一の巻 少年が少女と出会って胸ときめかせること そのニ
近所の子供たちであろう、木の棒を振り回しながら追いかけっこをしている三人の男の子が、目の前を走り抜け、走り抜けざまに先頭のひとりが結之介にむかってあかんべをすると、他のふたりはきゃっきゃと笑いながら後について逃げるように去っていった。
そんな光景をあくびを噛み殺しながら、結之介はぼんやりとみていた。
新選組屯所の門の脇で、ただ立っているだけの退屈な見張り役であった。今日の当番は三番組であったが、こういう仕事は若い者の役目だとか、日頃役に立ってないのだからたまには役に立てなどと、見張り役を無理矢理押し付けられたものであった。
生成りのままのような木綿の
昨夜は、ほとんど眠りにつけず、明け方にうとうとしたくらいだったので、立っていても時々睡魔が襲って来る。初秋の午後のおだやかな陽射しも睡魔のいたずらを手伝っている模様だ。
――いったいなんだったのか。
神社の屋根にたって
そうこう惑っているうちに、ふと人影がさして。
「どうも、おじゃまいたしますよ」
そういって五十歳くらいの年配の男性が門に入っていく。
八木源之丞氏であった。
この屯所の、道を挟んだ西隣に屋敷を持っていて、その広大な邸宅の一部も新選組の屯所として使わせてもらっている。そんな関係で、いってみれば顔パスで八木氏はこちらの屯所にも出入りできるのだった。ちなみにこちらの屯所は前川氏の邸を借りているものだ。
「どうぞ」
と見送って、結之介はぎょっとした。
彼の後ろには、昨日のあの娘が楚々としてついて歩いていた。
昨夜の輝くような亜麻色とは違う、黒々とした髪をおしどりに結って、桃色地に花柄小紋の単衣に紅の帯を着けて、どこかの活発な町娘のようないでたちであるが、まぎれもない、あの娘だ。
娘は流し目をおくりながら近づいてきて、軽くおじぎをして立ちどまった。
そうして結之介の目を、顎の下くらいからうわめづかいにじっとみつめるのだった。
「ご案内してくださいませんの」
突然にその娘は言った。
ご案内と言われても、こちらは門衛仕事のまっただなかである。
「なかでとりついでもらえば」
大きな目で見つめられて、胸がどぎまぎしてしまい、結之介はそんなふうに言い返すのがやっとであった。
「これこれ、
門に入って振り返った八木氏がたしなめるように言った。
「その人は門の警護をしてはるのやさかい、困らせるようなことをおっしゃってはあきまへん」
「ええでも」と少女はちょっといじわるそうに微笑んで、「そうですわね、ごめんあそばせ」
すっときびすを返して、八木氏のあとを追って門をくぐって行った。
――いったいなんだったのか。
ぽかんとだらしなく口をあけて結之介はその後ろ姿を見送った。
「まったく頭が痛えな」
副長の執務室で斎藤一の報告を聞きながら、土方歳三がうなるように言った。
「これで何度目だよ」
「三度目ですね」斎藤も頭をかかえるようにして答えた。
「どいつもこいつも、欲求不満がたまってたんだろうが、なにも飯を食ってるさいちゅうに刀を振り回すこともねえだろう」
「気が休まりませんからね、この仕事は。なんかの拍子に爆発するんですよ」
昨日の隊士暴走事件のような事件はすでに前に二件もあって、それもここ十日あまりで立て続けに起きているのであった。前のふたりは隊士と殴り合ってから捕縛され、捕縛されたあとはまったくもとどおりに落ち着いているので、奥の座敷で謹慎させているが、今度のは、
「森田というのはどうもいけません」斎藤が心底困ったという顔で、「縄でぐるぐる巻きにして土蔵に放り込んでありますが、いっかなおとなしくなる気配がありません」
「さすがに、あの暴れっぷりじゃあなあ。腹を切らせるしかねえか」
ところへ、障子を開け放っている縁側のむこうから、八木源之丞が顔をだした。
「おや、八木さんいらっしゃい」
鬼の副長土方が笑って迎え、
「どうぞおあがりください」
庭に立つ八木氏に手招きをした。
「いえ、今日はお客をお連れしただけで」
「客ですか」
「ええ、こちらと間違えてうちのほうに見えられはってな。なんでも、尾張からはるばるひとりでいらっしゃったそうや」
「尾張から?」土方の濃い眉がさっと曇ったようだ。苦み走った顔がさらに苦くなる。
「ええ、お若いのにけなげにも」
「やっ」突然土方が声をあげた。「追い返してください。私は知りません、そんな小娘」
おやと不審顔をしたのは斎藤と八木氏で。客が娘だと誰が言ったのか。
「そんな娘は、知り合いでも親戚でもありません。けつを蹴り飛ばしてくださってかまいません、放り出してください」
鬼の副長が鬼の形相で声を引きつらせるのへ、
「ああ、おじ様、ずいぶんなおっしゃりようですのね」
八木氏の後ろから、桃色の着物の娘がすっと姿を見せた。
その若い娘の声を聞いて土方は額に手をやって、うなだれてしまった。
斎藤はその姿をみて、これは面白いことがはじまったと興味深々、切れ長の目がきらりと光った。
八木氏も好奇心をくすぐられたのか、用を終えても帰ろうとせずにことのなりゆきをみまもる気のようだ。
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