幕末☆幽怪伝-こちら新選組特殊任務部よろず課!

優木悠

一の巻 少年が少女と出会って胸ときめかせること

一の巻 少年が少女と出会って胸ときめかせること その一

 真っ暗な空に星がまたたいている。

 ――京の空は暗いな。

 杉原結之介すぎはら ゆいのすけは、夜の堀川通りを北へと駆けていく男を追いながら、そんなまったく無関係な思いが胸によぎった。

 そのせいというわけでもないのだろうが、結之介は石のようなものを踏んで、二、三歩けんけんと跳ねてよろめいた。手にした棒を思わず取り落としそうになって、慌てて握りなおした。棒術を使う結之介にとって、この五尺五寸(百六十五センチ)の棒は刀と同等に大切な得物だ。

「邪魔だ、役立たず!」

 先輩隊士の稗田というのがののしりながら、追い抜いていった。

 そのあとから、同僚たちが数人駆けていく。

 逃げているのは、森田という結之介と同じ新選組三番隊に属する男であった。

 皆で夕食をとっていると、とつぜん立ちあがってわめき暴れ出し、抜き身の刀を振り回しながら屯所から走り出ていった。

 壬生の屯所から四条通へ、四条通から堀川通へ、息をぜいぜい言わせながら三番隊隊士全員で森田を追っているが、まるで追いつける気がしない。

 このまま北上されれば、二条城に到達してしまう。

 場合が場合なので皆が新選組のだんだら羽織を着ているわけではなかったが、それでも将軍家の城の前で捕り物騒ぎを演じれば、新選組の沽券にかかわる話である。

 みな、血相を変えて必死に走るわけだ。

 だが、隊士たちは町家の密集する十字路で足をとめ、顔を突き合わせた。

「この辻までは確かに前を走っていた」「なぜ見失った」「北に走っていったぞ」「いや、東へ折れた」「これだけ人数がいてなんで誰もちゃんと見ていない」「あれは酔っていただけだろう、もう放っておこう」「いや酔ってなどいない」「なぜわかる」「俺は森田の隣で飯を食っていた、あいつはひと口も酒を飲んでいない」「じゃあ、なぜ暴れ出した」「俺が知るか」

 無益な論争が始まった。結之介はこの中で一番若くて、十七歳。とても先輩諸氏の無駄話をとがめる度胸は持ち合わせていなかった。ところへ、

「何をしているっ」

 叱声がとどろいた。

 隊長の斎藤一が追いついてきたのだ。彼は皆とは別の場所で食事をしていたので、異変の報せを受けてから遅れて飛んできたのだろう。

 そうしててきぱきと指示を出した。

 おまえはこっち、おまえとおまえは向こう――。

「杉原」

「はい」

「お前は俺と来い」

「わかりました」

「皆、散れ!」

 斎藤の号令とともに、隊士十数人がいっせいに夜の京に駆けていった。

 斎藤と結之介は、東の路地に入っていった。しばらく行くと、左手に雑木に包まれた小ぢんまりとした神社があったが、斎藤はちらとうかがっただけで、ずんずん先へ進んでしまう。

 結之介もその鳥居の前を通りすぎかけて、何の気なしに境内を除いて、どきりとした。

 思わず足をとめて、やしろの屋根に立つそれを――その少女を、引き寄せられるように凝視した。

 この神社の巫女であろうか。

 少女は白い着物に赤い袴を着け、うえからは純白の向こうが透けそうな千早ちはやを羽織っていて、手には白木の弓を握っていた。卵のような形の良い輪郭に、細い柳のような眉と、大きな目をして、団子のようかかわいらしい鼻の下にはちょっと厚めの唇があった。

 そして屋根のうえにたつ不思議さよりも、一番異様に思えたのは、夜空に光る亜麻色の髪の毛であった。うなじの辺りで長い髪を結って、そのふさが、風がそよぐとともに、ふわりふわりと揺れている。揺れるとともに星屑のような粒子がぱらりぱらりと舞うように見えた。

 少女までの距離は十一、二間(二十メートルほど)もあったが、夜、薄い月明かりのもとで、なぜかくっきりとその姿が結之介の目に映るのだ。

 にこり、少女が結之介に微笑んだようだった。

 次の瞬間、少女は弓を構え、矢をつがえた。

 矢は破魔矢と言うのだろうか、矢じりはついていず、白い矢竹の棒に白い矢羽根がついている。

 静かに、草花が風に吹かれたようなたおやかさで、少女は弓矢を構えた。

 そして、その先端は、確実に結之介に向けられている。

 結之介は息を飲んだ。金縛りにあったように、足がまるで言うことをきかず、その場に釘付けになったように動けなくなってしまった。

 少女の口から、なにか歌のようなものが流れ始めた。

「ひふみよいむなや こともちろらね しきるゆゐつ わぬそをたはくめか うおゑにさりへて のますあせえほれけ」

 透きとおるような声色で不思議な歌を唄う少女の身体が、わずかに輝きはじめた。歌の終わりには、少女の全身は星を集めたように煌々と桃色の光りを放つ。

「破魔一閃」

 たからかな一声とともに、体を包む光が矢へと収束し、輝く矢が放たれた。

 放たれた矢は一条の光線となって闇を裂いて、走る。が、矢は結之介からそれて、鳥居の付け根あたりにあたった。

 とたん、なにかが弾けるような音とともに、夜気を引き裂くような叫び声がそこからあがった。

 ぎょっとして、棒を構え結之介はそこへと走り寄った。

 すると鳥居の陰から、ひとつの影があらわれた。

「森田さん!?」

 結之介は驚愕した。

 逃げていた隊士がうめきながらよろめきでて来、そして、電流が走ってでもいるように全身を震わせ、苦悶の表情をしながら参道に倒れ込んで気を失った。

 「どうした、なにがあった」

 斎藤が叫びながら戻ってきた。

 結之介はただ立ちつくし茫然と倒れる森田を見つめ、ふと思い出したように神社の屋根を見た。

 だが、そこには何もない。さっきほどまでいた少女巫女は幽霊か幻かでもあったように、霧散してなにも見えず、黒い虚空だけが屋根を取り巻いていた。

 八月の、すこし冷たい夜風が木立をさざめかせ、境内を渡っていった。

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