第40話 ひとまず、安心

 大和は固まって自分が送った文章を見ている。だがすぐに表情を緩め、穏やかな口調で言った。


「すみません、今見返したら確かにそうですね。断られたショックで送ってしまったようです。噂になってしまって申し訳ありません。ただこれでストーカーって呼ばれるのは」


「次に、佐伯さんの家に二度も足を運び、一度は待ち伏せしていますね」


 淡々と話を進める成瀬さんに、大和は少し笑った。


「あのですね、俺と志乃が付き合ってたことはご存じですよね? 別れ方にやや問題があった自覚があります、その後話し合いたくて相手にコンタクトをとる、男女によくあることですよ」


「問題は一度目、嫌がる佐伯さんの声を無視して無理やり上がり込んでいること、その次は何時間も待ち伏せして彼女に恐怖心を与えたことです」


「い、いや、待ってください、一度目は確かに行ったけど、思えば二回目は行ってません、何かの間違いですよ。志乃の虚言じゃないですか?」


 私の方を見てそしらぬ顔でそう言い放った。目が合った途端怒鳴りつけてやりたい衝動に駆られる。見間違いなわけがない、次の日『なぜ家に帰ってこなかった』という発言もしていたじゃないか。


 だが私が口を開くより前に、成瀬さんが違う用紙を取り出した。それをまた佐川部長と大和の前に置く。


「そういうバカげた言い逃れが出来ないように、証言を取りました」


「証言?」


「佐伯さんの住むアパートの住民たちに話を聞いて回りました。その中で二名、確かに彼が佐伯さんの部屋の前で待っている様子を見た人がいます。それぞれの証言から大体の時間を推測すると、少なくとも二時間半は待ち伏せしていたことになります。この寒空の中よくやるなと感心したいところですが、これは女性からすれば恐怖の行為そのものでしかありません」


 淡々と事実を述べる。佐川部長は頷いた。


 土曜日成瀬さんが出かけていた理由の一つがこれだったらしい。わざわざ私のアパートに足を運んで一部屋ずつ訪問して回ったのだとか。その行動力に感嘆する。


 大和は黙り込んだ。追い打ちをかけるように、さらに成瀬さんが言う。低い低い声だった。


「そして最後に……嫌がる彼女に無理やり口づけた、と」


「…………い、いや、それは」


「時刻は夜、周りに人気のないアパート玄関前で、不意打ちに。知っていますか? 無理やりキスする行為は強制わいせつ罪に該当するんですよ。嫌がる相手の家に上がり込んで、プロポーズをして断られているにも関わらずキスをして、嘘の噂を流す。いかがですか」


「待ってください、何かの間違いで」


 反論しかけた大和に、成瀬さんはずいっと顔を寄せた。そして冷たい声でぴしゃりといった。


「ちなみにこれの目撃者は俺。俺がこの目で見たんだよ」


 その黒い声に、大和は黙り込んだ。体を固めて、真っ青な顔をしている。完全に混乱し動けなくなっているようだった。


 すっと成瀬さんは姿勢を正す。佐川部長に問いかけた。


「どうでしょうか。これは十分罰するに値する行為だと僕は思っています」


 佐川部長はじっと紙を読んでいる。少しして、一つ深い息を吐きだすと頷いた。


「同意する」


「では、僕が提案したように?」


「私から上に報告しよう」


 大和はぎょろぎょろと目を動かして二人を交互に見ていた。何がどうなるんだ、と焦っているようだ。そんな彼に、成瀬さんはにっこりと笑いかけた。


「富田さん、ご実家はS県の方でしたよね」


「は、はい」


「そちらにある支部に左遷です。ご実家から通ってください、そしてもう佐伯さんには二度と近づかないでください」


 大和はぽかんと口を開けた。付け足すように成瀬さんが言う。


「今回の件について、弁護士を通して内容証明をお送りしています。もし今後佐伯さんに近づくことがあれば警察へ通報します。あ、ちなみに、ご実家にもお話させて頂きました、ご両親とも理解のある方で、あなたが変な真似をしないように実家で見張るとおっしゃってくれました」


「はあ、お、親にまで!? ふざけんなよ!」


 大和がついに椅子を倒しながら立ち上がった。目を吊り上げて成瀬さんを睨んでいる。そして唾をまき散らしながら叫んだ。


「おかしいって、別れた後ちょっと話し合っただけじゃん!」


「佐伯さんは何度ももう関わらないでほしい、と警告したはずです。守らなかったのはあなたです」


「志乃、お前からも何か言えって。そもそもこいつと付き合ってるって嘘でしょ? そんなわけねーじゃん、お前は俺のところに戻ってくるつもりだろ?」


 最後まで頭がお花畑なのどうしよう。私は呆れて物も言えない。


 どうしてこんなに自分に自信があるのだろうか。成瀬さんもついに苛立ったようにすっと目を細め、顔を歪めて答えた。


「戻りませんよ。そもそも浮気して別れる原因を作ったのは自分のくせして、なぜそんなに自信が?」


「こんなの嘘だ、こんなはずじゃない! だってあずさは言ってた、志乃は結局心の奥では俺に未練があるから、押した方がいいって。志乃と一年付き合ってきたのは俺なんだから!」


 あずさ。その名前を聞いて、私は天を仰いだ。


 高橋さんの名である。


 そういえば確かに、あのプロポーズの指輪もあの子が勧めてあげた、みたいなこと言ってたな。まさか裏でそうやってそそのかしていただなんて。結局あの子は何がしたいんだ。


 成瀬さんもその名を聞いた途端、眉をぴくぴくと震わせた。そして怒りのこもった声を静かに出す。


「へえ……なるほどね……そこがそうやって繋がってたわけか……」


「志乃、なんか言えよ! お前騙されてるって、こんなハイスペックな男がお前と付き合うなんて変だろ。目を覚ませって」


 私に詰めよってくる大和に数歩後退する。大和の顔はどう見てもイッちゃってて、恐怖に襲われる。そんな彼の肩に、成瀬さんが手を置き強引に振り返らせた。そして成瀬さんとは思えない恐ろしい形相で凄んだ。


「いい加減にしろこの屑が。おとなしく実家に帰って静かに暮らせ。浮気すんのも女性に無理やり迫るのもダサいんだよ、わかんねーの? これ以上喚くようならこのまま警察呼ぶ」


 大和が額に汗をかきながら唇を震わせている。ずっと静かにしていた佐川部長が、成瀬さんの名を呼んだ。彼はすぐにぱっと大和から離れ、私の隣りに寄りそうように立った。


 そしてにっこり営業スマイルを浮かべた。


「ただし、変な女にそそのかされて浮気したことは心の底から感謝申し上げます。そのおかげで僕はこんなに素敵な女性とお付き合いできたので」


 大和は助けを求めるような視線を私に送ってきた。華麗に無視してやった。一年も付き合った相手だけど、同情の気持ちも何も浮かばない。私は冷たい目で見つめ返してやった。


 佐川部長が立ち上がる。


「今回の件は私から上に報告する、君は自宅待機。このまま帰りなさい。異動はすぐにでも実現するだろう」


「…………」


「職を失わないだけありがたいと思っておきなさい」


 厳しい声で言われた大和は、もはや何も言い返せなかった。ふらふらとした足取りで会釈も挨拶もせず、そのまま会議室から出て行ったのだ。最後に見た背中は丸くなってて非常に悲し気に見えた。ああ、一年前は想像も出来なかった終わり。


 成瀬さんと私は佐川部長に頭を下げた。


「ありがとうございました」


「いや、的確で分かりやすかったよ。すぐに上に報告する。しかし異動より、解雇を相談されるかと思ったのだが」


「そうしたいのは山々なんですがね。すべてを失ってしまった人間は何をしでかすか分かりませんから。佐伯さんに逆恨みされても困るので、仕事だけは残してやろうかと」


「ははは、なるほど賢明だ。まあ実家の近くとなれば周りの目も気になるだろうから、普通なら下手なことはできまい。お疲れ様成瀬さん、さすがの準備の仕方だったよ」


 感心したように言った佐川部長は、そのまま会議室から出て行った。私たちは頭を下げて見送る。扉が音を立ててしまったところで、ようやく顔を上げた。


「あの成瀬さん、本当にありがとうございました……」


「いや、全然。まだ安心はしないほうがいいよ、さっきも言ったけど逆恨みっていうパターンもあるからね」


「はい、そうですね」


「このまま素直に引き下がってくれたらいいんだけどね」


「それにしても、あんなに色々調べたり準備してくれたり……」


「全然苦じゃなかったよ。力になれてよかった」


 ふにゃ、と笑う彼に癒されると同時に、さっき大和に向けていた敵意むき出しの顔を思い出す。まるで別人だった。まだ私は知らない成瀬さんの顔があるらしい。この犬みたいな顔からは想像つかない怖さだった……。


「さて、朝一で一番大きな仕事終えたね、一日は今からだっていうのに」


「あは、そうですね。仕事は今からです」


「よし、頑張るか」


 大きく伸びをした成瀬さんがそう笑った。



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