六の巻 浅薄な青年に艱難おとずれしこと その六

 なにか手がかりでもないものかとうろうろしている夜十郎と詠次郎と合流し、結之介は思い立って、千代の奉公していた料亭に足をむけた。

 船岡山というこんもりと平野にうずくまる小山を右手に見ながら、北野天満宮の東側にあるその店にいき、遠慮して裏口で案内を乞うと、対応にでてきた女将は、今忙しいんですけど、などと露骨に嫌な顔をした。

「ご迷惑は承知のうえでうかがっております」

「もう知っていることは全部町方に話しましたから」

 女将は、痩せた顔に白粉おしろいを塗ったくって、歯の出た口を不快そうに曲げた。

「あの日はお千代はんが、なんやお金が入り用やもんで、ちょっと長めに働かせてくれへんか、言うもんやさかい、お客が大勢来やはって立て込んで忙しい時分でしたんで、まあ一刻(二時間)程度ならかまへんいうわけで、居残りしてもらったんどす」

「その帰り道に事件がおきた」

「いつもどおり暮れ六つ(午後六時)に帰ってもうろうとったら、あないなことにはなれへんかったですやろなあ」

「お千代さんの様子に変わったことはありませんでしたか」

「ありまへん。いつもどおり、よう働いてくれとりました」

「なにか気になることを話したということは。例えば脅されていたというような」

「ありまへん。普段から無口なたちの子やったですし。女中たちにも別段なにも話してはおらんかったようどす」

「では、悩んでいるようすもありませんでしたか?」

「まったく。……え、おみち、なんやなにがないて?そんなん自分で探したらええやろ。あ、ほな、忙しいのでこれで」

 とぴしゃりと話を打ち切って、女将は台所の奥へと消えていった。

 女将の無礼な態度だけではない、女将の語った千代の話にも、なにか釈然としないものを感じながら、店の裏口のある狭い路地を抜けて、表通りへと抜け出た。

 日当たりの悪い路地からでると、まぶしい夕日が目を射るように輝いていた。

「なんか目ぼしい話は聞けたかい」

 夜十郎がふと話しかけてきた。

「べつだん。邪魔者あつかいされて、ほうほうのていで逃げてきたよ」

「京の店は、客を客とも思っていないところも多いからね。結之介君は彦根の出だったっけ。面食らうだろう」詠次郎が気の毒そうに言った。

「ははは、こっちへきて数カ月じゃあ、なかなか慣れませんね」

「何年いても慣れそうにないけどね、僕は」夜十郎はあきれ顔である。


「疲れているところ悪いが」

 と詰め所に帰った三人に向かって一心が言った。

「誰か檜野ひの町に戻ってお千代の家を見張ってもらいたい。お千代が生きていてひょっこり帰ってくる、または犯人からなんらかのつなぎがあることも考えられる」

「でしたら私がいきましょう」詠次郎がすぐに答えた。「私は犯罪捜査なんてまったく苦手な分野ですから、見張りくらいしか役に立てそうもない」

「うん、すまない。路地で人の出入りを監視してくれればいい。あやしい者が接触してきても、無理に捕まえようとしたり、追いかけたりもしなくていい。人相風体だけを覚えておいてくれ」

「わかりました」

「ああ、待って。すぐにお弁当くらいこしらえましょう。おにぎりくらいしか作れませんが」

「ご造作をおかけします、ゆささん」

 と詠次郎はすぐにしたくにかかった。

 そうして結之介は、聞き込みをして得た内容を、

「手がかりになるかどうか」

 と話しだした。

「長屋のかみさん連中に聞いたところでは、投げ文の脅迫の件は誰も知りませんでした。あやしい者も見ていないようです。あとは、そうそう、お千代さんにはお姉さんがいたらしいんですが、先年病で亡くなったそうです」

「お姉さん?」たちまち喬吾の顔つきが不審げにゆがんだ。「俺、そんな話はちっとも聞いとらんかったわ」

「おかしいですね、よもやま話の流れなんかで、ひょいっと話が出てもよさそうなもんですよね」

「うむ、結之介、続けろ」一心が眉間にシワをよせている。

「はい、あと余計なことだったかもしれませんが、お千代さんの働いていた料亭にも回って、女将にも話を聞いてきました。いけませんでしたかね、一心さん」

「いや、よく気がついた。それで」

「女将が言うには、昨日はお千代さんが、お金が入り用だからと居残り仕事を申し出たそうです」

「なんやて?俺には、急な客が大勢きたもんやさかい、居残りをさせられた言うとったんやがな」

「脅されていたようすもなかったと聞きました」

「そいつは、奇妙な話だな」一心が腕を組んで眉間のシワを一層深くした。

「では、行ってまいります」ゆさから弁当を受け取った詠次郎が丁寧にあいさつした。

「うむ、今の話を聞いていたな。お千代という娘はちょっと不審な儀が出てきた。くれぐれも油断なきようにな」

 一心は念を押すように言って、詠次郎はうなずいて出て行った。


 その夜は、床についても喬吾に睡魔はまるでおとずれなかった。心身ともに疲労困憊の極みにあるにもかかわらず、頭はまるで覚醒したままで、さっきから同じ想念が行ったり来たりし続けるのだった。

 ――お千代はんは何を考えて、ちぐはぐなことをし続けていたんや。

 投げ文は実際に存在するのに、それを投げた人間または不審な人間を誰も見ていないこと。喬吾には店の都合といいながら、本当は千代から願い出て残業をしていたこと。暗い夜道に酔客が喧嘩していてそれをなだめているうちに、しめし合わせたように、都合よく千代が襲われて消えたこと。

 ――都合よく……。

 喬吾の頭には、まだ喉に刺さった魚の小骨のようにひっかかっている事案があった。

 ――都合よく……。

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