第24話 全部話そう
朝一で会議があったのでそちらに向かい、他ごとを考えてしまいそうな頭を必死に仕事モードに切り替えた。以前みたいにプライベートなことでミスを犯してたまるか、という思いでいっぱいだった。
追われるように仕事をこなし、昼前にようやく時間が出来る。朝から何も食べていないので空腹もすごかったが、私は食堂に走るより、まずすることがあった。
オフィスを出て人気のない場所に行くと、大和に抗議のラインを送ったのだ。本来なら電話で怒鳴ってやりたいぐらいだが、向こうも仕事中だし何より声も聞きたくない。仕方なくスマホの液晶に怒りをぶつけるしかなく、何度も誤字を繰り返しながら、結婚するなんてガセネタを流したことを怒った。
締めにはくどいぐらいにヨリは戻さない、と書いておいた。果たして、これで噂の訂正をしてくれるかどうか。
送信したあと、落ち着かずじっと眺めていた。なかなか既読が付かないことにも苛立ち、心がざわめく。そりゃ仕事中なんだからすぐに既読にならなくてもしょうがないのだが、こちらの気にもなってほしい。
やめやめ。あいつのせいで無駄な時間を過ごすなんてだめだ、空腹だからいら立ちもすごいんだ。
私はそう自分に言い聞かせ、ようやく食堂に行こうかと足を踏み出した。そこでふと、目の前に誰かが立った。
「佐伯さーん」
甲高い声。一瞬顔をゆがめてしまいそうになったのを瞬時に抑えた。高橋さんはニコニコ顔で私の前に立っていた。
指導係を外れてから、ほとんど話すことはなかった。彼女は新しい男性の指導係の元、毎日笑顔で仕事をこなしている。
頻繁に成瀬さんの元へ行き質問したり助言を求めている。私はなるべく視界に入れないようにはしているが、今泉さん曰く『前よりはやる気あるみたいだが、結局男性社員に媚売ってるのは変わらない』だそう。
私にとって関わりたくない人ナンバー2だ。
それでも、私は先輩だし社会人。嫌な顔をするわけにもいかない。ニコリと笑って返事をした。
「何かあった?」
「ふふ、私お祝いを言いたくてぇ」
「え?」
嫌な予感がする。彼女はすすっと私の隣りに近づいた。香水の匂いがぶわっと鼻をつく。声を潜めるようにして、高橋さんは囁いた。
「結婚おめでとうございます」
全身に悪寒が走った。ぞぞぞっと、なんとも表現できない気味の悪い感覚。この子が心の底から祝っているなんてありえないと分かっていた、一度は自分が寝取った男とその元カノの結婚。普通わざわざ二人きりで祝うか?
それに、沙織の話では同期の間でだけ広まっていると思っていた。私と同じ部署のこの子に話が流れるなんて、噂が広がったらどうしてくれる。
私は冷静を保った。高橋さんに向き直り、なるべく優しい声で否定した。
「それ間違いなの。結婚なんてしないから」
「ええ?」
「誰から聞いたの?」
「富田さんですよ。だから間違いなんかじゃないですよね? 指輪だって、こういうのがいいと思うよーって教えてあげたんですから」
ブチ切れるかと思った。
あの男、まさかの浮気相手に指輪を選ばせたのか? そんなにデリカシーのない奴だっただろうか。受け取る気なんて元々なかったけど、さらに嫌になった。触りたくもない。
もはやあいつと付き合っていた自分を殴りたかった。一年何をしていたんだろう自分は、黒歴史間違いなしだな。
「そうだったの。でも受け取らなかったから、ごめんね。私は大和とヨリ戻すつもりなんてないから」
「えーなんでですかあ? もしかして過去のこと気にしてるんですか? もう、男の人は縛り付けてると逃げ出したくなりますよ。多少は自由に泳がせてあげないと」
お前が言うなよ。
「だって佐伯さんと富田さん、すっごくお似合いで私の憧れなんです! 応援してます、絶対結婚した方がいいですよ」
どの口が言うんだよ。
これはもしかして、また私を怒らせようとしてるんだろうか。そうとしか考えられない暴言ばかりだ。いや、この子がやった内容を知らなければ、別によくある会話に聞こえるだろう。私だけを怒らせる逸材の言葉ばかりを並べてくれる。
イライラで血管が切れるかと思ったが、もう声を荒げたりなんかしない。せっかく成瀬さんが庇ってくれて大事にならずにすんだのに、ここで同じことを繰り返してなるものか。
「ありがとう。でもこれは私の気持ちだから。もう大和のことは好きじゃないの」
「えーあんなにかっこいいのにですか?」
「あはは、そんなにかっこいいと思うなら高橋さん付き合えば?」
嫌味を言ったつもりだが、あちらはまるで堪えていない。考えるように顎に指を置く。
「んー富田さんもかっこいいですけど~。やっぱり成瀬さんには適わないっていうか」
成瀬さんの名が出てきたことで、つい表情を固めた。いつだったか、今泉さんが言っていたことを思い出す。『高橋さんは絶対成瀬さんを狙ってる』……
私の表情の変化に気づいたのだろうか。高橋さんは目を丸くしたあと、ふふっと笑った。そして面白そうに言った。
「もしかして……前成瀬さんが佐伯さんを庇うみたいなことしたから、成瀬さんに気持ちが傾いちゃってます?」
「ち、ちが」
「あれ、別に佐伯さんを庇ってたわけじゃないですよ? 私が悪かったんですもん。勘違いしない方がいいですよー佐伯さんが辛い目にあってるの見たくないんで! 富田さんを選んだ方がいいです! 成瀬さんはライバルだって多いと思うし、絶対大変ですって」
「……私は別に何とも思ってない。人のプライベートなこと、あまり首を突っ込まない方がいいよ。私は大和と結婚なんてしないから、そこだけは分かっててね、誰かに変なこと言ったりしないで」
私は念を押すが、高橋さんはどこか不敵な笑みを浮かべている。嫌な予感がした、これ何か企んでるんじゃないだろうか。
「はーい。言わないでおきまーす」
「……ありがとう。私は今から食事に行くから」
「いってらっしゃーい」
手をひらひら振って見送る。不安に駆られながら、私はその場から立ち去った。
――嫌な感じ。
相手にしない方がいいと分かってても、やはり気になってしまう。あの子一体何がしたいんだろう。私と大和の仲を壊しておきながら、今度はくっつけようとしてるなんて。そんなに私が嫌いなんだろうか。
大和のこと、全部成瀬さんに言ってみようか。
今まで細かなことは黙っていたが、さすがに相談した方がいい気がしてきた。もし、変な形で私と大和の関係が成瀬さんの耳に入ったら。そう考えると、絶対自分の口から説明した方がいいと思える。
今日、カレーを届けて、全部話してみよう。
そう心に誓った。
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