第41話 素敵な誤爆
慌てて自分たちの職場へ向かった。やることはお互い盛りだくさんだ、特に成瀬さんは営業部のエース。私よりずっと重要な案件を沢山持っている人だ。
私はすぐさま自分のデスクに行き、隣の今泉さんに挨拶をした。パソコンを立ち上げ、さて何から始めようかと思っていると、甲高い声が響いてきた。
「おはようございます成瀬さん!」
耳を塞いでしまいたいぐらい、拒否反応が凄い。私は自然と眉を顰めていた。やや離れた場所に目を向けると、やはり高橋さんがうさぎかよと突っ込みたくなるぐらいに跳ねながら成瀬さんのデスクに近づいていた。朝っぱらから、なんだよ。
彼女はオフィス中に響き渡るような声で言った。
「お味はどうでした??」
カレーのことだ、と分かった。
朝一番にみんなの前で、カレーの感想を聞いているのだあの子は。
成瀬さんはああ、と思い出したように鞄から空の容器を取り出した。それを見て高橋さんはわっと声を上げる。
「全部食べてくれたんですかー!? 私が作ったカレー!」
私が作った、をやけに強調している。周りがざわめくのが分かった。そりゃそうだよね、手作りのカレーを差し入れするなんて普通、深い仲だと勘違いしてしまう。
成瀬さんは立ち上がり、容器を高橋さんに手渡す。
「はい、凄く美味しかったらしいよ」
「よかったですうー! 頑張って作ったんで」
「佐伯さんが全部食べてくれた」
成瀬さんの言葉に、高橋さんは笑顔のまま固まった。私の名が出たことにより、周りの社員たちも固まった。隣に座る今泉さんに至っては、勢いよく私を振り返る。曖昧な笑みを浮かべて答えるしかなかった。
成瀬さんは未だ笑顔を凍らせたままの高橋さんに言う。
「断ったはずだけど、もう一度言うね。俺高橋さんからの料理はいらないから。佐伯さんが作ったもの以外食べられないし」
何十の目が一斉に私を見た。こんなに誰かに注目されることなんてなかなかない。私は居心地が悪くなって小さくなった。
高橋さんも私の方を見る。そして理解できない、というように顔を歪めて首を傾げた。
「な、成瀬さんそう言うこと言うのよくないですよー? ほら、前も言ったけど佐伯さんに頼りすぎも」
「でも特別な人にならしてもらってもいい、って言ってたじゃん」
「は???」
「佐伯さんとようやく付き合えることになったので、もう引っ掻き回すのやめてくれる?」
「…………は」
高橋さんは目を真ん丸にした。時間が止まったかのような沈黙が流れる。それを破るかのように、誰かの電話が鳴り響いた。慌ててそれに対応する人の音で我に返ったのか、高橋さんは大きな声で叫んだ。
「嘘、そんなの嘘ですよね!?」
「ほんとだけど。まあ、この話は置いておこう、それより高橋さんに話したいことがある。
君何しに会社に来てるの?」
「……え、え?」
「今の指導係の村田と三人で時間を割き、今後について話したわけだけど、君からは全然やる気が感じられないっていうか。未だに少しでも複雑な仕事があるとほかの社員に頼ってるの、気づいてるよ。お前らも簡単に受け入れんな」
成瀬さんが誰にともなく苛立った声で言った。自覚があるらしい数名の男性社員が視線を泳がせている。
「仕事が出来ないのは別にいい、そこにやる気があるなら。一生懸命やって出来ないならフォローするつもりだったけど、全然そんなの感じられないんだよね。今も、朝からみんな集中して仕事してる中でカレーの味の感想聞きに来るってさ。それに加えて、トラブルを巻き込むようなことばかりしてる」
「え、何のことですか」
「散々君が裏で煽ってた彼のことはもう片付きました。プライベートなことを持ち込んでもめごとを起こすような人ははっきり言って迷惑」
高橋さんはようやく気が付いたようだ、大和のことだと分かったんだろう。凄い形相で私の方を睨みつけた。今泉さんが小声で「こわ」と呟いたのが耳に届く。そんな彼女に、成瀬さんはさらに追い打ちをかける。
「なんで佐伯さんを睨んでるの? 今話してるのは俺だよ」
「睨んでなんかいません! 成瀬さん何か勘違いしてませんか? 私は前佐伯さんに怒鳴られたこともあるし、きっと嫌われてるんです。佐伯さんが成瀬さんに嘘を言ったんですよ、信じてください……」
「俺人の財布から免許証勝手に取る人間は信じられないなあ」
高橋さんはぴたりと止まった。瞬きすらせずに、ゆっくり首を傾げる。
「……ええ? あれは間違って紛れ込んで」
「店の人に監視カメラ見せてもらった」
「は」
やはり真実だったのか、彼女は停止したまま言い返さなかった。頭の中でどう切り抜けようか必死に考えているようにも見える。そんな相手を、成瀬さんは笑った。
「ハッタリだよ、その様子じゃやっぱりそうだったんだね」
ハッとした顔になる。そして彼女は拳を握り、わなわなと震えさせた。そして涙声で叫ぶ。
「ひどい! 何でそんなこと言うんですか!」
「俺は正直に言っただけ」
「私は何も悪くありません、周りが悪いんです。ここに入る前からずっと成瀬さんに憧れてたんですよ、絶対結婚するって決めてたんです!」
おいおい何を言いだすかこの娘は。周りも見えていないのか、彼女は止まらない。
「同じ部署に入れてやっと近くになれたと思ったのに、ついた指導係は成瀬さんじゃないし。私には絶対成瀬さんがついた方がいいのに! 取引先なんてエロ親父ばっかりなんだから、私と組めば成瀬さんはもっともっと成績が伸ばせます。それを分かってない上司が無能なんです!
しかも指導係は堅苦しくて真面目で息が詰まりそうだったし。大して可愛くもないくせに、仕事が細かいからってほかの男性社員からもよく思われててはあ? って感じ。身の程をわきまえて自分から指導係を辞退してくれればいいのに気がきかないし!」
「ほう」
「むかつくからちょっと怒らせようと思ったけど無理して涼しい顔して。男取られるなんて自分に魅力がないからって自覚すればいいのに!」
「なるほどねえ」
「その男も結局はあいつの方がよかったとか言って、頭空っぽ。お似合いだと思ってせっかく応援したげたのに何調子乗ってんの? あの人と成瀬さんが付き合うとかありえないじゃないですか! 私はこんなにずっと成瀬さんを見てきたのに!」
数々の凄い発言を吐き出した高橋さんは、息をはあはあと乱している。誰も何一つ言葉を発せなかった。いつも高橋さんをキラキラして見ていた男性社員たちも、さすがにドン引きの目で彼女を遠くから眺めている。
隣から、今泉さんのため息と混じった「わお……」という声が漏れてきた。呆れと、面白いものを見てしまったという弾んだ声だった。
周りもどうしていいのか分からず、誰も声を発せない状態になった。ややあって、成瀬さんが爽やかに声を掛けた。
「うんうん、素敵な自爆をどうもありがとう」
「え……?」
「君がどれほど仕事を軽視しているのか、そして故意にトラブルを起こしているのかよく分かりました。君みたいな人はうちにはいらない。ほかに異動した方がいいと思う。いや、異動先があるかなー受け入れ先が可哀想だな」
「ど、どうしてそんなこと言うんですか酷い!」
「今回のことは上司にしっかり報告させてもらう」
冷たい声で成瀬さんが言いきった。高橋さんは信じられない、という表情で成瀬さんを見ている。追い打ちをかけるように成瀬さんは続けた。
「何か勘違いしてるみたいだけど、男は頼ってりゃ喜んで落ちると思ってたら大きな間違い、少なくとも俺は無理。多分地球で異性が君一人になっても受け入れられないと思う。ちゃんと責任感を持って毎日頑張ってる人の方がずっと素敵だからね。いつも高い声でやたら触ってきてたけど、可愛いなんて思ってないから。てゆうか俺、好きな人しか可愛いって思わないからね。
まあ一つだけ感謝するなら、君が頭の悪い男を誘惑してくれたおかげで、俺はとても素敵な人と結ばれることができた、ってとこかな」
皮肉たっぷりに言った成瀬さんの言葉を聞いて、高橋さんは顔を真っ赤に染め上げた。そして自分のデスクから鞄を乱暴に取ると、そのまま走って飛び出していった。私たちはぽかんとそれを見送るしか出来なかった。
やっぱりあの子、元々成瀬さんを狙ってたのか……指導係を成瀬さんにしたくて、さらに私のことも気に入らなかったら大和を寝取って怒らせようとした。なんて遠回りな作戦なんだろう。簡単に寝取れて散々見下していたんだろうな。
これからどうするんだろう、まさか高橋さんまで制裁を下すとは思っていなかったのだ。
「あーお騒がせしました、すみません」
成瀬さんがそう周りに頭を下げると、少しずつみんな仕事に戻って行った。多分、凄い場面を見てしまい呆然としているせいか、誰も成瀬さんに声を掛けることはしなかった。みんなそれぞれ頭の中を整理するのに必死に違いない。
ただ、隣の今泉さんだけは、私に満面の笑みを浮かべた。そして無言で親指を立て、話を聞きたくてうずうずしてる顔で見てきた。私は苦笑いし、きっと昼休憩は質問攻めになるんだろうなあ、と覚悟した。
結局その後高橋さんは帰ってこなかった。成瀬さんは本当に今回の件を上司に相談しに行った。しかも、一人ではなく複数の女性社員を連れて。
どうもあの子の仕事のやる気のなさが周りに迷惑かけていることを、同性たちは苛立ってしょうがなかったらしい。さらには、なんと彼氏を寝取られた人がほかにもいたとかなんとか。
成瀬さんがみんなの前でびしっと言ってくれたことで、女子社員たちも決断。一緒に上司に直談判をしに行こうと団結し、成瀬さんに提案してくれたのだ。
成瀬さん一人でもすごい力だというのに、そこに多くの女子社員たちもそろっていては、上司も頭を抱えるしかなかった。元々この上司は高橋さんをお気に入りにしていたのだ。
結局その後、高橋さんは営業部から異動になった。でも、あの成瀬さんとこんな騒ぎを起こしてしまったという噂は一気に社内に回り、異動先でもなじめず問題を起こし続けたとかで、少し経ってから知らない間に退職することとなる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます