五十歳の約束~フォーエバー・フレンズ~

Youlife

第1話

 気が付けば、今日もオフィスの壁にかかった時計が五時の針を指していた。

 室内にはまだ多くの社員が残っていたが、沢村恭平さわむらきょうへいは他の社員のことなど気にも留めず、そそくさと帰る支度を始めていた。


「あら、沢村係長。今日は早いですね」


 恭平の部下である井上いのうえゆりあは、キーボードを叩く手を止めて恭平の帰り支度を物珍しそうに見ていた。


「何だよ、早く帰っちゃいけないのか? 」

「だって係長、いつもならば九時ぐらいまで残業してるじゃないですか?」

「た、たまには早く帰りたいよ、俺だって」


 恭平は早く帰る理由を気づかれないよう、顔を背けてごまかそうとした。すると、ゆりあの隣に座る町田葉月まちだはづきが口元に手を当てながら、ゆりあの耳元にそっとささやいた。葉月は庶務担当で、社員の福利厚生を管理しているが、口が緩く、時々社員のプライバシーに関わることを口にしてしまう悪い癖があった。


「ゆりあ、今日は係長の誕生日よ。五十歳になるんですって~」

「え~! 係長、五十歳なんですか? おめでとうございます! 」


 ゆりあは驚いて、オフィス中に響き渡る位の甲高い声で叫んだ。

 

「バカか! 声がでかいっつーの! 」

「だって、人生の大きな区切りですよ、五十歳って。ねえ係長、今日は誰かにお祝いしてもらうんですか? 家族? 同期の人達? それとも、愛人……かなあ?」

「想像に任せるよ。でも、最後のは余計だよ!」


 恭平はゆりあの詮索に腹が立ち、ドアを叩きつけるように閉めると早足で外へと歩き出した。

 薄暗い空には三日月がかかり、帰宅途中のサラリーマン達が次々と地下鉄の階段へ向かって歩いていた。階段を降りる最中、恭平のスマートフォンの着信音がけたたましく鳴り響いた。恭平は慌ててコートのポケットからスマートフォンを取り出すと、受信環境の良い地上に出てから耳元に押し当てた。


『パパ―! 今どこにいるの?』


 長男のはやてと長女の理央りおが、三角帽をかぶって画面の中で手を振っていた。その後ろでは、妻の美沙希みさきが背中を向けて部屋の飾りつけをしていた。今日は家族が恭平のために誕生日パーティを企画し、早く帰ってくるよう念を押されていた。


「まだ会社を出たばかりなんだ。お腹空いたなら、パパより先に食べていてもいいぞ」


『ママがダメって言うんだもん。今日はパパが主役だから帰ってくるまで食べちゃダメだって』


 耳を澄ますと、子ども達の背後から美沙希の叫ぶ声が聞こえてきた。すると美沙希が子ども達を両手で押しのけて、画面の中央に登場した。


『もしもし。美沙希だよ。いつもならパパを待たずに食べちゃうんだけど、今日は家族みんなで料理作ったんだ。颯は、パパの好きな特製オムライスを私と一緒に作ったの。あと、理央がパパのために初めてパウンドケーキを焼いたんだよ』


「おお、それは楽しみだね。すぐ帰るから、悪いけどもうちょっと待っててよ」


 恭平が手を振ると、美沙希と子ども達は笑顔で手を振り返してくれた。


「ふう……子ども達のためにも、今日は早く帰らないとな」



 地下鉄を下車し、駅から続く商店街を抜けると、正面に恭平の自宅のある十二階建てのマンションが目に入ってきた。やっと家族に会えると安堵した恭平のすぐ傍を、赤色灯を回しながらパトカーがゆっくりと通り過ぎて行った。あっけにとられていた恭平であったが、今度は警視庁の名前の入ったコートを着込んだ警察官達が近くの商店に入り、店主を呼び出して聞き込みを始めた所を目撃した。

 何か事件でも起きたのだろうか? 不安は尽きないが、今の恭平には自宅に早くたどり着くことが最優先だった。

 遠くから自室に灯りがともっていることを確認し、マンションの入口に近づこうとしたその時、入口を塞ぐかのように立ちはだかる一人の男の姿が目に入った。

 猫のイラストが入っている白いスウェットの上下を着こみ、金色の髪をオールバックにまとめ、茶色いレンズのサングラスをかけたその男は、見た目にも威圧感があり、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。地面には、男が吸ったであろうたばこの吸い殻が散乱していた。

 しばらく待てば、そのうちどこかに行ってしまうだろう……そう思った恭平は、マンションから離れた場所から遠目に見ながら待ち続けていたが、男は一向にその場から立ち去る様子がなかった。このまま男が立ち去るのを待っていたのでは、自分の帰りをずっと待っている家族に申し訳ない……そう思った恭平は、強行突破を決意した。恭平はマンションの入口へと歩き出し、男にわざと気づかないふりをしながら早足で通り過ぎようとした。


「おう、恭平ちゃん。誕生日、おめでとう」


 男は笑いながら、通り過ぎようとする恭平に親しげに語り掛けてきた。


「だ、誰ですかあなたは? どうして私の名前を? そして、どうして私の誕生日を……? 」

「何だよ、俺のこと忘れたのか? 俺だよ、紺野弘樹こんのひろきだよ」


 男はサングラスを外すと、目配せしながら恭平に手を振った。


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