第29話 脳内シミュレーション



 仕事を切り上げた私は、まず成瀬さんの家に行く前に街を走り回った。


 新しい物件探し、それと防犯グッズの購入だ。大和は本当に頭がおかしくなってしまったようなので、自分の身は自分で守るしかないと思い、沙織の勧めもありホームセンターで手に入れた。ただ、引っ越したとしても職場が一緒だというのは大変まずい。かといってさすがに転職までするのはどうなのだ、と頭を悩ませている。


 残念ながら大和の言う通り、二回家に来たというレベルでは、警察は動けないだろうと思う。付きまとい、と呼ぶにはややエピソードが薄い。もう少し泳がせて、何度も私のアパートに来てくれる方が相談しやすいのかもしれない。今すぐは動けそうになかった。


 物件は成瀬さんのマンション近く、という条件を除けば、いいところはいくつかあった。大和のことを考えると、今住んでるアパートからなるべく離れた方がいいとは思うので、こちらの方がよかったとも思う。まだ決定したわけではないが、候補はいくつか上がった。もう少しだけよく考えてから決めよう。


 結局色々走り回っていたので、成瀬さんのマンションに到着したのは夜の九時になっていた。なんせ自分のアパートもすぐ近くなので、大和と鉢合わせたら、という恐怖に追われながらもなんとかたどり着いた。まだ成瀬さんは帰っていないだろう、家の中で待たせてもらうことにしよう。


 エレベーター前にたどり着き呼び出す。鞄の中に入っている鍵を、一度取り出して触れた。ひんやりとした金属の冷たさが、心地よく思えた。


 これ使うの、今日が最後だろうな。


 しっかりしまいながらため息をつく。エレベーターが到着したので乗り込んだ。


 自分でもかなり勇気を振り絞ったな、と思う。成瀬さんにちゃんと告白して終わろう、だなんて。しかも、正直今それどころじゃない。でも言わなくちゃならない、自分へのけじめなのだから。このままじゃ言えないままフェードアウトしそうだ、それだけは絶対に嫌。


 私が好意を抱いていたと知れば、どんな顔をするだろう。なんていうだろう。成瀬さんが言わなきゃいけないこと、って、やっぱり新しく彼女が出来たとかそういうことだろうか。


 目的の階に到着して降りる。のそのそと遅い足で部屋に向かった。そして今更緊張が増してくる。一体どういう風に切り出そうか、今から脳内シミュレーションを始めよう。しまったなあ、あまりこういう経験は豊富ではないのだ。


 盛大なため息をつきながら、見慣れたドアの前にたどり着いた。私は鞄の中を漁り鍵を探す。あれ、さっきしっかりしまったはずなんだけど、どこに行ったっけ。


 ガサゴソと鞄の中をひっくり返しているとき、突然背中から声がした。


「おかえり」


 びくっと体が跳ねる。驚きで振り返ると、成瀬さんがこちらに向かって歩いてくるところだった。


 ……え! 思ったより早いんですけど。まだシミュレーションしてないんですけど!


 慌てふためきながら混乱していると、手から鞄を落としそうになる。成瀬さんがタイミングよくそれをキャッチしてくれた。


「おっと、また落とすとこだったよ」


「す、すみません!」


「はい」


「ありがとうございます、早かったですね成瀬さん」


「うん、急ぐねって言ったでしょ」


 そう笑いかけてくれる成瀬さんは、いつも通りに見えた。ここ最近避けられていたとは思えないほど、普通に話してくれてる。でもそのいつも通りが、私にとっては辛くて悲しかった。


 笑顔を返せない。


 そんな私を見て、成瀬さんは困ったように視線を落とした。


「えーと、ご飯ありがとう」


「……いいえ」


「なかなか家にいなくてごめん。色々……考えてて」


 バツが悪そうに言う。そして話題を変えるように、彼はポケットを漁った。


「とりあえず入ろうか、寒いし。中でゆっくり話は聞くよ」


 取り出したそれを鍵穴に差し込んだ。私は返事すら返せないまま、ただ俯いて立っている。慣れ親しんだこのマンション、思い出がありすぎて辛い。


 多分、入るのは今日が最後になる。でも、言うんだ。ちゃんときっぱり終わらせなきゃいけないんだ。私は心の中で強く決意する。


 カチャリと鍵が開く音がした。そのまま彼が扉を開けた瞬間、この場にいるはずのない高い声が響きわたった。


「えー? 佐伯さんー??」


 二人ともびくっと体を固まらせた。


 幻聴だとは思えなかった、だって目の前の成瀬さんですら驚いてる。私と彼はほぼ同時にゆっくり振り返った。そんなわけない、いるはずない。でもやっぱり、そこにはあの爪先まで女子力全開のあの子が立っていたのだ。不思議そうにこちらを見ている。


「え、高橋さん?」


 私のひっくり返った声がした。


 高橋さんは首を傾げながらこちらに歩いてくる。ヒールの音がカツカツと廊下に響いた。私と成瀬さんを交互に見て、怪訝な顔になる。


「あれー? 何で二人が一緒にいるんですかあ? ここって、成瀬さんのおうちですよね?」


 ……見られた。


 どう言い逃れも出来ない、私と成瀬さんが部屋に入ろうとしてるところ。よりにもよって高橋さんに見られた。これまで社内の人にばれないよう必死になってきたというのに。


 頭が真っ白になり混乱している私をよそに、成瀬さんは尋ねた。


「そもそも、なんで君がここに? 俺、自分の家を教えた記憶ないんだけど」


 不愉快そうな声だったが、高橋さんは怯えなかった。ニコリと笑い、持っていた鞄から何かを取り出す。目を凝らして見てみると、免許証のように見える。


「これ、成瀬さんの免許証。私のカバンの中に紛れてたみたいですー」


「は? そんな馬鹿な」


 成瀬さんが自分の財布を取り出して確かめる。が、実際彼の財布の中になかったようだ。唖然として財布を眺めている。高橋さんはどこかわざとらしく説明を付け加えた。


「ほら、今日ご飯食べてるときに、免許証の話になったじゃないですか! その時見せてくれたでしょ」


「見せたけど、そのあとちゃんと財布に戻した記憶があるんだけど……」


「思い違いですよー実際私が持ってたんですから! それで届けた方がいいなーと思って、住所を見てやってきたわけです」


 情報過多でついて行けない。二人の会話から読み取るに、今日も成瀬さんと高橋さんは二人でご飯を食べていたらしい。そこで免許証の話題になり、見せあったのだろう。成瀬さんはしっかり戻したつもりだったのに、なぜか高橋さんのところに紛れていた、と。


 私は彼女がここに来た理由より、今日も成瀬さんと一緒にいたのが高橋さんだということにひどく落ち込んだ。もう心が色を無くしてしまったように、ずんと落ちる。二日連続で、食事に? 今日も遅くなるって言っていたのは、この予定があったからなのか。


 随分親しいんだ……やっぱり、いい感じなんだろうか二人は。

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