第3話 敵国の空

『――警告する。当空域を米軍の許可なく飛行することは許さレていない。警告に従わない場合は我が軍への攻撃とみなし排除する。繰り返ス。進路を変更し、当空域から退去セよ』


 米軍の……許可、だと?

 何を言っていやがる!! ここは日本だ! 日本の空だ!!

 ここがいつからアメリカの空になっただと!? ふざけるのも大概にしやがれ!!

 冗談じゃ済ませんぞ……!


 確実に目が血走っていただろう俺は、警告とやらに従うつもりは微塵もなく、敵の攻撃を最大限警戒しつつさらに高度を下げる。そして東から南南東へと進路を変更した。

 訳の分からぬ警告とはいえこの不穏な状態の中、真っすぐ多摩飛行場へ向かうのは、やはり何らかの危険性がある気がしてならない。

 迂回ルートを採ることにしよう……それならば海老名辺りで北上を開始し、平野に出てから北へと飛行すれば、その街並みを良く観察も出来る。

 そのまま飛んで南から飛行場へアプローチする手筈とすればいい。


 高度が千メートルにまで下がった頃、平野の入口へと差し掛かり海老名近辺の街並みが眼下に開け、その姿が明らかになってきたが……。

 ――!?

 その姿は俺が見知った景色とは、全く異なっていた。

 農地が広がっていたはずの場所に、小さな家が所狭しと居並んでいる。

 茶色い土が剥き出しだったはずの道が、路面の整った都会の道へと変わり、そこに豆粒のような大きさにしか見えないが、多くの車がすれ違いながら走っているのが判別できる。

 なんだこれは……?

 ただただ地上の仔細をつぶさに観察してみるが、答えが出るわけもない。

 そうしていると、進行する先に何らかの敷地内にある滑走路らしき地形が目に入った。

 あんなもの、出撃した時には確かに無かった。

 この短時間に敷設されるはずもない。本当にどうしちまったというんだ?

 俺は焦点をその滑走路に集中させていると、そこで動きだした物体に気が付いた。

 ――何だ?

 最初は車かと思ったが、そいつはろくに滑走もしていないのに浮かび上がったようだ。

 そして俺が進むのと同じ北へと進路を取り、急速に高度を上げてくる。

 二機だ……飛行機……ではない?

 俺は後方上空から、その不明な飛行物体を追う形になった。

 その物体は俺の行く先へと回り込むように、さらに上昇してくる。

 近づくにつれ、形が掴めるようになってくると、そいつには翼が無いことが判った。代わりに、機体の上部に大きなプロペラが付いていて、それが回転している。

 あれは……オートジャイロ!?

 多摩川の飛行実験部で、噂にだけは聞いたことはある。

 あんなものが既に開発されたとは……それとも、米軍のものか。

 後者であれば叩き落してやるが、上からでは機体の日の丸を確認することもできない。

 現在自機は約百十ノットで飛行中。

 機体がこんな状態でも、いざとなれば二百二十くらいまでは大丈夫だろうし、翼のないアレがそこまで速いとは思えない。

 ややすると二機のオートジャイロは左右に分かれ、俺のいる高度に達すると同じくして平行位置についた。相対速度はゼロ、距離約二百メートル。

 そして、その胴体には――

「アメ公のマーク!!」

 俺の口から憎しみと共に言葉が溢れ、頭の血は瞬時に沸騰した。

 増速をしようとした、が――堪える。

 この不可思議な状態に対する警戒心が、スロットルレバーを押す手を留めた。

 敵が攻撃を仕掛けて来るならば、もちろん反撃はする。だが、敵もどうやらこちらの様子を窺っているような雰囲気がある。

 もう少し、観察を続けよう。少しでも変な気をみせやがったら、その時は大和魂をぶち込んでやる。


 左右のオートジャイロは、徐々に俺との差を縮めてくる。

 百メートルを切ったころ、左に付けていた一機が徐々に俺の後ろに回り込んでいき、真後ろについた。

 右のオートジャイロも、百メートル……五十メートルと少しづつその間合いを詰めてきた。

 そいつをつぶさに観察してみると、少なくとも4人の乗員が中にいるのが確認できる。

 側面に開閉できそうな扉のようなものが取り付けられており、その窓から敵がこちらをまじまじと見ている。

 その外面上からは、武装していると思われる箇所は見受けられない。

 だが、少し自機の位置をずらして後方のオートジャイロを見てみると、そちらの方の機体には、両側面に短い翼のような張り出しがあり、その下に燃料を入れた増槽だろうか、両翼下にタンクが取り付けられている。

 武装らしきものは見当たらないものの、俺は易々と敵に尻を取らせた格好になる。

 だが依然、敵が何らかの攻撃をしてくる気配がない。

 やはり何かがおかしい。

 右の敵機は、窓の中から俺の四戦の写真を撮影している。

「ナメやがって……」

 墜とすか?

 俺の脳裏に横切ったその思案も、住宅が立ち並ぶ直ぐ上でおっぱじめることを躊躇する心が押しとどめた。

 どうせなら山側に誘導してから墜とすか、と思いを決めたその時、まさか? という感覚が胸中に去来した。

 ――まさか、敵もそれを踏まえて攻撃するのをためらってるのか?

 オートジャイロにとっての敵国の空でそんなことはあるはずがないと思いつつ、先ほどの不可思議通信の内容を加味して考えてみると、符合はしないでもない。

 あの通信の後、俺は進路を変更した。

 こいつらは俺がこの後また進路を変えるかどうか監視している?

 右と後ろについて西の山側へと押し戻そうとする構えを見せているのだろうか。

 今また俺は、多摩飛行場へ向けて南から直進している。

 となれば、敵からして越えてはならない線を越えた時、住宅街の上空だろうと何らかの攻撃をしてくる可能性は大だ。

 そんな思案していたその時、右のオートジャイロの側面扉がスルスルと開いた。

 ――!!

 そこには、側面機銃が取り付けられていて、俺の心拍数は急激に跳ね上がった。

「12.7ミリ!? いかんっ!!」

 俺は回避行動を採ろうとした――が、鈍色のその機銃は斜め下を向いたままで、機銃員も銃に手をかけてはいない。

 そして、そいつは腕を使った身振りでしきりに『西へ行け』と合図しているように見える。

 成る程。さっきの通信と奴らが主張しているところは同じということか。

 だが、従ったところで山上に出た途端、至近距離から銃撃されるのはまっぴら御免の助だ。

 それに、俺が還るのをどうしてお前らに邪魔され、指示に従わねばならない。

 ここがたとえ真珠湾の上、たった一機になったとしても敵国の命令など受けるか!

 俺は自機をブーストさせて、急速に速度を上げ左旋回を行った。

 後方の敵が慌てて追いかけてくるのを視界の隅に捉えながら、降下エネルギーも加味した速度で自機は二機のオートジャイロから離れていく。

 思った通り敵は翼が無く、降下によって得られる加速も自機に比べて少ないようだ。

 小回りが利くようで、俺の行く手に回り込もうとするが、距離が大きく離れたため、もはやそれは叶うまい。

 しばらく飛行し、彼我の距離を十分に引き離してから、俺は再び北へと進路を取る。

 高度は既に二百メートルにまで降下しており、町の人々がどんな服を着ているのかまで判別可能になった。

 皆、驚いた様子で自機を見上げている。

 着ている服がなんだかへんてこな奴もいるが、その姿は確かに日本人であることに間違いはなく、俺は少し安堵の心地となったが、その気持ちもすぐに吹き飛んだ。

 自機の上空に、オートジャイロではない別の不可思議な飛行物体を確認したからだ。

 今度こそ俺は驚愕した。

 上空を飛ぶその機影から窺えるその機体には――


 プロペラが無かった。

 

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