第21話 訪問者
「何……してるんだろう、自分」
帰り際勢いで成瀬さんを家にまで呼んで。少し近づいただけで顔を真っ赤にして、些細なことでもドキドキして……。
ああ、もうとっくに自覚してしまっている。
いつのまにこんなに好きになっていたんだろう。
成瀬さんと並んで買い物すると胸が弾んで仕方ないし、食事をすればどれも美味しくてたまらない。何気ない行動一つ一つが特別で、終わってほしくないと思った。
この時間が続いてほしくて家にまで呼んでしまった。
「……絶対苦労するじゃん」
会社では有名人な成瀬さんだからライバルは多いし、一見かっこいいわ仕事出来るわで釣り合ってない。
でも家に帰ると全然動かないし家事出来ないしご飯すら食べれないし、私は彼のお母さんになりたいわけじゃない。絶対苦労する相手だって、沙織にも断言してたはずなのに。
……なにより。
「男女が部屋にいてなんもなしか。意識すらされてなさそうだった」
ぽつんと自分の声が寂しく落ちた。
そりゃいつも部屋に男女二人ですよ。でも今日は成瀬さんの家じゃなくて私の家だから、普段とはちょっと違う雰囲気になるかもしれない、なんて思ってしまうのは普通じゃないだろうか。
でもまるでそんな雰囲気はなかった。成瀬さんは本当に私の部屋のテーブルを選ぶのとカレーを食べにきただけで、これっぽっちもそんな可能性を感じさせなかった。いくら何でも女としてこれはいかがなものなのか?
痛感する。彼にとって私はやはりただの仕事仲間なのだ。だって成瀬さんの意外な一面を知ったのだってただの偶然。お金ももらってるし、家事代行の関係、それ以上何者でもない。
がくりと首を落とした。あーあ、これから異性として見てもらうなんて出来るんだろうか。それになにより、成瀬さんは元々自分に好意を寄せていた女性の手料理にトラウマを持っている。好意を持たれていると知れば、きっと彼は私の手料理なんて食べられなくなる。
バレれば、この関係は終止符を打つ。
「……困った」
情けない声がした。とんでもない相手を好きになってしまったものだ私も。
「はあ、しょうがない。とりあえずこの関係のままいくしかないか」
風呂でも入ろうかと立ち上がる。そこであっと思い出したのだ。カレーを持って帰ってもらう、と言ったのに、すっかり忘れていた。二日目のカレーを楽しみにしていたのに。
「まあ、明日また届ければいいか」
そう独り言を言って浴室に向かおうとした時だ。
部屋にインターホンの音が鳴り響いた。
振り返る。頭に浮かんだのは勿論彼だ。カレーの存在を思い出して戻ってきたくれたのかもしれない。
私は慌てて玄関に飛びつき、閉めたばかりの鍵を開けた。終わりかと思っていた映画に、まだ続きがあると発見した瞬間のようだった。笑顔で扉を開く。
「はい!」
勢いよく開かれたそこに立っていたのは、成瀬さんではなかった。短髪にやや釣り目、こちらをどこか鋭い目で見ている相手を見つけた途端、私は素早く扉を閉じた。だが向こうの方が早かった、足を滑り込ませ阻害された。
「ひどっ。そんな勢いよく閉める?」
苦笑して大和が言う。ドアスコープも覗かずに開いたことを後悔した。てっきり成瀬さんかと思い込んでいたのだ。
力いっぱい扉を閉じていたが、あっさりとこじ開けられる。力で敵うはずがなかった。
私は睨んで言った。
「何しに来たの」
「まだ話の途中だったから。お邪魔します」
「待って、入らないでよ!」
私がいうのも聞かず、大和は勝手に入り込んだ。靴を適当に脱ぎ捨てて廊下を進んでいく。リビングの扉を開け、笑った。
「あ、今日カレーだ?」
大和に追いついた私はその服の袖を強く引っ張った。
「入らないでってば!」
「……誰か来てたの?」
テーブルに残されたままのコップなどを見て、大和が振り返る。私は一瞬迷いつつ、答える。
「……友達」
「あーそっか。ふーん友達ね」
大和はそう笑うと、キッチンの方へ入る。そしてガスコンロの上に置きっぱなしになっている鍋を覗き込んで言った。
「まだたくさん余ってるじゃん。俺食わせて―志乃のカレー美味いよね」
成瀬さんと同じように出てきた褒め言葉だったが、私の表情が緩むことはなかった。冷たく言い放つ。
「駄目。それ友達におすそ分けする約束もしてるし私もまだ明日食べるから」
「……冷たいのな」
「どの口が言うの? 別れた相手の家に無理やり上がりこまないで!」
私がいうと、大和はくるりと踵を返し、先ほど成瀬さんが座っていたテーブルの前にドスンと座り込んだ。意志が固そうなのを感じ取り、私はため息をつきながらとりあえず空のお皿やグラスをシンクに運んだ。そして、彼から距離を取って座り込む。
「何かまだ話したいの?」
冷たい声で尋ねる。ヨリを戻したい、なんて言ったのをきっぱり断ってから静かだったから、もうあきらめたのかと思っていた。
そんな私をよそに、大和は何やらポケットを漁っている。そして、光る何かを私に差し出した。それを見て、目が点になる。
指輪だった。
光る石のついた、高価そうなもの。どう見ても新しいもので、私は顔をゆがめた。
「な、なに?」
「結婚しよう」
頭沸いてるのだろうか??
私は絶句した。もう大和とやり直す気はないと、きっぱり言ったはず。元々はあっちが浮気して別れた、それが許せないと理由だって言った。
なのになぜこの人はまだこんなことを言っている? ヨリを戻すよりさらにぶっ飛んでるじゃないか。
「……な、何を言ってるの?」
「これが俺の気持ち。分かってもらえたかな」
「いやいや全然分かんないから。なんでこんなことに」
「志乃が俺をとても想ってくれてるっていうのはよく分かった」
「はあ?」
「この前言ってただろ、好きだから許せなかったって。それ聞いて納得したんだよ、それだけ志乃は俺のことを想ってくれてたんだって」
そりゃそんなことも言ったけども。
「いや、だから」
「それに……あいつと揉めた、って聞いた。俺のことでしょ?」
あ、と思い出す。高橋さんとひと悶着あったことが、大和の耳にも入っていたらしい。首を強く振って否定した。
「揉めたけどそれは大和全然関係ないから! ほんとに! あの子が意味わからないこと言ったから私が怒っちゃっただけで」
「どんなこと?」
「だから、えっと、大和を返した、みたいな」
「ほら俺のことじゃん」
嬉しそうに笑う。喜ぶところじゃない、私は言葉をつづけた。
「勘違いしないで、大和を返して、って言ったわけじゃないの! 返しましたって言われたから、いらないって言っただけ」
「志乃。志乃はもう少し素直になるべきだと思う。俺はたくさん考えて素直になったよ。志乃がどれほどいい彼女だったか思い知らされた。あいつは流れで付き合ったけど、自立してないっていうか、なんでも俺と同じもの買ってきたりして」
(それお揃いにしたかったっていうより、私に匂わせるために買ったんじゃ……)
「やたら高い店に行こうとするし、ほんとうんざりだ。いいのは顔だけだった。これからは絶対志乃を裏切らないよ、俺と結婚してほしい!」
「だからさあ……」
私は頭を抱える。指輪をもってこちらをギラギラした目で見てくる大和に、恐怖すら感じた。大和ってこんな人だったっけ? いつもノリがよくて明るいスポーツマンのイメージだったのに、まるで違う。どっかにイッちゃってるみたい。
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