第25話 突然
仕事を終えても、大和から返信はなかった。既読にはなっているので読んでいるはずなのに、何をしているんだろう。いら立ちは止まらない。
だが沙織からは、『みんなには私が訂正しておいた』との連絡を貰ってちょっと安心した、持つべきものは友人だ。
だが、同期はともかく、高橋さんも知ってたみたいだし。誤解だって言って口止めもしたけど、あの子ちゃんと守ってくれるんだろうか。
不安に駆られながら一旦家に帰る。夜道で大和に会ったりしないか背後を警戒して歩いた。沙織に言われた引っ越しというのも頭によぎるが、やはり成瀬さんと離れてしまうことも引っ掛かる。一応物件を見てみるが、どれもピンとこない。
昨晩作ったカレーを手に持ち、私はすぐさま成瀬さんの家に向かった。
特に大和らしき人もいないし、静かな道を通っていつものマンションにたどり着く。扉の前に立つとほっと安心感を抱いた。前も大和に復縁を迫られた時、成瀬さんの顔を見てホッとしたことがあったっけ。思えばあの時から、彼は私の中で特別だったのか。
鍵を使って中に入る。いつものようにパンパンのゴミ袋。私は慣れているので特に何も思わず廊下を突き進んだ。
リビングのドアを開ける。彼がソファに死んでいる光景が目に入ってくるかと思っていたが、まるで違った。
部屋が真っ暗だった。
「あれ」
冷え切った部屋に、一つもついていない電気。私はとりあえず近くにあったスイッチを押してみる。パッと明るくなり周囲が見えるようになったが、やはり成瀬さんはいなかった。
私は今来た道を戻って、浴室前に立った。ノックをしてみる。
「成瀬さん?」
耳を澄ましてみるが、シャワーの音も何も聞こえない。入浴中というわけでもなさそうだ。寝室にも入ってみたが、空っぽのベッドがあるだけだった。
「……留守、か」
ぽつんと呟いた。
訪問すればいつでもいたのに。それで犬みたいに笑いながら私の持ってきたご飯を食べるのが普通だったのに。
今日に限っていないなんて……。
私は一旦リビングに戻り、とりあえず持ってきたカレーをキッチンの上に置くも、ここじゃ気づかれないかもしれないと思った。テーブルはまだ届いていないのだ。
ソファの前に場所を移動させる。冷え冷えした部屋なのでここでも大丈夫だろう。ソファの正面にぽつんと置かれた紙袋。なんとなくその隣に腰を下ろして、帰ってこないかなあ、と思った。
残業だろうか。誰かとご飯でも行ってるんだろうか。そりゃ成瀬さんだって出かけることもあるよ。でもいつだってこの部屋にいてくれたから、勝手だけれど心細い。
床からお尻に冷たい温度が伝わってくる。少しだけ待ってみよう、帰ってくるかもしれないから。
そう思って膝を抱えてみる。どうしても今日は成瀬さんの顔を見て話したかったのだ。
結局少しだけ、と思っていたくせに、その後一時間以上居座ることとなる。完全に冷え切った体で震えが来てしまうぐらいになったころ、諦めて帰宅した。その日成瀬さんは帰ってこなかったのだ。
翌日、いまだに大和からの返信はないし、成瀬さんからの連絡もなかった。カレーを置いておいたので、『来てくれたんだねありがとう』ぐらいメッセージが入るかと思っていたのだ。めんどくさがりだけどそういうお礼はちゃんとしてくれる気がした。でも来なかった。
私は重い体を動かして出勤した。会社に行くと成瀬さんは普通に来ていた。普段通り仕事モードの彼で、涼しい顔をしながら仕事をこなしている。私はそんな横顔を盗み見るしか出来ず、カレーちゃんと食べたのかな、なんてことを思っていた。
帰宅した後、簡単なおかずを作ってまたしても成瀬さんの家へ走った。今日こそ会えるはず、そう信じて部屋に行ってみたが、なんと本日も部屋は真っ暗だったのである。
寒い部屋に一人ぽつんと立ち、泣きたい衝動に駆られた。ただ、シンクには私がカレーを入れて持ってきていた容器が置いてあったので、カレーは食べたんだということだけが救われた。
私はいてもたってもいられず、その場でラインを打ち込んだ。
『こんばんは、今おかずを持ってきています
今日何時頃帰りますか? 話したいことがあります』
入力する手はやや震えていた。返事が来るだろうか、と心配していたのだが、案外それはすぐに来た。
『ありがとう
今会社にいます』
短い文面だが、それを読んでホッとした。そうか、残業してるのか。思えば成瀬さんは大きな案件も色々抱えているし、忙しいのは当然。むしろ今まであまり残業してこなかったのが意外かも。
だがすぐにもう一通、届いた。
『しばらく忙しいから何時に帰るか分かりません
食事も大丈夫です』
「……え」
しばらく、成瀬さんとは二人で会えない?
急にどうしたというのだろう。近いうち何か大きな仕事なんてあったっけ? そうだとしても、食事も持ってこなくていい、って……残業の間に何か買う、ということだろうか。
冷気のこもっている部屋が、なお寒くなったように感じた。全身が凍えそうだ。
何か違和感を感じていた。そう、今までの成瀬さんなら、忙しくなるより前に私に一言言ってくれたんじゃないかなとか、私が話したいって言えばどこかで時間を作ってくれるんじゃないかなとか、そう思ってしまう。だってあまりにも急すぎる。
だがそれは私の自惚れなんだろうか。一緒に出掛けて楽しめたことで、距離が縮んだと勝手に思っていただけなんだろうか。
それとも、避けられるようなことをしたんだろうか。
「……しばらくって、いつよ」
ぶわっと目に涙が浮かんだ。本人に聞いてもよかったけれど、きっと彼は曖昧な答えしか返してくれない、そんな気がした。
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