三の巻 怨讐は海を渡りてきたること その七

 一同の視線が、水島夜十郎ことホングィヨルの顔に集中した。ある者は興味本位で、ある者は半信半疑で、ある者は母のおとぎ話を待つ子供のように。

「僕は釜山プサンの生まれだ」グィヨルは語りはじめた。「父は釜山におかれた東萊府とうらいふの役人だった。きょうだいは六つ上の兄がひとりいて、母はすでに他界している」

 東萊府は日本でいうところの長崎奉行所であろうか(似て非なるものではあるが)。

「六年前、僕が十歳の頃の話だ」

 グィヨルの父は、釜山で日本と朝鮮との間で大掛かりな抜け荷がおこなわれている事実をつかんだ。抜け荷には東萊府の役人も加担しており、父は数人の信用できる仲間とともに、主犯格と思われる役人を糾弾すべく家に乗り込んだ。だが、そのまま帰らぬ人となった。

 その場には、日本側の商人(侍も含まれていた)も同席しており、話し合いがこじれて乱闘となった。父は、東萊府の役人たちをしとめることはできたが、日本人の侍とわたりあい、あえなく倒されてしまったのだった。からくも逃げることができた父の同僚からグィヨルと兄はその顛末を聞いた。

「わかっているのは、その男が長州人だということ。左の二の腕に父がつけた刀傷があること。それと、左胸の心臓のところに蛇の入れ墨があるという、この三点だけだ」

 兄妹は、復讐を誓った。

「そうして」とグィヨルは話を続けた。「私と兄は密航して千島へと渡り、そこから長州を目指した。しかし右も左もわからぬ異国の地。言葉は漢字の筆談でなんとかしていたが、悪い男にだまされて、人買いに売り飛ばされかけるるような目に会ってな。どうにか逃げのびたが、流され流され、気がつけば長州をずいぶん通り越して備前岡山にたどり着いていた」

 そこで出会った、町道場の主である水島月風斎げっぷうさいという老人は、事情を知って同情してくれたのだろう、ふたりにとても親切にしてくれた。十子とおこという名をつけてくれ、下働きとしてであったが、家に住まわせて、言葉も教えてくれたし剣術も教えてくれた。兄は釜山にいたころから英才の誉れ高く、凄まじい速さで言葉を覚えられたし、妹のグィヨルは子供のことで頭が柔軟であったためだろう、これもあっという間に言葉を覚えることができた。

「ええ、ほんまかいな。それにしてもペラペラ喋れすぎへんか。ほんまは日本人なんとちゃう?」

「なに、僕が嘘つきだと愚弄するのか!?」

 喬吾の軽口に、グィヨルはムキになって反抗した。

「朝鮮人ちゅうことにすれば、俺らの気を引けるとか思っとるんちゃうん」

「む、言わせておけば。表に出ろ。君が銃を使うことは知っているぞ。そっちが引き金を引くのがはやいか、僕の木刀の一閃がはやいか、勝負しようではないか」

「まあ、落ち着け。この軽薄男の言うことは聞き流せ。低俗で教養がないものだから、こんなかんにさわる物言いしかできんのだ」

「ちっとひどすぎへん、一心のダンナ」

「それで、その先を続けてください」ゆさがうながした。

「それでだ」

 成長とともに、グィヨルは剣術の腕もめきめきと上達していった。

 数年後、兄は長州に潜入すると言って、とめる月風斎を振り切って出て行ったまま音信が途絶えてしまった。風の噂で、間者かんじゃ(スパイ)として処断された者が兄であるという話を耳にしたが、もちろんグィヨルは信じていない。そしてグィヨルは決意した。兄の消息を探すとともに、自分が仇を討とうと。

「そして僕は、様々な情報が集まる京へとやってきたんだ」

 よろず課の面々は、言葉を失ったようにその話を聞いていた。いま目の前にいるとぼけたような男装の女子おなごが、まさかそんな苦難を重ねて生きてきたとは思いもよらぬことであった。

「それと、その木刀にミタマが宿った経緯を、よかったら教えてほしいわ」

「うん、このミタマは、ハヤテ。ハヤミタマというのが本当だ」

 一年ほど前、グィヨルが道場の近所にある神社で、木刀の素振りをしていた時だった。暑い盛りの頃で早朝であったのに、体といわず手のひらまで汗でぐっしょりと濡れ、振っていた木刀がすべってぽんと飛んでしまった。飛んだ先には、狛犬の石像があって、その頭に木刀の切っ先が、なんと突き刺さった。

 ――いったーいっ、なにするんじゃい!

 狛犬に宿っていたハヤテは、激怒。

 ――おおっ?狛犬からモノノケがっ!

 そのままふたりは激闘となり……、

「日暮れまで一日じゅう闘い続け、最後には僕が勝利して、この木刀に封じ込めた」

〈違う違う違ーうっ。ボクはキミに負けたわけじゃないよ。ただ、石像が壊れて帰る場所がなくなったから、しかたなく、キミの木刀に宿をとっているんじゃないか〉

「ふん、みんなの前だから見栄を張って、みっともないったらないね。素直に負けをみとめろよ」

〈ムキっ。負けたのは、キミのほうだろうっ〉

「はいはい、そうしときましょ」

〈なに、その言いかた。意地っ張り、ヘソ曲がり!〉

「見えっぱり、ひねくれもの!」

「まあ、どっちもどっちやな」

「似たものどうしだな」

「誰が似てるかっ」

〈誰が似てるかっ〉

「ほほほ」とほがらかにゆさが笑う。「似ているかどうかはおいておきましょう。ともかく、話はわかりました。私たちは、あなたの仇をさがすのを手伝う。グィヨルさん――いえ、十子さんとお呼びしようかしら――十子さんは、私たちの仲間になって働いてもらう。これで持ちつ持たれつ万事めでたし、ってことでどうかしら」

「うん、それもいいが……、そうだな、僕としてはやっぱり……、君には、夜十郎、と呼んで欲しいな」

「そっちかいなっ」喬吾の突っ込みは、はやい。

「ああ、もちろん、仲間になるのに異存はないよ。ゆさちゃん、君のことは僕が守るよ」

「じゃあ、決まりってことで」ゆさが、安堵したように微笑んだ。

「うん、よろしくお願いします」

 そう言ってにこやかに笑った夜十郎の笑顔は、十六歳の娘そのものだった。

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