第35話 急展開
そのままキスが降ってくるのを待っていると、何もない。少し時間が過ぎた。不思議に思い閉じた瞼を開けてみる。そこには、不快そうに眉を顰めている成瀬さんがいた。何、なんか私駄目だったろうか!? エチケット的な何かに問題が!? 怖くなって恐る恐る呼びかける。
「な、成瀬さん?」
「いや、怒涛の展開で突っ込むの忘れてたんだけどさ。
佐伯さんの元カレ、嫌がる佐伯さんに無理やりキスしたってこと?」
低い声で成瀬さんが言った。あっと思い出し、私は頷いた。まだ大和のこと何も説明していなかった。
「あの日、成瀬さんが帰った後インターホンが鳴って、てっきりカレーを取りにきた成瀬さんだと思って開けちゃったんです。そしたら大和で……なぜかプロポーズとかしてきて、それはきっぱり断って追い返したんですけど、帰りにああして」
「もしかして噂も?」
「大和が私と結婚する、ってガセネタ流したみたいです。そのあとも家で待ち伏せされて……だから今は沙織、えーと同期の友達の家に泊まらせてもらってるんです。引っ越しを探してたのはそのせいで」
私が説明すると、成瀬さんがゆらりと立ち上がった。すっと顔を上げた彼の表情を見て、なんだか固まってしまう。無表情、その中に怒りが燃え上がっているのが分かる、黒い顔だった。目には見えないが、肌に寒気を覚えるほどのオーラを感じる。ぶるっと震えた。
成瀬さんのこんな顔初めて見た……ブラックだ。ブラック成瀬さん!
「本当にごめん、佐伯さん。一人で大変だったのに、俺は話も聞かないで」
「いえ、それは色々状況もあったので」
「へえ……なるほどねえ……佐伯さんにそんなことをやらかしてたのか……」
ぶつぶつと小声で何かを呟いている。もやは全然キスどころじゃないんですが、私は何も声を掛けられずなんとなくその場で正座して待った。今余計なことを言ったら何か恐ろしいことが起こりそうだと思っていた。
一人で呟いていた成瀬さんはしばらくして私を見た。そして無理やり口角を上げた。
「今、友達のとこに泊まってるのは賢明な判断だね」
「はい、そうするしかなかったんですが……」
「でも相手は女性だから、完全に安全とは言えない。よって佐伯さんは今日からここに泊ってね」
サラリと決定事項を告げられて、私は固まった。成瀬さんはにっこりと笑う。
「え?」
「一人で外出も禁止ね」
「まま、待ってください、え、でも!」
「あー急で困るって言うなら、俺がその沙織さんって人の家に泊まりに」
「私が成瀬さんを連れて帰ったら沙織は卒倒しちゃいますって!」
「まあそうだよね、突然知らない男が泊まるっていうの嫌だよね普通」
知らない男などではないのだが。ややズレているが突っ込むのはやめておこう、沙織の家に成瀬さんを連れていくのは却下だ。
彼が言っているのは分かる、一人よりは沙織といた方がいいけど、沙織だって女の子なんだから力も弱い。成瀬さんがそばにいてくれた方が安心、というわけだ。
でもでも、急展開すぎじゃないだろうか!? たった今両想いが判明したばかりなのですが!
「で、でも準備が何もなくて、成瀬さんの家特に物がないし」
「一緒にその友達の家に取りに行こう。明日はちょうど土曜日だしね、この土日でやれることはやろう」
「やれること?」
首を傾げると、成瀬さんが意味深な笑みを浮かべた。プライベートの成瀬さんというより、仕事中の成瀬さんの顔にみえた。
言われた通り、二人で沙織の家に荷物を取りに行った。移動中、彼から細かな質問をされ、正直に答えた。今回ばかりは高橋さんの名前も出し、彼女に言われた様々な発言まで教えてしまった。
インターホンを鳴らして沙織を呼び出すと、扉が開いた瞬間彼女は時が止まったように固まった。そりゃそうだ、私の隣りには成瀬さんが立っていたのだから。
しかしすぐに状況を察したのか、驚きでふらふらしつつも沙織は私に親指を立てた。やったね、ご飯くんと結ばれた! おめでとう! というところだろうか。
成瀬さんは丁寧にあいさつをして(勿論仕事モードで)簡単に沙織に状況を説明、荷物を取りに来たことを告げた。成瀬さんが私と大和のことを勘違いしていたことを、沙織はどうやら感づいていたようだった。もしかして大和とのキスを見られたかも、というところまで予測していたらしい。探偵か。
私が荷物をまとめている間も、何やら二人で色々と話し込んでいるようだった。沙織のアパートを出た直後には、彼女から変なスタンプと共にメッセージが届いていた。
『成瀬慶一ゲットおめでとう!! 話せばわかった、これはいい男!
これで君もあの元カレからの呪縛に悩まなくてすむ! 今夜は燃えるね(ハート)』
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