第19話 カレー

 さすがの成瀬さんも驚きで目を丸くしていた。私は慌てて説明を足す。


「だ、だって私の部屋のテーブルを選ぶ約束です!」


「そうだったね」


「それに、このまま帰ったら成瀬さん絶対晩御飯食べないでしょう。家で簡単に作るから、食べてってくれれば運ぶ手間も省けますから」


「確かに!」


 尤もらしい理由を並べると彼は素直に納得した。私の言葉の裏にどんな気持ちがあるのかなんて、まるで感づいていない顔だ。成瀬さんはニコニコとして私の誘いに乗った。


「じゃあお言葉に甘えてもいいかな?」


「はい!」


 私は元気よく返事を返し、そのまま二人で中に入った。だが同時に、勢いだけで誘ってしまったものの、部屋の状態は大丈夫だったかと心配になってくる。以前は頻繁に大和が来てたから綺麗にしてたけど、最近はちょっと手を抜いてたけど……!


 しまった、ちゃんと掃除してピカピカにしてから招待した方がよかったのでは!? なんて過ちを犯したんだ自分だ。


「佐伯さんの部屋こっち?」


「は、はい」


「どうしたのなんか顔青くない?」


「勢いで誘ったものの部屋はあまりきれいじゃないかもと思いまして」


 素直に吐き出してみると、成瀬さんが噴き出して笑った。そして大声で笑い声を上げながら言う。


「いやそれ俺相手に言う? 掃除なんて自分でせずに代行させてばかりの俺に」


「まあ、そうですけど」


「大丈夫大丈夫、俺ほんと気にしないし。気にする人間だと思う?」


「だとしたら玄関にゴミを溜めてないですね……」


「そういうこと。何も気にしなくていいよ」


 彼はそう笑っているけど、これは女としてのプライドなのである。相手にはいいところを見せたい、というよくあるもので、それが例え家事力ゼロの相手であろうと、思ってしまうのが性なのだ。


 部屋にたどり着き、鍵を開ける。そっとドアを開き、中に入った。成瀬さんのマンションよりは狭い、よくある1Kの部屋だ。


「お邪魔しまーす」


「ど、どうぞ」


 一気に緊張度がマックス。成瀬さんが私の部屋に入っている、あの成瀬さんが。彼の部屋に行くことは慣れたが、やはり招待するとなると全然状況が違うのだ。


 短い廊下を抜けて部屋に入る。テーブルの上に朝使ったマグカップが置きっぱなしになっていたし、昨晩読んだ雑誌も放ってあった。慌てて片付けようとするも、成瀬さんは拍子抜けしたように言う。


「なんだめちゃくちゃ綺麗じゃん、つまんないぐらい」


「つまんない!?」


「あんな絶望した顔するから、凄い部屋想像してた。まあ、佐伯さんだもん、そんなわけないか。さすがだね、すっきりしてて佐伯さんらしい部屋」


 笑って言ってくれる成瀬さんに、なんて返事を返したらいいのか分からなかった。とりあえず座る用促してみる。


「狭いですが、どうぞ座ってください……」


「お邪魔します」


 ややサイズの合っていないローテーブルの前に、成瀬さんが腰かける。ああ、自分の部屋に成瀬さんがいる。アンバランスで不思議な画だ。


 彼はぐるりと部屋を見渡す。


「少し前に引っ越したんだっけ?」


「はい、前の部屋はもっと狭くて……ここも成瀬さんの家よりは狭いですけど」


「いやいや、俺は荷物ないから広く見えるだけだって。あーテーブルってこれね。うん、確かにちょっと合ってないね。今日見たやつだとどれが合うかな」


 彼は真面目に部屋のバランスなどを見て考え出した。なんとなくホッとして、とりあえず簡単にお茶だけ出すと、私は夕飯を作るためにキッチンへ入った。そういう理由で誘ったんだから、ちゃんと作らねば。


 でもすぐそばに成瀬さんがいると思うと、やけに気が散る。失敗しなきゃいいけど。


 冷蔵庫を覗き込んで、夕飯を何にしようかと考え込む。どうせならたくさん作って、成瀬さんにいくらか持ち帰ってもらおう。じゃがいもがあったよなあ、肉じゃがでも鍋一杯作ろうか。人参も玉ねぎもあるし……


「ねー今日のご飯なに?」


 冷蔵庫を覗いていると、突然すぐ背後からそんな声がしたので、驚きで飛び上がってしまった。振り返ると、いつのまに近くに来ていたのか、成瀬さんが私のすぐ後ろに立っていた。


「びっくりした!」


「あはは、猫みたいに飛び上がってた」


「音もなく近づくからです!」


「今日何作るの?」


「え? えっと、じゃがいもとかニンジンがあるので……」


「カレー?」


「いや、肉じゃ」


「カレー???」


「……カレーも出来ますけど」


「やった! 佐伯さんのカレーめちゃくちゃ美味いよね」

 

 ガッツポーズで喜ぶ成瀬さん、小学生男子に見えた。この前カレー食べたばっかじゃん、まあ食べたいならいいけど。私のカレーなんてルー溶かすだけだから失敗する確率も低いし。


 私は野菜や肉を取り出し、さっそく調理に取り掛かる。成瀬さんを振り返り、テレビつけていいですよ、と告げた。彼はテーブルの前にちょこんと座り、頷いてテレビをつけてバラエティを見ているようだった。


 テレビの賑やかな声を背に、私は包丁を握る。普段適当に切っている野菜たちを、今日だけはやけに丁寧にカットした。簡単に火を通し煮込む体制にしてしまえば、もう完成まで目前とも言える。


 空いた手で簡単なサラダも作り、時計を見る。もう少し煮なきゃいけないか。そう思い、自分の分のお茶を用意してテーブルに向かった。


 成瀬さんは非常にくつろいでいた。胡坐をかいて座り、テレビに出ている芸人を見て笑っている。あれ、前からこうしてたっけ、そう錯覚するほど馴染んでしまっている。


 座り込んだ私に気づき、彼は笑顔で話しかけてくる。


「この芸人知ってる?」


「見たことはあります、でも名前は知らなかったです」


「めちゃ面白いよ、この前コント見てて笑っちゃった」


 笑顔で話しかけてくる彼に、私も笑って会話を返した。なんて馴染み方。少し緊張してたけど、それが一気にほぐれた。


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