三の巻 怨讐は海を渡りてきたること その十

 半径一町(百メートル)ほどの範囲で、地蔵菩薩を囲むように点在する辻地蔵の、それぞれに貼られた呪符を、よろず課の面々は根気よく、ひとつひとつ処理をしていって、一刻(二時間)ほどもかかって仕事を終えて、地蔵菩薩のところまで戻ってきた。

 六芒星の頂点付近にいくつかの地蔵があると、それらすべてに呪符が貼られている場合もあって、処理をしていくのに結構な手間と暇がかかった。

 それも、札をはがすたびに黒い霊気の蝙蝠のような化け物が現れるのだから、面倒なことこのうえないものだった。

「俺の十手にはミタマが宿ってないものだから、まったく役に立てなかったな、すまん」

「いえいえ」と結之介が首をふって「私だって、たいして役にたてませんでした、それよりも、夜十郎君の腕前には感服しました」

「その木刀で、一閃バーンやもんな」

「ふん、あの程度、僕の剣術をもってすれば造作ない」

「さすがは狛笛童子ね」

「いやゆさちゃん、狛笛なんとかじゃないから、僕」

「詠次郎さん、このあたりの霊気はどうなってます?」夜十郎を無視するようにゆさが聞いた。

「うん、回復してきているようですよ。ごくわずかずつに、ではありますが」

「それは良かったわ。……いえ、良くないようよ」

「と言いますと?」

「えっと、そうね、詠次郎さん、上を見た方がわかりやすいわ」

「うえ?」

 よろず課みなが振り仰いだ地蔵堂の上空に、黒い霊気が四方八方から集まって巨大なかたまりとなっていっている。

「なんや、あれは?」

「どうやら、皆さんが処理したはずの呪符の化け物が復活して、合体していっているようですね」

「しかし、責任を押し付けるつもりじゃないが、加茂さん、お前さんが言う通りに俺たちは処理していったはずだ」

「ええ、柘植さんその通り。私の考えが甘かった。化け物の霊気を散らしてしまえばもう元に戻らないと、安易に考えていました。ひとつひとつをちゃんと封印していくべきでした」

「言うとる間に、だんだん大きゅうなってっとるで」

 しかも、黒い霊気は、退治した蝙蝠の化け物が巨大化した形状をなしつつあった。

「どうやら、地蔵菩薩を包む結界が弱まったことで、直接この像を攻撃にしにきたようですね」

 そう詠次郎が解説する間にも、巨大にふくれあがり、小型だった蝙蝠は、十六尺半(五メートル)ほどのサイズへと変貌をとげた。

「いくらなんでもでかくなりすぎやで」

 冷や汗を流しながら言う喬吾であったが、

「やってまうで、サクミちゃん!」

 言うがはやいか、銃をふところから抜き、引き金を引いた。

 放たれた人の腕ほどもある霊気のビームであった。ビームは蝙蝠の胴体をつらぬき、巨大な風穴を開ける。

「どないや!」

 がしかし、その穴はすぐに、肉が盛りあがるように閉じられていく。

「なんでやねんっ」

「いくら霊気で強化されているとはいえ、物理的な攻撃では一時しのぎにしかならないでしょう。私が今からヤツを封印するための結界を張ります。準備がととのうまで、なんとか持ちこたえてください」

「わかりました、加茂さん!」

 結之介はさっと、詠次郎の前にたって彼を守護するように棒を構えた。

 その後ろで詠次郎が呪文を唱え始める。

「北に玄武、南に朱雀、東に青龍、西に白虎。四つの聖獣に願い奉る。悪しき怪異を封じ、大地に静謐を、天空に静寂をもたらさん。我に力を貸したまえ」

 巨大蝙蝠にも、詠次郎の行動がなにをなそうとしているのか理解できるのであろう、彼にめがけて上空から急降下して襲撃する。

「タケル!」

〈おう!〉

 かけ声とともに木製の棒に炎の霊気が点火され、されるとともに結之介は棒をふるった。

 ぎゃっと金切り声をあげて巨大蝙蝠が上空へと舞い戻る。そして威嚇するように咆哮すると、また急降下して結之介を襲う。

 襲来した蝙蝠は、しかし結之介に激突する寸前でとまり、体を立てると足をつかっての攻撃にうつた。左右の足を交互に連打してくる。

 結之介はそれを、棒をふって防御する。

 隙を見て喬吾が銃を撃つが、やはり穴を開けるだけで、すぐにふさがってしまう。

 詠次郎の近くでは一心が二本の十手を構えているが、今の一心ではなにもなせないことがわかっているのだろう、苦い思いが結之介にも伝わってくるようである。

 蝙蝠の攻撃は凄まじい速さである。結之介は押され始めた。

 蝙蝠はひと吠え、けたたましく吠えると、結之介に体ごとぶつかってきた。あっと思ったときには、結之介は地面に尻もちをついていた。

 さらに蝙蝠は口を広げ、結之介に突進する。

 その間に、黄色い閃光が割って入った。

 入ったと思ったら、その手の木刀が振られ、黄色い霊気の一閃が蝙蝠を引き裂いた。

「狛笛童子!?」

 みずからをかばうようにして立つ黄色い霊気の犬の覆面と尻尾をもつ自称男に向けて、結之介は叫んだ。

「さあ、ここからは僕が相手だ」

 蝙蝠はいったん上空へと逃げ、ホバリングしながら体にできた傷が治癒するのを待っている。

「夜十郎のヤツはどこへ行ったんや!?」

「知らん、そんな美男子は知らん」

 喬吾のわざとらしい問いかけに、狛笛童子はしれっとした顔で答えた。

「どこまでも、すっとぼけよるのう」

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