第2話 多摩飛行場

 機体を降下していく中で、俺は自機の現在地を掴もうとしていた。

 さっきまで潜っていたあの雲が忽然とどこかへ消えてしまい、雲一つ無い雲量ゼロの快晴下、地上が良く見える。

 俺の見立てでは、雲の中を飛んでいたとしてもまだ海上か海岸線付近だと思っていたのだが、下方を眺めてみると、いつの間にか山の上に出ていることが判った。

 そして驚くことに、富士山が遠く南西の方角に確認できたのだ。

 そんな馬鹿なと、富士・山中湖などの地形と自機の位置関係をもう一度確かめてみるが、自分が今飛行しているのは丹沢山系上空――丹沢山と雲取山のほぼ中間地点辺りで間違いがない。

 雲の中での体感――速度や飛行した時間――は、今飛んでいる空域に至るそれと比べたらはるかに短い。

 俺の感覚では、まだ戦闘した空域を中心とした半径で、箱根辺りまでの距離を飛んでいると思っていたのだが。

 現実にはその二倍以上の距離と、非現実的な高度にまで自機は飛行していた。

 あのエンジンの調子では、有りうることじゃない。

 いや――あの不思議な雲の中にいたので、方向や速度の感覚が麻痺しておかしくなっていたのだろうか。それにしても不可思議に過ぎる。

 そして、それにもまして不可思議なのは、ここからでも遠望できる平野に広がる帝都方面一帯が、全体に白っぽく見えていることだ。

 雪が降った……とかではない。小さな凹凸が、数限りなく不規則に並んでいるような、それが密集しているように見える。

 例えるならば、敵国の摩天楼を遠景として捉えたらこんな感じだろうか。

 いやしかし……まだ春先だというのに、蜃気楼か何かだというのか?

 それとも俺の頭が酸素不足で見ている幻影?

 兎も角今は、隊の所属基地である多摩飛行場へと帰還することが最優先だ。

 分隊長の安否も気にかかるし、自機にダメージを負ってもいる。

 相模湖を眼下に捉え、高度は三千五百ほどにまで下がった――

 

 突如、何者かの声が俺の耳に飛び込んで来た。

 『――ッ……エァ……コタ……ドゥ……コピィ』

 俺の心拍数が急速に跳ね上がった。

 これは……英語!?

 俺は即座に操縦桿を倒し、フットペダルを踏み、回避行動を採る。

 全周囲に視線を走らせ、声の主を探す。

 機体の向きを変え、反転してまで探してみるが、声の主は見当たらない。

 そもそも、こんな空の上で敵パイロットの声など近くにいても届くはずもない。

 もしかしたらスピーカーで……などと考えてもみたが、そうする理由は敵にあるわけもないだろう。

 そしてこの俺の四戦には、無線は取り付けられてはいないのだ。

 だが、俺の耳に届いた声は体のすぐそばで語られているような大きさだった。

 雑音が混じり不明瞭ではあったが、あれは確かに英語の発音だ。

『ユァ……ッ……コォス……ヒ……ガガッ!』

 ――まただ!

 一体どこから音が出ているのか、破れた風防から流れ込んでくる気流の音で良く分からないが、どうやら操縦席周りの鉄板から響いているような気がする。

 振動して音が出ているのか? いったいどうなってる!?

 俺は周囲の空を警戒しつつ、機首を再び多摩飛行場へ向け、さらに高度を落としていく。

『ガガッ――ドロォン? ザ……アンノン……ド……ン……』

 しきりに【どろん】という言葉が現れる。

 どろん? 俺がどろんして逃げるって? だったら姿を見せてみやがれ。ここは俺の庭みたいなもんだ。叩き落してやる。

 その時だった。

『にほんごで……ガピッ……現在ヨコタエアベース西南西9000フィート付近を飛行中の機体パイロット、応答求ム』

 日本語だ! だが、いったいどうやって無線を飛ばしているんだ!?

『当機の所属と機体番号を照会したい。所属と機体番号を知らせよ』

 機体番号……?

 なぜ俺の機体の個別番号などを訊きたがる?

 不審が群雲のように湧いてきた。

「こちら陸軍第10飛行師団所属機」

 おおまかに返答をしてみる。

『…………現在ヨコタエアベース西南西9000フィート付近を飛行中の機体パイロット。交信は可能か?』

「こちらは陸軍第10飛行師団所属機だ!」

『応答セヨ。繰り返す。応答セヨ』

 どうやら俺の声は向こうに届いていないようだ。

 しかし、ヨコタエアベース? ヨコタ……飛行基地? なんだそりゃ? 

 確か飛行場近くにそんな名の小さな区画があった気がするが……。

 とにかくだ。色々な不可思議な事象を確かめるためにも帰るしかない、多摩飛行場へ。俺の選択はそれしかないだろう。

 この短時間の間に飛行場が米軍に占拠された? あり得る話じゃない!

 落下傘部隊が……いや、あり得ない。

 俺は頭を振り、深く息を吸う。

 帰るぞ――そう再び心を決めた時だった。


『ガガッ――不明機に告ぐ。当機はヨコタ空域に侵入している。直ちに進路を変更し高度を上げ空域からの退去を命じる。繰り返す。当機はヨコタ空域に侵入している。直ちにこの空域からの退去を命じる』


「はん?」


『従わざれば、当機を撃墜の要有りと認め――攻撃する』

 

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