第39話 開戦



 月曜日が訪れる。


 私は普段通りスーツを身にまとって準備をした。やや体がだるいが風邪などではないだろう。


 朝、隣で寝る成瀬さんはひどく寝起きが悪かった。彼が設定したアラームのスヌーズ機能が五分ごとに鳴るので、呆れて直接起こしに行った。酷く目ざめが悪い。揺すっても叩いても繰り返される『あと五分』と格闘する。ギリギリになってようやく寝ぼけ眼で起き上がった彼は、面倒臭そうに準備をした。


 それがたった十五分もあれば、普段の仕事モードに切り替わるから大したものだ。髪をセットし毛玉のついたスウェットを着替えれば、びしっとイケメンがそこに登場する。華麗な変身マジックか、と突っ込みたくなるぐらいだった。


 二人でマンションをようやく出る。なんだかムズムズした。朝、同じ家から出発する、それだけで特別な始まりだと思う。成瀬さんと並んで通勤する日がくるとは思わなかった。


 電車に揺られ、会社までたどり着く。私たちがそのまま目指したのは、普段共に働いているオフィスではなかった。そのままある会議室へ向かった。


 成瀬さん曰く、ここで全て片付ける、とのことだった。下準備は終えているらしい。


 閑散とした会議室は広さもあり、デスクがいくつも並んでいた。無人のそこへ行くと、成瀬さんは鞄から何やら多くの紙の束を取り出す。私はじっとそばで、それを見守っていた。


 ドキドキする。


 痛む心臓を抑えるように胸に手を当てた。そんな私に気が付いたのか、成瀬さんが振り返る。そして頼もしい声で言った。


「大丈夫、佐伯さんは俺のそばで見ててね」


「……はい」


 安心感を覚える。ああ、きっと大丈夫、成瀬さんを信じて入ればすぐに終わるに違いない。


 二人でしばらく待っていると、突然会議室の扉が開いた。びくっと体を跳ねさせたが、立っていたのは中年の男性だった。


「おーお待たせして申し訳ない」


「おはようございます、佐川部長」


「もう少ししたら来ると思うよ」


 ややお腹の出た男性は佐川部長、私たち……ではなく、大和の上司だ。私は頭を下げて挨拶をする。


「おはようございます」


「ああ、君か。いやいや、今からもう一度詳しく話は聞くつもりだが、本当なら大変だったね」


 労わりの言葉をくれる相手にほっとした。優しそうに下がった目じり、気のよさそうな笑い顔。いい人そうだなと直感的に思ったのだ。


 佐川部長は近くにあった一つの席に腰かけた。腕を組んで渋い顔をする。


「正直富田さんは明るくて人の中心にいるようなタイプだから、成瀬さんから連絡を貰った時は驚いた」


「休みの日に連絡してしまい申し訳ありませんでした」


「いやいや、構わないよ急ぐことだからね」


「はい、今回の言動はあまりに大きな問題だったので、僕一人の力ではなんとも」


 そう成瀬さんが言いかけたとき、ノックの音がした。三人の視線が一気に扉に集まる。そして開かれたそこに立っていたのは、やはりというか大和だった。佐川部長が呼び出してくれたのだ。


 大和は私たちを見ると驚きで少し後ずさった。だがすぐに姿勢を正し、中へ入ってくる。私と成瀬さんを見、じっと不快な視線をぶつけてくる。


「おはようございます」


「あー呼び出して悪いね、まあそこ座って」


 大和は佐川部長の正面にある席に腰かけた。変わった顔ぶれに、彼はややおどつきながら、ちらちらと私の方を見ている。佐川部長が笑顔で言った。


「一緒に聞いてほしい話がある」


「はい?」


「君がうちの社員の一人である、佐伯さんに迷惑行為をしているという件で」


 分かりやすく大和の顔が青くなった。すかさず成瀬さんが近づき、にこやかに笑いかける。


「お話するのは初めてですね? 富田大和さん、成瀬慶一と言います」


 余裕綽々な成瀬さんを見上げながら、大和はごくりと唾を飲み込んで返事を返した。


「ああ、どうも。名前は存じ上げています、でもあなたがなぜここに」


「彼女と現在お付き合いをさせてもらってるので、やはりここは僕も同席したいと思いまして」


「はあ!?」


 大和がひっくり返った声で言った。そんなに信じられない組み合わせだろうか、と苦笑する。まあ確かに、私だって成就するとは思ってなかったけどさ……。


「いや待ってください、なんであなたが志乃と? そんなわけ」


「あるんですよ。僕はずっと彼女に片思いしてたので」


「……はあ?」


「時間が勿体ないので簡潔に行きます。

 あなたが佐伯さんに行っているストーカー行為、即刻やめてください」


 冷たい声が響く。大和はその声色に一瞬顔を凍らせながらも、すぐに笑ってすっとぼけた。


「ストーカーって、大げさな……何を言ってるんですか、俺はそんなこと」


「一つ目。ありもしない噂を流す。

 佐伯さんの同期たちに結婚するなんて妄想めいた噂を流すのはやめて頂きたい」


「あ、ああ、あれは……いや、嘘をついたわけじゃない、そうなるかも、って願望みたいな」


 話しかけている大和をよそに、成瀬さんは手元の紙を何枚か取り出した。そしてそれを大和と佐川部長に手渡す。まるでプレゼンしているような姿だ。


「これ、富田さんが数名の友人に送りつけたラインの文章を撮影したものです」


「は? な、なんでそんなもん」


「佐川部長、日時はそこに書いてありますね。これ、彼が佐伯さんに復縁、それとプロポーズをしてきっぱり断られた日の夜に送信されたものです。断られてるのに文面では、『結婚することになったから』と決定事項のように書かれてますね」


「うん、これは願望とは呼べないね」


 冷静に佐川部長も答える。私はちらりとその紙を覗き込んだ。確かに、ご丁寧にいくつかスクショされたものが載っている。


 どうやら、私が沙織の家に荷物を取りに行った際、成瀬さんはこの文章を集められないか沙織に相談していたらしい。沙織も快く承知し、同期たちに事情を説明してかき集めたものだとか。沙織にはつくづく頭が上がらない。今度ランチごちそうしよう。

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