一の巻 少年が少女と出会って胸ときめかせること その五

 ここは新選組屯所から西に一町半(百五十メートル)ほど離れた場所で、ちょうど壬生寺の裏手にある、商家の隠居所であった。

 新選組特殊任務部よろず課なる奇妙な名前の部署ができてすぐその日に、八木源之丞氏の口添えでゆさと結之介が移り住むことになったのだった。

 ゆさは京にきた本当の理由をうまく隠し、みなをケムに巻くようにして、トントン拍子にことをうまく運んだ気がして、結之介はしばらくの間、どうにも腑に落ちない気分であった。が、よくよく考えてみると、土方副長に(ゆさが)ていよく追い払われた感もなくはない。

 そしてその隠居所は、庭は五十坪ほどもあり、その奥に八間と五間ほどの家屋が建てられていた。

 使われなくなって、もうずいぶん年月が経っているらしく、埃もずいぶん溜まっていたが、ともかく寝間だけ掃除をして夜具を運び込んで、ゆさと結之介のふたりは眠りについたわけであった。

 が……。


 深夜。

 庭では秋の虫が高らかに歌声を競い合い、ここちよくもかまびすしい音色であふれていた。

 家の一室から、突如、夜気を斬り裂いて叫び声が聞こえ、驚いたように、いっとき虫たちの声がやんだ。

 声に跳び起きたゆさが、結之介の寝室の襖を思いっきりけたたましく開けた。

「なんですか、騒々しい!」

 結之介の叫声よりも騒々しい声で、するどくゆさがたしなめるのに、

「なんですかとは、なんだ、これはなんだ、いったいなんだ!?」

 結之介がなかば恐慌状態で叫び返した。

「いま何刻だと思っとるの。なんでもいいで、静かにしやあて」

「こ、こ、こ、これはなんだ!?」

 濃い尾張弁を無視して結之介が指さす先には……、なんと手も触れていないのに勝手に暴れ動く棒があった。彼の棒術用の棒である。

「なにって、棒に決まっとるがね」

「棒だ、棒だよ。そりゃあそうだ。そのただの棒がなんで動き回るんだ。それによく耳をすまして聞いてみろ」

 眉をしかめてゆさが棒に耳を向けると、

〈出せっ、ここから出せっ、お前らこんなことをしてただですむと思うなっ。俺様をはやくここから出せっ!すっとこどっこい!〉

 ばたばたと暴れ、カンカンと床を叩き続ける棒から、甲高い声が聞こえてくる。

「ほら、聞こえただろう。いったいなんだ、これはっ」

 目を血走らせて問う結之介に、ゆさはまったく冷静に、

「ああ、タケミタマが目を覚ましたんだがん」

 そう言って廊下にもどると、

「じゃあおやすみなさい、結之介さん」

 と帰って行こうとする。

「おやすみなさいじゃないよ!」

「もう、私疲れとるんだで、ゆっくり寝かしたってよ」

「俺だって疲れてるよっ。これをなんとかしてからゆっくり寝てくれ」

「なんとかしろと言われても、封印したのはあんたの武器なんだで、あんたがなんとかしやあ」

「なんとかしやあ、じゃなくって。封印したのはゆささん、あなたでしょう。だいたい名前で読んだり、あんた呼ばわりしたり、なれなれしすぎやしないかっ」

「私は封印するまでが仕事なの。そのミタマをしずめ、手なずけるのはあなたの役目」

「勝手に決めないでもらえるかな」

「勝手もなにも、あなたにそれができる能力があると見込んだんだから、私はあなたをこの仕事に誘ったわけです、おわかり、結、之、介、さん?」ゆさは嫌みたらしく、名前だけくぎりくぎり言うのだった。

「じゃあ、そのミタマを鎮める方法を、教えてくださいませんかね、ゆ、さ、さん」結之介も名前をくぎりくぎり言い返す。

「そうねえ、そのタケミタマは暴れたくってしょうがないんだから、あなた、今から棒術の稽古でもしたらどう、その棒で」

「今から?」

「そう」

「こんな真夜中に?」

「そう」

 結之介、もはや絶句するしかない。

「じゃあ、本当におやすみなさい」

 ゆさは手をあててあくびをしながら、部屋に戻って行った。

 夜のしじまのなかにとどろくのは、暴れて床をならす棒の音と、

〈出せっ、俺様を出せっ〉

 偉そうな調子で叫ぶタケミタマの声である。

 結之介は布団の上にあぐらを組んで座って、頭を抱えてしばらく考え込んだ。

 なぜこうなった。俺は世の中の役にたちたくて、わざわざ近江の彦根から琵琶湖を渡って京にのぼってきて、新選組に入ったはずだ。それがなぜおかしな小娘のお供などをさせられる羽目になったんだ。だいたい、あの娘はなんだ。わがままで、勝手で、自己中心的で、ベタベタの名古屋弁で、おかしな霊力を持っていて、そして……。

 そこでふいに、結之介の脳裏に、彼女を初めて見たときの、光を放つような神々しい姿がよみがえってきた。その姿を思い出すと、彼の胸はなぜか温かく、心地よい、不思議な気持ちに包まれるのだ。

 結之介はひとつ吐息をついた。

 そうして立ち上がって、暴れる棒を手でつかみしめて、雨戸をあけて庭におりると、棒を振り始めた。

 結之介が使うのは、神道夢想流しんどうむそうりゅうの棒術(杖術)である。

 棒を振るたびに、空気を切る心地よい音がし、まるで周囲の虫の音と合唱しているようであった。

 ――こいつ、笑ってるな。

 結之介はそう感じた。棒を振るたびに、手のひらを伝わって、封印されたタケミタマがいかにも楽しげに笑うのがわかるのだ。

 もうずいぶん涼しくなった夜気のなか、汗をかき始めた結之介は片肌脱ぎになって、棒を振り続ける。腕を振り、足で地を蹴るごとに、汗が舞い散る。

 やがて結之介は無心に入っていった。

 月影に浮かぶその姿を、縁側にたってゆさはしばらく見つめ、やがてあくびをひとつ、たまりかねたようにもらすと、部屋に入っていった。




(一の巻終わり)

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