六の巻 浅薄な青年に艱難おとずれしこと その二

 甚平はまえと変わらない丸い顔をしていて、細い目と通った鼻すじと、眉根を寄せて人をみる陰気な目つきも変わらない。

「な、なんや、喬やんやないか」

 その声には、突然の再会の驚きと、ともかく愛想よくしようという無理に作り出した不自然な明るさが感じられた。

「お、驚くやないか、壬生浪みぶろの羽織なんか着て」

「見てのとおりで、今は新選組の隊士や、……いちおう」

「さよか、申し訳あれへんけど、急いどるもんやさかい」

 放つように言うと、甚平はすたすたと歩き始める。

 並んで歩きながら、喬吾は、

「なんや、そっけないやないか。三年ぶりにうたいうのに」

「今からお客はんのところまでいかなあかんねん。うちの親父も中風で寝たり起きたりやし、俺がせっせと走りまわらなあかんのや」

 彼の口調はせっかく会ったんだから歩きながらでも話そう、という話しぶりではなかった。

「ほな、すまんけど、またな」

「また遊ぼな」

 しかたなくそう言って、喬吾は立ちどまった。

 ――なんや。友達なんちゃうんかいな。

 木枯らしが胸のなかを吹きすぎていったような気分だった。

 もっとも、友達だと思っているのはこちらだけで、むこうにしてみればただの知り合いというだけの間柄なのかもしれなかった。

 ――いや、そんなはずあるかい。あんだけ一緒に遊んどったやないか。

 上方舞と指物師と、家柄はまるで違っていたが、寺子屋もいっしょに通ったし、悪さだっていっしょにやった仲だった。

 ――三年会わんかったいうだけで、あんなあつかいはないで。

 確かに、会わなかった三年より前、甚平が箪笥職人として修行をはじめたころから、縁が遠くはなっていたが、それにしてももうちょっと口のききようはあっただろうにと、喬吾の心にわだかまりがきざした。

「箪笥ばっかり相手にしとるさかい、人との付き合いかたを忘れてしまうんじゃ、アホ」

 腹立たしさをかかえたまま、喬吾は詰め所へと向かって歩き始めた。


 そしてさらに数日。

 その日は、店が立て込んで千代の帰宅がふだんよりも遅くなり、辺りはもう日が暮れてからずいぶん経って、すでにできあがった酔客がふたり、もつれあうように歩きながら、くだを巻いているのと、すれ違った。

「申し訳ありまへん、喬吾さん」千代は申し訳なさそうに言った。「いつも通り暮れ六つで上がるはずどしたが、急なお客はんが来はりまして、それも三組も立て続けに」

 提灯片手に並んで歩きながら、喬吾はなぐさめるように、

「てんてこまいみたいやったな」

「女将さんが気を回して帰るように言ってくれへんかったら、もう一刻くらいは働かなあきませんでしたわ」

「けど、ああいう料亭なら、客の質もいいやろ。その辺の飲み屋と違って客にからまれたりはせんから、その分は気が楽なんとちがうか」

「そうでもありまへんよ。以前なんか、無理に酌をするように迫られたり」

「人間、酔ってしまえば大店の旦那も棒手振りや職人連中も、なんも違いはあれへんもんやな」

「ええ、ですから、お客はんは皆平等にあつかえて、うちの旦さんも……、あら、なんですやろ」

 千代が立ちどまって路地を覗き込んだ。喬吾もつられてみると、酔った職人とみえる男ふたりが胸ぐらをつかみあって、道の両側にならぶ家々の軒下から軒下へいったりきたり、一方がなにか声高に叫んだと思うと、もうひとりがろれつのまわらない口で不明瞭な言葉で言い返す。

 喬吾は反射的にその辻からはなれてふたりのもとへと走った。

「いいかげんにせんかいっ。周りの家にも迷惑やろ。なんやと、この羽織が目にはいらんのかいな。まだ言うか。ぐだぐだ言っとると壬生の屯所までしょっぴくぞっ」

 こんなときの新選組の威圧はてきめんだ。

 今まで真っ赤な顔でののしりあっていた中年おやじふたりは、顔を青くしてうなだれて、もうしませんだの、仲良くしますだの、子供のような反省の弁をならべて、しおれたような態度で立ち去っていった。

 ほっと吐息をついて、振り返った喬吾はさっと血の気がひいた。

 視界にいるはずの千代の姿がみえない。

 路地から走って出てぐるりと見まわしたが、とおざかるふたりの職人おやじ以外にはひとけもまるでない。

 さきに家に帰ってしまったのだろうか。

 ひとしきり思案していると、風にのって、鉄臭い嫌な臭いが流れてきて鼻の奥につきささった。

 ――まさか。

 喬吾は背筋に悪寒が走った。臭いのしたほうに数歩歩いた。と、路面がなにかで濡れて、ずるりと草履がすべった。

 滑らせたなにかにむけて、提灯をむけた。

「血……」

 であった。道端から町家の壁にかけて、三、四尺(だいたい一メートル)四方に、桶をひっくり返したように血糊が飛び散っている。

 真っ白になった頭で、しかし喬吾は千代の姿を懸命に探した。

 撒かれた血は、人が即死するのに充分な量であった。

 ならば、遺体が近くになければならない。

 下手人が千代を刺したにせよ、この短時間で遺体を持ち去ったとは考えにくいし、人ひとりを担いで逃げるとすればその痕跡がなくてはならない。

 ――いや待て、こうは考えられないか。

 呼吸荒く気持ちをなんとか静めながら、喬吾は頭を回転させた。

 千代はこの血を目にし、混乱して走り去ったのではなかろうか。であれば、いちおうのつじつまはあう――。

 喬吾のその推理は、あくまで自分の都合のよい考察ではあったが、ともかく千代の家に向けて駆けだした。

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