一の巻 少年が少女と出会って胸ときめかせること その四
「結之介さん、棒を前に!」
ゆさの声に弾かれたように、結之介は手に持った棒を前につきだした。
すると、棒に吸い込まれるように、いや、まさしく棒へと火の玉が吸い込まれていった。
火の玉を吸いとた棒は、一瞬目もくらむばかりに光を発し、じょじょに蝋燭の火が燃え尽きるように消えてしまった。
みな、あぜんと棒に視線をそそいでいる。不安と不審と不納得の入り混じる目つきである。
ふう、と、ゆさが吐息をついた。安堵したような吐息であった。
「祭具のない略式でしたが、うまくいって良かった」
そう言って皆をふりかえった。
「この森田さんというおかたは、なにも気が触れて暴れたのではありません。先に暴れたというふたりのかたも同様です。お三人とも、いま結之介さんの棒に封印したアラミタマ(荒魂)のしわざ、――正確にはアラミタマの眷属のタケミタマ(猛魂)という乱暴もののミタマです。この子がつぎつぎと隊士のかたたちに乗り移って悪さをしたわけで、まあ、この一連の騒動は、やんちゃな精霊のいたずらみたいなものとご理解ください」
一同、かたずをのんで聞き入っているが、語られる内容はまるで理解できずにいる。ご理解くださいと言われたところで、はいわかりましたと理解できる種類の話ではない。
「ですので、森田さんも他のかたたちも、切腹などと物騒な沙汰になんてしないで、まあ酔って暴れたくらいにして
土方は、まだ腑に落ちないような顔をして首をひねっている。
「まあ」と喉からしぼりだすように土方は言った。「念のためしばらくこのままにしておこう。ひと晩くらいほっておいても死にやしないだろう」
「まあひどい、血も涙もありませんこと。私の説明に納得してくださっていませんの」
「念のためだって言ってるだろう。別にお前を信用していないわけじゃあない」
そう言って土方は、ぷいときびすを返して土蔵から出て行った。斎藤も八木氏も、後に続いて去っていく。
「では、私たちも戻りましょう」
ゆさは結之介をみてほほ笑んだ。
「あ、あのう」どうしても納得できない様子の結之介である。
「なんですか、結之介さん」
「この棒は、いったいどうなったんでしょう。あんなのを吸いこんじゃって大丈夫なのかな」
「まあ、害はないでしょう。それよりも、タケミタマがあなたの武芸に力をかしてくれると……、思いますよ、きっと」
「ええっ、本当に大丈夫なの!?」
ゆさは、ぽんと結之介の肩をたたいて、
「大丈夫言っとるがね、信用しやあ」
唐突に濃い尾張なまりで言った。なんとなく納得させられてしまうような、朗らかな言い方であった。
そうしてゆさは、はずむような足どりで出口にむかう。
「さあ、はやく」
ふりかえって手招きするゆさのほほ笑みに、結之介は昨晩みた少女巫女の姿を重ね合わせた。
――やっぱりこの子だったんだ。
どこか温かく、どこか照れ臭く、なんとも言いようのない心地よさに心がつつまれるようであった。
外に出ると、土方と斎藤がツノを突き合わせるように、眉根をよせて話ている。
「それで」と土方がゆさに振り返って、「お前こんなことをするために、犬山から来たのか?」
「ああ」と思い出したようにゆさは手を打った。「これはこれで、それはそれで」
「なんだ、何が言いたい」
「京に来てからほうぼうで耳にしたんですけど、新選組の評判、ずいぶんなものですわよ」
「なんだと」
「女性をからかったり、お尻をなでたり追いかけまわしたり、酔って男の人に乱暴したり」
「わかってる。だから隊士の引き締めをしてるし、ことあるごとに切腹させて」
「そんな乱暴なのじゃなくって」といたずらっぽくゆさは笑った。「もっと世のため人のために働いてこそ、新選組の評判もあがろうというもの」
「ぜんいん坊さんみたいに頭を丸めて人助けでもしろと?」
「皆さんはしんでもいいです。いや、しなくていいです。
「おまえ、まさか新選組に入りたいとか言うんじゃなかろうな」
「正確には、私が特別な部署を作って、世間の皆様の評判をあげてさしあげましょう」
「特別な部署って」
「京の人たちの悩みをきいて解決する部署です」
「却下だ」
「ええぇ、いいじゃあないですかぁ」
「よくない、まったくよくない。新選組を
「嘗めてません。そうとう本気の提案です」
「女を屯所においておくわけにもいかないし、だいいち、その慈善組を作って好き勝手やらせたら、隊士たちにしめしがつかん。新選組の沽券にかかわる」
「すべて、その逆。まったくの正反対です。
「いいか、新選組というのは、京の治安を維持するために発足した役職だ。会津藩のあずかりで、公の組織だ。皆、命をかけて世をみだす攘夷派の浪士たちと戦っている。乱暴な手段を用いなくてはならないことだってあるし、いつも市井の評判を気にしてはいられない。子供のごっこ遊びじゃあないんだ。とっとと家に帰れ、馬鹿」
「いいですか、あの話をしますよ」
「ふざけんな」
「母が最初に日野の家に帰ったその晩」
とそこへ、
「いいじゃないか、トシ」
とよく響く低い声で縁側から声をかけたいかつい男がいた。
「あら、近藤のおじさま、お久しぶりです」
「よう、ゆさ坊、元気そうだな」
「近藤さん、あまやかさないでください、つけあがりますよ、このガキ」
「まあそういうなトシ。新選組の評判の悪さには、お前も頭をかかえていただろう。こないだなんぞ、酒の席でずいぶん愚痴を聞かされたぞ。あんなのはもうたまらん」
「そ、それは……」
「じゃあ、決まりですね」ゆさが、心底楽しそうに笑った。
「じゃ、がんばれ」土方はもうどうとでもなれという様子だ。「お前ひとりで勝手にやれ」
「だれがひとりですか。さっきから私たちと申し上げていますでしょう」
「ば、ばか、俺は手伝わんぞ」
「おじさまではありません。この結之介さんをお貸しくだされば充分です」
「ええ!?」突然降りかかってきた火の粉に、結之介は飛びあがった。先ほどからの「私たち」というゆさの言葉に、嫌な響きを感じてはいたが。
「もう好きにしろ」土方は完全になげやりだ。
「ええ!?」結之介は愕然とした。
「では、
と、ゆさは、ひとつ手を打った。
「新選組特殊任務部よろず課、結成です!」
土方はあきれているし、斎藤はすっかり鼻白んでしまっているし、近藤と八木氏はそんなゆさの姿をほほ笑ましそうに見つめている。
そして結之介はただ頭をかかえて、突然方向転換した自分の運命を呪っていた。
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