手い子!」
ピロリン♪
なにかメッセージが届いた。
「今送った画像の通りに、通知からそのアイコンをタップして、それで追手はあなたを正確に追えなくなるわ。
お店にでも入って、少し時間潰してから来なさい」
「う、うん、
「じゃあね」
通話は早々に向こうに切られてしまった。
送られてきた画像をみて、言われた通り操作してみた。
そのあと、時間を潰すために、会社の方向とは別の通りに歩き、そこにあったコンビニの中に入った。
それにしても、GPSとは恐ろしいものだ。
これだけ用意してフェイントをかけにかけたのに、追われるなんて……。
背中に少し冷たいものが流れた。
会社に着いたらすぐにでも背中を拭きたい。
時間を少し空けて会社に向かう。
警備員のおじさんに挨拶をして鍵を開けてもらう。
重たい非常用の扉を引いて開けると、カツカツとつま先でむき出しのコンクリートの床を叩く音と共に
「
さっきはありがとう」
ギロリと鋭い視線がこちらに真っ直ぐ向いてきた。
「あんた、スマホ見せなさい」
「え?GPSだったらさっき切ったよ」
「いいから貸しなさい」
手元から強引にスマホを取られた。
「ちょっと、
どうして」
「あなたを追跡するためのアプリを消すのよ」
「え!?」
「ほら、消したわ。
これで追跡はできないと思うわ」
「あ……。
Gともが消えてる……。
もしかして……」
「そうよ。
Gともは許可したメンバーの位置を常に共有するアプリなの。
でも、あなたはそういうアプリはいらないでしょ?」
「う、うん。
知らなかった……。
結構色んな人とフレンドになった気がするけど、そんなことができるものだったんだ」
「あんたが誰彼構わずにフレンドになって、位置情報も許可してるから、あの子たちもあんたが好意的だって勘違いしちゃうじゃない」
「ご、ごめん。
そんなつもりはなかったんだけど……」
「私はあんたがそんな気がないことなんてすぐにわかるけど、あんたのことしか目に入ってない連中はそうは思わないわ。
だから、気をつけなさい」
「…………ありがとう、
「はい、これ」
あまりにもショックが大きくて、
「今日はバレンタインでしょ?
友チョコよ」
今日はチョコを受け取らないという目標が、初っ端から達成できないことになってしまった。
衝撃を受けながら、チョコも受け取ってしまい、気持ちの整理がついていないあたしを見かねたのか。
「あなたがチョコを受け取りたくないのは今日の行動をみていれば何となく分かるわ。
でも、それはあくまでも私からの友情の証だから、あなたは気にせずそれを食べてしまいなさい。
遠回りをして疲れているでしょう?」
手渡されたチョコの箱は軽い。
たぶん、今すぐ口に入れれば、会社のドアを開ける前に食べ切れる。
そのくらいの量なのだろう。
「ありがと」
「いいからさっさと食べて、行くわよ」
少し高級そうな包みを開けて2粒のチョコが入っている。
ひとつを口にして、
登っていくエレベーターの中でもう1粒も口に入れた。
口溶けがよく、とても美味しい。
たしかに、少し疲れていたのかもしれない。
出かける前に入れた気合いが色々とあって削がれかけていたが、
ほんとに美味しいチョコだった。
今度はゆっくりと味わって食べたいな。
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