二の巻 秋に咲く桜に精霊の宿ること その九
そこへ桔梗屋が、まるでまったく精気を失ったような容姿でふらふらと桜の陰からあらわれた。
「よくも、よくも、この若造どもがぁ」
結之介と一心は武器をかまえ、喬吾は銃口を向け、桔梗屋の様子をうかがった。
桔梗屋は逃げるでも向かって来るでもなく、ふところから一枚の呪符を取り出した。
「見よ、私にさずけられし無敵無双の力を!」
金切るような叫び声をあげて、桔梗屋はその札をはだけた胸に、ピシリと音のするほど激しく貼り付けた。
すると、呪符から黒い光が発せられ、桔梗屋を飲み込み、飲み込まれた桔梗屋の体は、むくむくと巨大化していった。その体は八尺(二百四十センチ)ほどにもなり、頭からはツノが二本はえ、口からは伸びた犬歯が牙となって突き出した。
「絶望にうち沈め、虫けらども。札に封印されしは、平安の昔、嵯峨野の青鬼と恐れられた暴虐の鬼。その鬼の力を我は手にしたのだ。貴様ら下等なガキどもなどたちどころに揉みつぶしてくれるぅっ!」
桔梗屋はがらがらと耳障りな声音で語り、語り終わると狼のように吠えた。上半身は着物を破りもろ肌になり、腰に残った着物がちょうど鬼の腰巻きのようにしがみついている。
「なんという禍々しい醜悪な気をはなつものかな」
顔をしかめたゆさが、吐き捨てるように言った。
「いっくらでっかくなったって、俺に勝てるはずがあれへんやろ」
威勢よく叫んだ喬吾は、勢いよく引き金を引いた。
「一撃でしまいじゃ!」
ぷすん。
しかし、銃口からもれたのは、気の抜けたオナラのような霊気の残滓であった。
「…………」
〈ああ、これは限界ですね〉サクミタマが憐憫を込めて言った。〈あなたの今の霊力では、今までの数発が限界なんでしょう〉
「いや、あの力って、サクミちゃんの霊力なんじゃ」
〈いえ、あれはあなたの霊力を、私の力で増幅させていたにすぎません。あなた自身の霊力が枯渇すれば、いくら私の力でも増幅できるものではありません〉
「う、うう、どうしよう、ゆさちゃん」
「知らすかぁっ。まったく、ここぞって時に役に立たせん」
「いや、ここぞって時に役に立ってたんちゃう、今まで!」
喬吾とゆさの無益なかけあいが
ここでためらうわけにもいかない、と結之介と一心は、同時に桔梗屋に向かって突撃した。
だが、桔梗屋が丸太のような右腕を軽く振っただけで、一心は今走った道を転がって逆戻りし、振り下ろされたもう一方の手を結之介はタケミタマの宿る棒でかろうじて受け止めた。だが、鬼人化した桔梗屋の腕力はすさまじく、結之介が頭のすぐ上で横一文字に防御した棒をつかみ、折れんばかりにぐいぐいと押しさげてくる。このままでは、棒が折れるか、結之介が押しつぶされるかの他に道はなさそうだ。
歯が割れるほどに食いしばって、両手で力いっぱい棒を握り、結之介は耐えた。
〈おい、
棒に宿ったタケミタマが結之介に語りかけた。だが結之介は噛みしめた顎を動かせば力が抜けて桔梗屋に押しつぶされてしまいそうで、口がまったくきけない。
〈お前の霊力とオレの霊力を同調させるんだ〉
結之介は、ついに、片膝ついた。
〈あきらめるな、結公!〉
タケミタマが叱咤した、刹那であった。
黄色の閃光が結之介の目の前を走り抜けた。
悲鳴をあげて桔梗屋がのけぞっている。その隙に、結之介は後ろに跳んで間合いをとった。そこはもう、ゆさたちのいる間近で、背にゆさの体温が感じられるほどであった。
結之介は、走った黄色い残光を目で追った。
そこに立っているのは……、頭には霊気でできた狼の面――いや犬であろうか、黄色い霊気で形成された柴犬のようなマスクをかぶって、お尻からはふさふさとした霊気の尻尾がはえ、手に木刀を持ち、そして、
「し、新選組……」
結之介の口から驚愕の言葉がこぼれ落ちた。
新選組の
「どうした」
と声変わりもしていないような少年のような声で柴犬男――いや、柴犬少年は結之助に向けて言った。
「君の力はそんなものか」
霊気の柴犬仮面の下からみえる彼の顎はほそく尖って、唇は乙女のように赤くつややかであった。
「もっと本気で戦え。君のそのミタマの宿る棒と君自身の霊力があわされば、こんな鬼モドキなど造作なく退治できるはずだ」
――そんな上から見下ろすように言うくらいなら、あんたが倒してくれ。
と思った結之介の思いを見透かしたように、柴犬少年は、
「僕は、ちょっと気まぐれに手伝っただけだ。あとは君がなんとかするんだ」
「あ、あの、あなたはいったい……」
「僕は通りすがりの……、
少年は気取ったようにいって、
「じゃあな」
すっと、瞬間移動でもしたように、どこかに消え去ってしまった。
と、衝撃からたちなおった桔梗屋が、体勢を立て直して、また吠えた。腹に響くような嫌な声音である。
結之介は棒をかまえて、敵の攻撃にそなえた。
〈おい結公、さっきのおかしなガキも言っていただろう、オレたちの力をあわせれば、あんな化け物一瞬でかたづけられるっ〉
「タケルと俺の霊力を同調……」
〈そうだ、この何日かいっしょに寝起きしてきたんだ。いちいち説明しなくても、オレの霊力の質や雰囲気、力の具合、そんなものが自然に読みとれるだろう〉
「霊力を同調……」
つぶやいて結之介は意識を集中しはじめた。
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