三の巻 怨讐は海を渡りてきたること その二

 ゆさの、たちまち青白く変じていく顔色を、結之介たちはじっと見つめている。

「そ、それは、幽霊退治なら私たちよりも、あなたのほうがよっぽど本職なのでは」

「いえいえ、なにも退治しようというのではありません。ちなみに話はまだ途中ですので、続けてもよろしいですか」

 ゆさは、不承不承と言ったていでうなずいた。

「順を追って説明します」

 よろず課の雰囲気にも慣れてきたのか、詠次郎は声に張りが出てきた様子である。

「ここからずっと北に行った所に、私の唱門師しょうもんじ仲間で人相見をしている者が住んでいるのですが……、そうですね、この間の桜の木よりもずっと北です。彼女の住んでいるその長屋に、幽霊が出始めたらしいのです」

「出始めた?突然に?」一心が返した。

「はい。町家の密集している町でもありますし、あまり幽霊の好みそうな静寂さなどはありませんで。その人はもうかれこれ十数年もそこに住んでいるのですが幽霊が出たなんて話は、一度も耳にしたことがないそうです。ところが、最近になって突然出始めたわけでして。話を聞いて、私がそこに行ってみたのですが……、たしかに、出ます」

 ゆさが、ひっと息を飲んだ。

「しかも、その辺りはその昔、大内裏のあった場所の端っこでして、そのせいか、出てくるのは」

「まさか、十二単とか」結之介はちょっと声がふるえた。

「そのとおりで。白塗りの顔をした、うりざね顔の、平安美女の幽霊が。しかもたくさん」

「平安美女、幽霊やあれへんかったら会ってみたいわ。いや、幽霊でも一度見といたろうかいな」本当に見たい、というより、頭っから信じていない口ぶりの喬吾である。

「しかし」と一心も半信半疑といった顔つきだ。「ゆさが除霊するにしても、ひとつひとつ……、幽霊はひとつか?ひとりか?一匹か?まあいい、ひとつひとつの前であの踊りを踊るというわけにはいかぬだろう」

「いや、私は精霊を鎮めるのがほんとうで、幽霊退治は……」

 ごにょごにょ言っているゆさの言い逃れなど、誰も聞いておらず、

「十把ひとからげに、ばあっとやってまうより他にないやろなあ」

「そんなうまい方法ありますかねえ」

「魚を網に追い込むようにはいかぬだろうな」

「そこで、皆さんにご助力を願いにまいったしだいで。失礼ながら、先日の桜の木の一件の結末、遠目ながら拝見しておりまして、皆さまなら、と思いいたったわけでして」

「まあ、なんにせよその平安幽霊をみてからじゃないと、なんとも了承もできかねますな」と一心はゆさに振り向いて「で、いかがする、そこで青くなってるお嬢さん」

「わ、私は別に、最初っから反対なんかしとれせんがね。除霊でも鎮魂でもなんでもしたるわ」

「ははは、決まりだね」

 笑って言った結之介を、ゆさはきっとにらんだ。

「では、いつそこに行けばよろしいかな。幽霊というと、やっぱり丑三つ刻がいいのかな」

 一心はどこか楽しそうな口ぶりであった。

「ば、ばか言わんといて、夜なんて出歩けるわけあれせんでしょう。最近は新選組狩りも横行しとるそうだがね。そうだ、今から行きゃあ、日が暮れるまでには充分帰ってこれるがね」

「お前、どうしても明るいうちに済ませたいのな」

「地味男は黙っときゃあ。私はあんたらを心配しとるんだで」

 新選組狩り――。

 というのは、新選組の隊士を狙って次々に犯行を重ねる辻斬りが、最近出没するそうで、もう数人の隊士が被害にあっている。

「まあ、だんだら羽織を着いへんとけば、夜でも大丈夫なんちゃう」

「軽薄男は黙っときゃあ。はいもういい、とにかく、出発、きまり!」

 やけくそのように言って、ゆさはさっき上がってきた縁側から足早におりていった。

 男四人は顔を見合わせて苦笑してから、そのあとを追った。


 その長屋は、堀川通ほりかわどおりを北にいって竹屋町通たけやまちどおりを東に折れてしばらく行ったところにあって、二棟の長屋がせま苦しくならんでいて、建てられてもうずいぶん年月が経っているらしく、黒ずんだ壁と、曲がった柱と、埃のたまった梁の、いつ倒壊してもおかしくないようなたたずまいで、ひとけがなければ、たしかにお化けのたぐいがあらわれても不思議はないような雰囲気が、一帯を包み込んでいた。

 井戸端で洗濯をしていた中年のおばさんの何人かに、ゆさが声をかけて話を聞いている。

「私は見ていないんだけどね、子供が見たって」

「あたしは見たよ。こないだ、夜中に厠に行ったときに、そこのカドでちらっと。横目でみえたよ」

「ああ、詠次郎さん、この人たちがこないだ言っていた新選組の人たちだね。ええそう、わたしはみた、この目ではっきりと。ほら、そこの右から二番目の空き家。夕方になにか気配がするもんだから、そっとあけてみたらさあ、たまげたよ」

「え、どこです」ゆさが、ともすれば声が裏返りそうになるのをこらえつつ、その家の前までいって、「ここですか。そうですか。結之介さん、あなた、開けて見てみたら」

「なんで私が。あけてやるから、ゆささん、お前さんが見ればいい」

「たわけたこと言わんといて。こら、勝手に開けるんじゃ……」

 反射的になかをのぞき見たゆさの絶叫が、京の町にこだました。

 声に押されるようにして、結之介、一心、喬吾、詠次郎が家のなかに飛び込んだ。

 瞬間、部屋の奥にいた何かがぱっと消えてなくなった。あとはもう薄暗い、建てつけの悪い雨戸の隙間からわずかに入ってくる陽の光と、かび臭い六畳の空間だけがそこにあった。

「見えたか?」「いや、なんも見えへんかった」「私は赤い着物がちらっと」「残念、取り逃がしましたな」

「なんで昼ひなかっから、お化けがでるんじゃ!」

 唯一の目撃者であったゆさは、恐怖が極まって怒りの極みに到達しているようだ。

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