六の巻 浅薄な青年に艱難おとずれしこと その七
翌朝であった。
けたたましく玄関の戸を叩く音が詰め所内に鳴り響き、よろず課一同はいっせいに飛び起きた。
なにごとかと一心が応じると、
「監察の山崎だ。ちょっとあけてくれ」
一心はしまったと思った。後ろにいた結之介に、喬吾に隠れるように伝えさせ、ふっと深く息をして気を落ち着かせてから、一心は玄関をあけて
ちなみに諸士取扱(諸士調役とも)兼監察というのは、外に向かっては不穏分子の探索、うちに向かっては隊士の風紀取り締まり、心にやましいところのあるものは敵も味方も皆が道を避ける、新選組鉄の掟の代行者である。
「朝からすまんね。でも役目だから、堪忍してくれ」
そういって、山崎はふたりの隊士とともにずかずかと上がってきて、襖を開けたり、押し入れを調べたり、外の厠までものぞきに行って、
「おかしいな。ここに村瀬が帰っていると報告を受けたんだが、まるで気配がないねえ」
「ええ、帰ってませんから。なにか見間違えたんじゃありませんか」
「柘植、隠してないよね。隠すとタメにならないよ」
「隠してません」
「ううん」
とうなりながらも、さらにひととおり家のなかを捜索して、
「すまん、朝っぱらから騒がせたね」
悪びれもせずそういって、帰って行った。なんだか、つむじ風が家のなかを駆けめぐっていったような具合であった。
山崎たちが屯所のほうへ姿を消すのをみとどけてから、一心は居間に戻ってきて、
「うまく隠れたな。喬吾、もう出てきていいぞ」
「いえそれが」おずおずと結之介が、「いないんです、喬吾さん。影も形も。夜具までちゃんとかたづけて。置き手紙だけはありましたけど」
「なんだと」
「そういえば、夜中に誰かが裏口からでていったな」夜十郎がぽつりと言った。
「なんで、とめなかった」
「いや、半分夢のなかで物音を聞いていたし。厠にでも行ったのかと思うじゃない」
「ううむ」一心がうなった。「で、置き手紙はなんと」
「まだみていません」と結之介は置き手紙を一心に手渡した。
一心は手紙を手荒く開いてさっとよんで、ううむ、とまたうなった。ゆさがその手紙をひったくるようにとって、文字を追いながら、
「あのクソだわけ。勝手なことして」
悪態をつくのだった。
まだ朝露でしめった庭の草を踏みながら、女は井戸端で口をすすいでいた。
東山の稜線から村をのぞくように頭を出しはじめた朝日に薄く照らされるなか、黒い人影がさっと彼女のもとへと忍び寄ると、ぎゅっと抱きしめて口を重ねた。
「ん、あかんやないの」
きつく抱きしめられてもがくこともできず、女は自由になる顔だけをいやいやするように振った。
「あの男が処分されるまでは、会わへんって約束やったやないの」
「ああ、もう大丈夫だ。喬吾は処刑された。切腹させられたんだ」
ひきつった笑みを浮かべて、男はまた女の口を吸った。
そこへ、
「なんや、追われとるこっちがアホらしゅうなるのう」
庭の裏木戸のあたりから、ふたりに向けて声をかけてくる者がいた。
はっとして、ふたりは離れると、声のほうに息を合わせたように振り向いた。
「のう、甚平、お千代はん」
「きょ、喬吾、どうして」
「どないもこないも、お前の後をこっそりつけただけの話や。それくらい他人に訊く前に自分で考え」
喬吾はあたりをくるりと見渡した。大きな茅葺きの屋根と、広い庭には鶏小屋があって、さきほどから、鶏たちがたからかに合唱をはじめていた。京の北のはずれの大宮という村にある農家の一軒であった。
「ここはお前らの知り合いの農家か。西陣からざっと二十町(二キロ)くらい、隠れるには手ごろな場所やなあ」
「俺たちが組んでおったって、なんで気づいた」
「確証があったわけやあれへん。ただ、お前はあやしかった。こないだ再会したときからあやしかったんや。ほいで、仲間に頼んで俺が処分されたという噂を流させた。お前の耳に届くまでじっと待つのはちとつらかったけどな。三日もお前のあとを、こっそりつけまわしとったんやで」
「…………」
「あの時、――俺たちが再会したあの時、お前は俺が新選組の羽織を着ているのを見る前に、声をかけられて驚いていたそぶりをした。それなのに、お前は俺が新選組だから驚いたと言った。おかしいじゃないか。それは俺が新選組の隊士になったと知ったうえでしくんだからや。お前は偶然をよそおって俺に気づかれるように、俺の前にあらわれた。そうやってお前の存在を俺に印象づけておけば、なんかあったときに自分のところに逃げ込んでくるだろう、っちゅう計略や。俺はまんまとその計略にはまった。お千代はん殺害の下手人として追われて、お前の家に逃げ込んだ。しかもあの時、俺は追われているとはひとことも言いもしないのに、お前は妙に冴えた勘ばたらきで俺を逃亡者と見抜き、目明かしなんぞを呼びに行った。あれも奇妙やったな」
千代がぐっと唇をかんだ。
「お千代はんもよう考えたもんや。依頼主として俺に接近した。脅迫状が投げ込まれたなんて嘘までこしらえてな。脅迫は全部あんたの自作自演だ。そうしてあの夜、居残り仕事をして、うまくお膳立てを整えて、血を――おおかた鶏か犬かなんかの血やろ、それをぶちまけて、
喬吾はすべてを見透かして高みに立ったようにふたりをゆびさした。
「うまくしこみすぎたな」
にやりと笑って喬吾は続けた。
「うまくしこみすぎて、すべて違和感だらけや」
「…………」
「けどなんでや。なんで俺をこんな手の込んだまねまでして、ハメる必要があったんや」
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