三の巻 怨讐は海を渡りてきたること その四

 一心は相手の刀をからめたままで、ぐいぐいと腕を押し下げていった。

「貴様か、新選組を次々に手にかけているという男は!?」

 返事などはない。

 その敵は、一心ほども上背があって、六尺(百八十センチ)ほどもあるだろう、黒い着物に黒い袴、そして顔も黒い覆面頭巾でおおっていた。目だけがのぞくその頭巾の隙間からみえるまなこが、赤くギラギラと光彩を放っているようだ。

 相手が両手で持つ刀を、一心は二本の十手でからめて押さえている。お互い凄まじい膂力りょりょくで、まるで筋肉がきしむ音が聞こえてきそうだ。

 不意に一心が右手の十手を振り上げた。すかさず振りおろし、敵の刀の峰を叩いた。

 刀というものは、付け根から切っ先にかけてぐっと反り返っている。これは刀を鍛錬する過程で、本来まっすぐであるはずの刀身にソリが生じるのである。言ってみれば、つるを引きに引いた弓のように刃が張りつめている状態であり、この状態にある刀身の峰を、上からトンと叩くとどうなるか……。叩かれた点を支点として、それもしごく簡単に刃のほうから裂けるように折れてしまうのである。

 折れるはずであった。

 折れぬばかりか、押さえる力の緩んだ隙に、敵は十手の鉤を強引にはずしつつ、一心の体に肩から体当たりして突き飛ばした。

 そうしておいて、自身も跳ねるように後ろに跳びさがる。

 刀が、弧を描いて天を突くよう振り上げられた。

 刀身が赤味を帯びて輝いてみえるのは、今宵の月が赤く色づいているからではないだろう。まるで刀が血を吸って赤く色づいているようだ。

 その大上段の構えのまま、一瞬に間合いをつめ、一心の頭上高くから振り下ろしかけた。

 刹那、喬吾の銃から霊気の弾丸が火を噴いた。

 青白い霊気のビームが一直線に敵をつらぬいた。

 かに見えたが、敵は振り下ろした刀で、霊気を斬った。斬られたビームは、竹を割ったようにふたつに割れて男の両肩をかすめすぎる。

 一心はすんでのところで白刃がそれ、すぐに立ち上がって、十手を構えた。

 そこへ結之介が横合いから棒を振る。

 男はまたしても後ろに――しかも軽々と跳んでかわすのだった。

 敵の左から一心が、右から結之介が威圧し、正面から喬吾の銃が覆面の隙間の眉間を狙う。

 敵は剣先を天に向け腕を右肩にひきつけるように――八双の形にかまえる。

 ひとりの視線に、三人の視線がからみあう。

 じっと膠着したまま、四人は動けなくなった。

 その異様な静寂に、ふっと横合いから闖入したものがあった。

 それは、男の背後から、平然と木刀を横薙ぎに薙いだ。

 黄色い霊気の犬の覆面をかぶり、霊気の尻尾をはやした……、

狛笛童子こまぶえどうじ……」

 結之介が驚愕したようにつぶやいた。

 だが、辻斬り男は、後ろに目がついてでもいるように、勢いもつけずに背丈ほども飛びあがって、狛笛童子の一閃をかわした。

 道の端へと飛び降りた男に、狛笛童子が跳び寄って、木刀を振り下ろした。

 男はまたしてもひらりと飛びあがり、家の塀に飛び乗り、そこを足場にさらに跳躍して、家の屋根へと飛び移った。

 狛笛童子も、負けじと飛びあがって、敵の後ろ影を追おうとする。のを、

「待て、深追いするな!」

 一心がたしなめるように一喝した。

 狛笛童子は、飛び乗った塀の上に器用に立ったまま、くるりと振り返って、しばらく一心に冷眼を送り、新選組の羽織をひるがえしてそっと飛びおりた。

「なぜとめた」

 背丈は結之介ほどもあるのだが、声はまだ少年のままで、甲高い声音で一心をとがめる。

「敵は相当な使い手だ」一心は冷静に答えた。「お前が何者かは知らないし、どれほどの剣の使い手かも知らないが、ひとりで挑むのは無謀というものだ」

「ちっ、あれは僕の仇かもしれないのだぞ。いらぬ差し出ぐちはやめてもらおう」

「かたき?」一心はちょっと考えるそぶりをしてから、「いや、違うな。あれは俺が追っている敵だ」

 周りにいた一同が、えっと一心に振り向いた。

「以前話したことがあったな。俺の父は捕り物のさいちゅうに怪我を追って体が不自由になった。その怪我をさせた相手があれだ。いや、ただしくは、あの刀がそうだ」

「なんやいわくありそな話やな、どういうこと」喬吾が怪訝そうに聞いた。

「うん、あれは妖刀だ。持つものの心をあやつり、次々に人斬りをさせる魔性の刀だ。そうしてヤツは江戸の町で辻斬りを重ねていた。それに気づいた俺の話を、江戸の北町奉行所の連中は信じなかった、ばかりか、お奉行ともそれで口論となって、俺は奉行所を辞めた。そうして、あれをひとり追って、京へとたどり着いたわけだ」

「なぜそうとわかる」狛笛童子がとがめるように聞いた。

「わかるさ。あの刀と俺の十手が噛み合った瞬間、刀の悪の霊気のようなものが、十手を通して伝わってきた。江戸でも同じような経験があった。まちがいない。あれは俺の追っている敵だ」

「そうか」と狛笛童子は悔しそうである。「わかった、非難するような言いかたをしてわるかった」

 そうして彼はきびすをかえして、

「じゃあ、また会おう」

 気取ったふうに言い残して、走り去ってしまった。

 みな、唖然茫然の態でその後ろ姿を見送った。

「ありゃいったい、なんやねん」

 喬吾があきれたように言うのへ、

「まあ、新選組には違いないでしょうね」

 結之介もあきれたように答えた。

「うふふ、そのうち正体をつかんでみせるわ」

 そう言ったゆさの口の端が、また何か企んでいるようにゆがんでいる。

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