二の巻 秋に咲く桜に精霊の宿ること その十

 結之介は、手に持つ棒のなかに宿るミタマ、タケルことタケミタマに意識を集中していった。そのミタマの存在を肌で感じ、手を通じてお互いの霊気がつながり、じょじょに不思議な感覚が結之介の体内に湧きおこってくる。

 それと同時に、彼の体が赤い光を放ちはじめていた。ほのかな光はだんだん明るさをまし、火の粉のような霊力の粒子が体から立ちのぼっていく。

 結之介は無心で腰をおとし、棒を腰の位置にかまえた。

 鬼人桔梗屋が大地を蹴っておどりあがった。

 三間(五メートル半)ほども高く跳ねた巨体が落下軌道に入って、青い空を背景に結之介に向かって襲い来る。

 桔梗屋は落下しながら体をよじり腕を振るった。

 それに合わせるように、結之介の体が動く。

 全身を覆っていた光が腕に流れ、棒へと集中し炎のような真っ赤な霊気が輝く。

 体を伸びあがらせつつ、長く持った棒を上空に向けて振り上げた。

 桔梗屋の肥大化した手のひらは、結之介の頭すれすれに空を切り、筋肉の塊のような腹に棒がくいこんだ。

 タケルの霊力が桔梗屋の体に業火のような衝撃をあたえる。

 結之介が気合いの一声を放つ。放ちつつ桔梗屋の腹に叩きこんだ棒を一気に振りきった。

 耳をつんざくような悲鳴をあげながら、桔梗屋はふっとんでいき、大地に全身を叩きつけ、十間ほども転がって桜の根もとにぶつかってとまった。

 先にずいぶん伐り削られた桜の幹が、悲鳴をあげるようにぎしぎしときしんだ。

 炎に焼かれるようにもだえる桔梗屋の体から悪の霊気が散っていき、胸の呪符がはじけるように砕け散った。霊気が抜けていくとともに、しだいに本来の容姿をとりもどし、体をさいなむ痛みも消えたのだろう、桔梗屋は意識を失ってぴくりとも動かなくなった。


 ゆさの膝のうえで、清六がふと目を覚ました。すぐに自分のおかれた今の状況を感じとったらしい、

「ありがとうな、ゆさちゃん。もう充分や」

 かすれた声で、今にも消え入りそうな声音であった。

「何を気弱なことを。すぐにお医者を呼んで手当てしてもらいますから、気を確かに持ってください」

「ええんや。心残りは、もう一度、あの桜が咲くのをみたかったことやな」

 戻ってきた結之介も、一心も、つらそうに顔をそむける喬吾も、ただ無言であった。

 が、喬吾の帯にはさまれた銃がほの青く光をはなった。

〈巫女よ〉銃に宿ったサクミタマがゆさに呼びかけた。〈空見そらみの巫女よ。私に力をかしておくれ〉

「なにをしようというの?」ゆさが不安げに問いかけた。

〈その者の――清六の願いをかなえてあげましょう。もうあの桜は命つきようとしています。その最後の力を奮い起こさせ、私が力をかし、桜の花を咲かせましょう〉

「今、秋やで。桜が花さかすかいな」いらぬちゃちゃを入れる喬吾に、

〈あなたはおだまりなさい〉

 サクミタマがぴしゃりととがめた。そして、ゆさにふたたび、

〈さあ、空見の巫女よ、あの桜のもとで舞ってください〉

「はい」すべてを了解したゆさは、決然と静かに返事をかえした。

 そうして、結之介に清六をあずけると、桜の木の下へと向かい帯に挟んでいた扇子を取り出して広げた。

 サクミタマは銃から抜け出し、桜の木へと憑依した。

 ゆさが、悠然と舞い始めた。その口からは、優しい音色の歌が流れだした。

「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」

 結之介があの夜に神社で聴いたあの歌であった。

 ひふみ祓詞はらいことば――。

 そう呼ばれるこのことばは、ゆさの生まれ育った宇津美神社では、精霊をしずめ、大気と一体化し、不幸を幸福へと導く、まじない歌として伝わってきた。

 まるで流れる川のようだ、と結之介は思う。もし空にほんとうに天の川というものがあるのなら、こういう音色をかなでて流れているのではないだろうか。

 その歌が歌われるとともに、桜が、青く輝きはじめる。

 そうして枝から芽が生まれ、つぼみとなり、花が咲いていった。

 桜は満開に咲き誇る。

 咲き誇る花のもと、踊り続けるゆさの、漆黒の髪が輝き亜麻色に変じ、もとどりがほどけ、髪の毛たちも踊るように宙に舞う。

 三度くりかえされた歌が歌い終わり、舞がやむころには、、もうすでに花びらは散りはじめていた。

「ああ」清六の口からため息のように嘆息がもれた。

 そうして、清六は動くのをやめた。

 年寄りの深くしわのよって、長年陽のもとで働き続け真っ黒く焼けた肌に、桜の花びらが舞い落ちていった。


「なあ、ゆさちゃん」

「なんです、喬吾さん」

 壬生寺裏のよろず課詰め所の縁側にふたりは座っていて、数日休息した喬吾が、ゆさに話しかける。

 あの後、桔梗屋は京都町奉行所へと引き渡された。清六の命を奪った罪で法でさばかれることになるであろう。

 清六は、ゆさたちがねんごろに菩提をとむらった。残っていた遺産は永代供養料として菩提寺におさめた。

 桜の大樹は、花を咲かせたことで生命力を使い果たし、立ち枯れてしまった。そして、数日前に吹いた強風で伐られたところから折れて倒れ、長い命を終えた。

「なあ、ゆさちゃんて」

「だからなんです」

「いままでありがとな。もう体の傷も治ったで、そろそろおいとまするわ」

「たわけたこと言わんといて、そう簡単に出ていけるわけあれせんでしょう」

「そりゃあ、俺と離れるのがいとおしいのはわかるで」

「誰もいとおしがる言っとるれせんがね」

「そやかて、俺にもいろいろと生活があるし」

「あなたの生活する場所はここ」

「勝手に決めんといてえな」

「いい?あなたは新選組の一員です」

「ええ!?アホ言いな。俺は新選組なんかに入るつもりはあらへんで」

「何か勘違いしておいでのようですね。勧誘しているんじゃありません。あなたはもう新選組に入っているんです」

「んなアホな」

「結之介さん」

 と居間で一心と向かい合って、二人の話をサカナに茶をすすっている結之介をゆさは呼んだ。

「新選組局中法度っ。ひとつ!」とゆさにうながされて、

「士道にそむ間敷事まじきこと!」結之介が条件反射のように答える。

「ひとつ!」

「局を脱するを不許ゆるさず!」

「ひとつ!」

「勝手に金策致不可いたすべからず!」

「ひとつ!」

「勝手に訴訟取扱不可とりあつかうべからず!」

「ひとつ!」

「私の闘争を不許ゆるさず!」

「右条々相背候者あいそむきそうろうものは!」

「切腹申付もうしつくべく候也そうろうなり!」

 喬吾、絶句である。

「というわけで、勝手に隊を抜けたら、切腹なの。どこに逃げようと、日本のすみずみまで、とことん探しだして切腹させられるの、わかりましたか?」

「んなアホな……」

 肩をおとしへたりこむ喬吾の懐の、銃に宿ったサクミタマがくすくすと笑っているようだった。




(二の巻終わり)

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