三の巻 怨讐は海を渡りてきたること その八

 なにかしら町を鎮護しているものを探す、という目的はあったが、幽霊長屋周辺で聞き込みをしてもかんばしい成果はまるで得られなかった。

 そうして探索をしている間にも、出るものは出るのであって。

「おい、結ちゃん、あれみてみい、平安京の幽霊やで」

 陽当たり悪く、昼なお暗い長屋の軒下に、十二単の女がたっている。十二単を着ていることで幽霊ということは確定しているが、かててくわえて、体が透き通って向こうの羽目板が透けて見えるのだから、幽霊いがいの何者でもない。

 女の幽霊は、広げた扇子を口に当てて、白塗りの顔を半分かくして、なにか面白いものでもみるような目つきで、こちらを見ている。

「結ちゃんはやめてください、喬吾さん。あ、待って、どこに行くんですか」

 皆、別れて探索していて、いまは結之介と喬吾のふたりだけで、上から押さえつける(一心という)者がいない気楽さから、

「昼間に幽霊みても、あんま恐ろしゅうないもんやな」

 そんなことを言いながら、喬吾は楽しそうに幽霊に近づいていくのだった。

 そうしてしばらくその幽霊を、間近でじっくりと観察すると、くるりとふりかえって結之介のところへと戻ってくる。

「あかん、しもぶくれのぽっちゃりさんや」

「平安京の美人はしもぶくれだっていうじゃないですか」

「あれが、美人かいな。なんややる気のうなってきたわ」

「ひどいですね、女性に失礼ですよ。そんなこと言ってると、呪われますよ」

「ははは、今夜夢に出てきたりしてな」

 平安幽霊は、怒るふうでもなく、微笑しながら、手招きするように扇子を振った。

「なんやろ、ついてこいゆうとるのかな」

「あ、歩きはじめましたよ」

「おもろいな。ついてってみよか」

 幽霊は木戸のところでこちらを軽くふりかえって、目くばせするような目つきをこちらに送って、左へと道を曲がっていく。

 ふたりは小走りに木戸までいくと、幽霊はもう十間(十八メートル)ほども先にいる。

「えらい足のはやい幽霊やな」

 あとをついてしばらくいくと、

「あ、足をとめましたよ」

「そういえば、あの幽霊、足があるんやな」

「言われてみればそうですね。幽霊に足がないなんて、誰が決めたんでしょう」

 その足をとめた幽霊は、また手招きするように扇子をひらひら振っている。

「なんやろな」

 足早にふたりが近づくと、幽霊はふっと消えていなくなってしまった。

「なんやろ、なにが言いたかったんやろ」

「あ、これほこらですよ」

「ほこら?お地蔵さんがまつられとる祠かいな」

「京の町には、地蔵が多いですよね」

「うん、辻々にあるな。なんや、火よけやら邪気ばらいやら、そんなんらしいで」

 話しながら、結之介の半分ほどの高さの祠の格子扉のなかをのぞいたが、暗くてよく判別できない。

「なんや、ふつうの地蔵みたいやけど」

 喬吾が手を伸ばして扉を開けた。

「お、ようみたら、頭になんかついとるで」

「本当だ。なんでしょう、お札みたいに見えますね、って、あっ!?」

 結之介がとめる暇などない、喬吾は手を伸ばしてその札をはがしてしまった。

 とたん。

 黒い霊気がたちのぼり、瞬時に黒いもやで形作られた蝙蝠こうもりのような、それでいて、口が異常に大きい化け物に変じた。

 甲高い叫声を発しながら、頭上からその化け物が襲いかかってくる。

「なんじゃぁっ!?」

 化け物の叫び声に負けじ劣らじの声で叫ぶ喬吾であったが、それでも同時にふところから銃を抜いて、抜いた瞬間にはすでに引き金を引いていた。

 霊気の弾丸が化け物の胴体に大穴をあける。

 靄のような霊気の化け物だから、それでダメージがあるのかは不明だが、化け物はまた一声叫びながら、上空へと方向転換して昇って、青い空ににじむように消え去っていく。

「どうしたっ!?」

 むこうの家のかどから一心が走り出てきた。後ろからいっしょに探索していた詠次郎もついてくる。

「なにがあった?」

「あ、一心のダンナ。地蔵に貼られてあった札をはがしたら、バケモンが飛びだしてきよって」

「なんだと、喬吾、貴様なにを勝手な真似をしてくれた。そういう時は、ひとまず皆に報告するのが常識だろう。結之介がついていながら、なにをしていた」

「あ、いや、私がとめる間もなく……」結之介、とんだとばっちりである。

「いいか、喬吾。お前はもう新選組の一員だ。いくら閑暇きわまりない部署とはいえ、新選組としての気概をもって日々起居せねばならん。これまでのように無頼の徒と交わっていたころとはもう違うと考えをあらためよ。独断専行は罪だと思え。今後は、なにか不審なことあれば、我々に連絡したうえで、行動せよ」

「へい、ダンナ」

「貴様その無礼な態度は……、手打ちにしてやろうか!?」

「まあまあ、一心さん、お説教は詰め所に帰ってからに」

 結之介がなだめていると、反対の辻から清十郎とゆさが走り寄ってきた。

「なんだ、君たちは、騒々しい。ゆさちゃんがおびえているじゃないか」

「なんや男女、いつの間にかゆさちゃんの護衛気取りやな」

「だまれ、軽薄男。どうせ君がなにかしでかしたんだろう」

「ただバケモン追い払っただけじゃい」

「化け物?」ゆさがほっとした様子で、「幽霊じゃなかったのね」

「幽霊もおったで。まだその辺におるんやないか」

「ひっ」

「貴様、せっかくゆさちゃんが安堵していたのに、またおびえさせるとは、けしからん」

「夜十郎、お前さっきならなんや、ゆさちゃん、ゆさちゃんて、お前まさか……」

「ん、んん、そんなことはどうでもいだろう。とにかくなにがあった、報告しろ」

 夜十郎は無理矢理話をかえたようだった。彼女のその不審さに気がつかないのはゆさだけのようである。

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