七の巻 妖術競いあいて京の夜空を騒擾せしこと その四

 織物問屋松越屋の広間では、若旦那市之助いちのすけが十二畳の部屋をいったりきたり、落ち着きなく歩き回っていた。家の者達はもう寝支度を始めるような時間で、市之助の足音だけが、屋内に響きわたるようであった。

「どないなっとるんですか、真砂まさごどの。もうかれこれ十日も経つというのに、里緒はんにはなんの変化もないやおへんか?」

 真砂菫丸まさご すみれまるは部屋の真ん中で悠長な顔でなにか折り紙を折っている。

「まあ、そうあせったところでどうにもなりません。この呪いは効果がでるまでに時日がかかる、と最初から申し上げておいたはずです」

「そうはいうても、もう十日も経っておるやないですか」

「まだ、十日です」

「ううむ」

 菫丸は、内心、

 ――あさはかな御仁だ。

 と侮蔑していた。

 当初は、縁談をことわった高丸屋の娘里緒の気持ちをこちらにむけさせてくれ、と泣きついて来たものであったが、そんな都合の良いまじないはない、と一蹴すれば、今度は呪い苦しめてやって欲しい、と愛情を憎悪へと変化させた。

 嵯峨野の御前宇陀宮うだのみやとの縁からの依頼であったが、那須仙之丞なす せんのじょうの進める作戦に利用できるから依頼を引き受けたまでで、そうでもなければ、市之助という男はまともに相手にしたくないほど愚かな人間であった。

 自分の考えをころころと変化させたあげく、ことが思い通りに運ばないとこうしていらいらと他人にあたってくる。これではこの先松越屋の先行きもこころもとない。これだから、高丸屋の里緒にも袖にされるのだ、と菫丸は心のうちであざ笑っていた。

「いたしかたありませんな」

 そう冷淡に言って菫丸はたちあがると、庭へとおりた。

 そうして最前から折っていた鶴の折り紙を羽根をつまんで翼を広げた。これは呪符を折ったものであったが、それを手のひらに乗せ、口の中でもぞもぞと呪文をとなえながら、片手で印を切って、ふっと折り鶴に息をふきかけると、鶴はまるで本当の鳥のように、すっと飛びあがり、東へ向けて飛んでいった。鶴は飛びながら烏へと変化して、標的を目指して飛翔する。

 そしてしばらく、目をつぶって呪文を唱え続けていた菫丸であったが、

「はっ!?」

 と驚愕して目を見開いた。

 烏が高丸屋に到達したとたん弾き出されたのを感じ取ったのであった。

「これは……」

 いままで高丸屋のおこなった安っぽい加持祈祷とはまるで違う。鉄でできた壁のような結界が高丸屋の屋敷を覆っている。

「ははは、やっと出てきたな」

 あの新選組よろず課というふざけた連中が、またぞろ菫丸たちの前に立ちはだかろうとしていると直感した。そして、

 ――これで事が成ろう。

 胸中ほくそえんだ。

「若旦那。今日はこれでおいとまいたします。まあご安堵ください。近日ちゅうにケリをつけますよ」

 若旦那の方を見もせずに言うと、菫丸はそのまま裏木戸へと歩いて行ってしまった。

「あ、え、たたた、頼みますよ、菫丸はん」

 すがりつくような目をして市之助が見送った。


「むっ!?」

 高丸屋の縁側で祈祷のことばを唱えていた詠次郎が不意に顔をあげた。

「みなさん、屋敷の西側になにか不審なものがないかみてきてください」

 提灯片手に庭で見回りをしているよろず課の面面に頼んだ。

 屋敷の四隅に紙垂しでをつけた竹を立てて結界を張っていて、なにかがその結界に触れた感触があったのだが、

 ――おそらく何もでまい。

 という気がしていた。

 敵がもしこれまで呪符などで事件を起こしてきた者と同一だとすれば、足のつくようなヘマはしないだろう。敵はそれほど用心深く、知恵のまわる相手だった。

 そして、ちらと横目で里緒の様子をうかがった。

 彼女は何事が起きたのかと不安げな表情であたりを見回していた。

「ご安心ください」と詠次郎は声をかけた。「今、呪詛のようなものが結界に触れましたが、防御いたしました」

「そ、それはありがとうございます。こころなしか体の気だるさが弱まった気がしますわ」

 そう言って柔らかく笑った里緒の目もとが、

 ――やっぱり似ているな。

 と詠次郎の記憶をくすぐるようだった。

 数年前に亡くなった妹の印象が時々里緒の顔と重なるのだった。

 家の貧しさのせいで、妹は病にかかったがろくな治療もできずに短い生涯を閉じた。

 妹と面差しの似たこの娘はなんとしても守ってやりたいと思う。

「だからといって、敵があきらめたわけではありません。明晩には本腰をいれて攻めてくるでしょう」

「なにとぞ、お助けください」

「敵の呪術師は相当な使い手のようです。その呪術師を雇った者がいます。それほどの恨みを買うような覚えは本当にございませんか?」

「先日らい、考え続けているのですが、いっこうに思いあたる節がないのです」

「さようで」

 相手の居所がわかれば、対処もしやすいのではあるが。

 気が張っていたのだろう、里緒の行燈のほの明かりで照らされた顔の影が、妙に濃くみえる。

 詠次郎の後ろで控えていたゆさもそれに気がついたのだろう、

「念のため、今夜は寝ずに番をいたします。お嬢様は安心してお眠りください」

 里緒に休むようにうながした。

 深く頭をさげて自室へと里緒がもどると、張りつめていた緊張がほどけたせいであろう、ふと詠次郎は疲労を感じて、指で目頭を押さえた。

 ――明日にでも敵は激烈に攻撃してくるに違いない。

 という確信が詠次郎にはあった。

 無駄に時日をかけて微小な攻撃を続ければ、呪詛返しをされて正体が発覚することは、敵もわかっているだろう。

 ――必ず守らねばならぬ。必ず。

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