七の巻 妖術競いあいて京の夜空を騒擾せしこと
七の巻 妖術競いあいて京の夜空を騒擾せしこと その一
今日も今日とて暇が羽織を着て歩いているような
喬吾は、店のかどから首をのばし、こそこそとした様子である。なにか道の先のほうが気になっているようだった。
場所は
「なにしてるんです?」結之介はおもむろに近づくと、無防備な後ろ姿に声をかけた。
「うひゃっ、なんや、結ちゃんかいな。脅かすなや」
「いや、あからさまにアヤシいんですけど」
「ちょっと、とにかく、こっち入り」喬吾は結之介を店の陰にひっぱりこむと、「あれ、見てみいな」
喬吾がアゴで指し示す先を結之介はつられるように目を動かして見た。
「あれは……」
同僚の
「詠次郎さんですね。それがどうかしたんですか」
「どうかしたやあれへんわ。よう見てみい」
「いや、いつも通りの詠次郎さんですけど」
「あもう、その前や、そのずっと先や」
「詠次郎さんの前に、女の人が歩いていますね」
女はどこかの商家の子女と見える、十五、六くらいの、みなりのいい娘であった。その後ろに付き添って歩いているのは、お付きの婆やかなにかであろうか。とすると、そこそこ羽振りのいい店の娘かもしれない。
「あのムッツリすけべ、ずっとあの子のあとをつけとるんや」
「んな!?なんと、あの真面目が草鞋を履いて歩いているような詠次郎さんがまさか」
「まさかも
「ううむう」
新選組の羽織を着た男がふたり、店のかどから頭だけをだしてうなっているのを、町衆が怪訝そうにみやって、足早に通り過ぎていく。
そこへ、
「なにをやっとるかっ」
ふたりの頭をぽかりぽかりと殴りつけた者がいる。
「なんやねんっ!?あ、ダンナかいな」
「内職の手伝いもしないで、こんなところで油を売っておるとは、いいご身分だな」
「いえ、違うんですよ」
「そやで、詠ちゃんに不審の儀これあるによってやな」
「ちょっと見張っていたんですよ」
「なに、詠次郎が?どこにおる」
「ほれ、あそこに……、っておれへんやないかい!?」
「見失ってしまいましたね」
「ダンナがよけいなちゃちゃ入れるさかいに」
「だれがちゃちゃを入れたか」
「しゃあないなあ、もう帰ろ」
「そうですね」
「なんだ、俺、なにか悪いことしたか、おい?」
よろず課詰め所まで帰る道すがら、ふたりは一心にことのあらましを説明した。
「ううむ」
「でしょ、さすがの一心さんもうなってしまいますよね」
「なんせ、あの詠次郎が女のあとをつけとったんやからなあ」
「しかし、あの詠次郎がなんで」
「たぶん、女に惚れてもうたんやあれへんかなあ。それでこっそり後をつけて、てごめにしてしまおうと」
「ばかもん、それは考え過ぎだ」
「わかれへんで、ああいうまじめくさった人間にかぎって、極端な行動に出たりするもんやさかいな」
「ばかもん。だが、そう邪推されるような行動をとる詠次郎も詠次郎だ。これはひとつ説教をしてやらねばなるまいな」
その夜――。
よろず課一同は、夕食の膳を前に、誰も箸をつけずに、じっとひとりの男の帰りを待っていた。
居間は五人の男女がそろっているにもかかわらず、静寂が支配して、しんとした無音が耳に痛いほどであった。
「いや、別にご飯食ってもいいんちゃうかなっ!?」
あまりの沈黙に耐えかねたように喬吾が言った。
「うん、僕もそう思うぞ、さあ食べてしまおう」
そう言って箸をとった
とそこへ、問題の男が、小さな声でただいまと挨拶しながら、帰って来た。
そうして詠次郎は自分の膳の前にすわりながら、
「なんですか皆さん、さきに食べているものとばかり……」
えへんと一心の大仰な咳払いが、詠次郎の言葉をさえぎった。
「詠次郎、そこへすわりなさい」
「もうすわってます」
「俺はがっかりだ、詠次郎」腕を組んで胸を張って威圧するように、しかし心底がっかりしたように一心が言った。
「俺も残念です。まじめなかただと思っていた詠次郎さんが、まさかあんなことをするなんて」結之介はうなだれながら言う。
「あの……、皆さんなにをおっしゃっているんですか」
「すっとぼけんなや、詠ちゃん」相手の弱みを握ったときの喬吾は、もはや鬼の首をとったかのような威張りようだ。「ネタはあがってるんや。とっとと自分の罪を白状するんやな」
「いや、罪と言われても」
「俺たちは見ちまったんだ。夕方、おめえさんが女の後を付け回しているのをな」なぜか一心は伝法な口調である。
「女の……、あと、ですか……?」
「女のあとをつけるなど、男の風上にも置けん。僕が成敗してやろう」夜十郎は本当に刀を膝にひきよせた。
と、
「あはは、はははは」
詠次郎が唐突に笑いだしたものだった。
追い詰められて開き直ったとも見えるくらいに、普段の彼からは想像もできないくらいの、奇妙な笑いかたであった。
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