五の巻 五常の侍、魔道におちいりしこと その六
確かに、刀身の付け根近くに、細長い札が貼られている。だからといって……、
――信用すると思っているのか?
〈せずばなるまいて。今までおぬしを導いてきたのもワシだと、お前はすでに勘づいているはずだ〉
――あの時、飯屋の前で俺に声をかけたのはこのミタマか。いや、ひょっとすると、江戸で邪剣の存在に気づかせたのも、京に俺を引き寄せたのも、このミタマか。
〈そうれ、わかっておるではないか〉
――だが、俺には札をはがすことなどできぬぞ。
〈
「狛笛童子っ、動けるか!?」
一心はもう迷わなかった。このミタマに賭けてみるしかない。
「ゆさを連れてこいっ、弓と矢を忘れるな!」
畑のなかで立ちあがった狛笛童子は、ちょっと戸惑っているようだ。
「迷うな、行け!」
狛笛童子は、うなずくと疾風のように駆けて行った。
ここから、ゆさのいる詰め所までは、道なりだとちょうど十町(一キロメートル)といったところだろう。狛笛童子なら、田畑を突っ切って走れるだろうから、結之介に行かせるよりもずっと早くたどりつけるはずだ。
辻斬りの刃と一心の十手が絡み、ギリギリと軋んで歯の浮くような嫌な音を立てる。
敵の後ろから結之介がそっと近づいてくるのに、一心は首を振って制した。
今ここで下手に攻撃を加えると、十手がはずれてしまい、敵が優位に立つか、でなければ逃走してしまう可能性があった。であるなら、このまま一心ひとりで押さえつけておいたほうがよい。ゆさが到着する前に力尽きれば、その時は結之介にまかせよう。
「三浦どの、三浦どの」一心はいくばくかの可能性にすがりつくように声をかけた。「あなたは今なにか邪悪なものに操られている。目を覚ますんだ」
辻斬りからの答えはない。
〈違うのだ。この男はあくまで正気だ〉
――正気で辻斬りができるものか。
〈そのゆくたては戦いが終わってからゆっくりと話そう。今は気を散らすな〉
辻斬りは肩で一心を押してくる。負けじと一心は押し返す。今度は足を絡めて転ばせようとしてくる。それをかわしつつ、一心は膝を相手の足に絡ませて動きを封じる。
一番怖いのは、辻斬りが思いきって刀をから両手を離すことだ。そして一心の体が崩れたところに脇差しで抜き打ちに斬られでもすれば、万事休すだ。
一心はそういう意表をつかれるような動きをを警戒しつつ、十手で刀を押さえ、肘で腕を固め、膝で足を封じる。
しかし、じょじょに手が痺れてくるのがわかる。辻斬りも疲労がいや増しに増してくるのであろう。肩で息をしはじめている。
その時、ふと一心は思いついた。
「結之介、お前以前、犬に貼られた札をはがしたことがあったな。もう一度できそうか?」
「正直わかりません。あの時は必死でしたから」
「この札を、はがさせはせぬぞ。この札のおかげで、俺は無双の力を得た。断じて、はがさせはせぬ」三浦新左衛門の、以前聞いた声とは雰囲気のまるで違った、憎悪と執着の凝り固まったような声質であった。
「得た力で辻斬りとは、みじめなものだな」
「たとえみじめでも、俺はなさねばならぬ。娘のために」
「娘、だと?」
「娘は死病に取り憑かれている。生きながらえさせるには、人の命を吸い取ってあたえるよりほかにないのだ」
「それで、娘が喜ぶと思っているのか」
「娘のためならば、たとえ百年の知己であっても俺は斬る」
「目をさませ、三浦ッ!」
もはやお互い体力の限界をむかえていた。
いや、ミタマの霊力を使用している分だけ、三浦のほうが幾分有利か。
――こうなっては、結之介に後ろから襲撃させるしか手はないか。
一瞬一心が気弱になった、その時であった。
どっと、まるで隕石が地上に落ちたかと思えるほどの轟音とともに、狛笛童子が夜空から着陸した。背にはゆさを背負っている。
「ゆさっ、この男の刀に貼られた呪符を射てくれっ!」
一心が叫んだ。
狛笛童子の背から飛びおりたゆさがすばやく弓を構える。
「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」
ひふみ
一心は歯を食いしばり、力を振り絞った。
そうして三浦の刀の札をゆさへとむけた。
「破魔一閃!」
ゆさの高らかな叫びとともに、矢が放たれる。
闇夜に閃光が走り、呪符へと命中する。
衝撃が走り、たまらず一心は弾き飛ばされて道端に転がった。
射られた呪符が黒い光を発し、光は弾けるように拡散し、呪符が微塵となってはじけて消滅した。
「くそっ!」三浦が吠えるように叫んだ。
「観念しろ、三浦新左衛門!」立ちあがった一心が威圧するように叫んだ。
結之介、狛犬童子、そして一心が三方から三浦を押し包む。
「神妙に縛につけっ!」
一心が、動揺する三浦に突進する。
だが、三浦は手の刀を、一心ではなく、みずからの首に当てた。
「よせっ」
制止しつつ、一心はさらに近寄るが、三浦の刀は首の横で静かに動いた。
「おみのをたのむ、柘植殿」
震える声が喉からこぼれ、三浦は地面に崩れ落ちた。
無駄だとわかっていたが、一心は彼の口に手をあてた。が、やはり息はもうしていない。
「大ばかやろう」
苦渋の言葉が一心の口からもれた。
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