第18話 勢いに任せたお誘い
「なに? じっと見て」
気が付けば成瀬さんが笑ってみている。私は慌てて視線をそらした。
「すみません、あの、少し前まで成瀬さんとは話したこともなかったのに、こうして向かい合ってるのが不思議でならなくて」
「確かにそうだったね。忙しいし雑談する機会もなかったね」
「忙しいのが原因といいますか……」
「まさか佐伯さんにご飯を作ってもらう日が来るなんて俺も予想外だよ。いつもありがとう」
そう笑いかけてくれる彼の顔を見て、ふわりと体が浮いた錯覚に陥った。なんだか、自分の体の中から毒素が全て抜けていくみたいな、そんな不思議な感覚だ。そして、心からじんわりぬくもりがあふれ出てくるような。
「お、お礼を言うのはこちらです」
「え? 何かお礼言われるようなことしたっけ俺。叱られてばっかかと思ってた」
「私と高橋さんが揉めてるとき……成瀬さんが庇ってくれました」
やや小声でつぶやくと、成瀬さんは思い出したようにああ、という。
「別にそんな」
「あの状況、私が圧倒的に悪にされちゃって……声を荒げたのは私が悪かったんですけど。でも、誰も何も聞かず高橋さんを信じてたから、成瀬さんが話を聞いてくれて嬉しかったです。ありがとうございました」
私は頭を下げる。成瀬さんは静かに水を飲みつつ答えた。
「別に大したことしてないよ。俺は普段から言ってるけど、佐伯さんは真面目で人の成功も喜べるいい人って分かってるからさ。故意に誰かを攻撃するなんて考えられないんだよね。厳しいならそれなりの理由があると思うし。でも、ちょっと安心したな」
「何がですか?」
「なるべく中立を保つつもりだったのに、佐伯さん贔屓になってた自覚があるから。俺と親しいって知られたくないのに、余計なことしちゃったかなって」
目を細めてそう言った顔を見た途端、心臓が突然暴れだした。
痛い。胸が痛い。さっきまでリラックスしてたのに、急に全身に力が入ってしまった。
一体どうしたというんだ、私は。
「い、いえ、全然大丈夫です! 感謝してるんです、本当に!」
「ならよかった。その後は困ってない?」
「指導係も変わったし、平穏な毎日です」
「そう。二人が揉めてた原因は何となく想像つく気もするけど……ここは知らないフリをしておくね」
先回りされ言われてしまった。成瀬さんには感づかれているかな、と思っていたのだ。
元カレが身近な子と浮気した、ということだけ伝えてあるが、その情報さえ知っていれば、私と高橋さんの関係は気づくだろう。今日言おうか迷っていた。
別にあえて言わなくていいよ、と伝えてくれているのだ。なんて気遣いが出来る人だろう。
ただ……成瀬さんには言ってしまいたかった気持ちもある。いやいや、話の内容が重すぎる、成瀬さんに申し訳ない。
しかし成瀬さんは、少し迷ったように私に尋ねた。
「ただ、一個だけ聞きたかったんだけど」
「え? はい」
「元に戻る可能性は、あるの?」
ふんわりとした聞き方だが、私は瞬時にそれを理解した。ハッとして目を丸くする。
正面にいる成瀬さんは、真剣な瞳の色で私を見ていた。その眼差しにまたもや自分の心臓は痛み、強く首を振った。
「いいえ! 絶対にありません」
一言ずつ噛みしめるように、私は断言した。
私は大和とよりを戻すことはない。絶対にだ。気持ちは完全に消え失せているし、想像すらつかない。
今はそれより、……それより。
真剣な顔だった成瀬さんが、ふわっと笑った。そこで自分もハッとし、彼から目をそらす。今、考えていたことを消し去るように、慌てて水を流し込んだ。
「そっか、佐伯さんに彼氏できたら俺、もうご飯もらえなくなっちゃうからね」
「なんだ、ご飯の心配してたんですか」
「うん、ご飯の心配も」
「も?」
「こうして佐伯さんと二人で過ごす時間がなくなるのも」
ついに心臓が壊れたかと思った。もはやドキドキしすぎて吐くんじゃないかと思うぐらいに暴れだした時、タイミングよく料理が運ばれてきた。私は話題が途切れたこと、料理に意識が移ったことで、この胸の痛みが少し落ち着いたことにほっとした。
置かれたピザは凄くおいしそうで、普段ならすぐにかぶりつくところだが、私はなぜかお腹がいっぱいだった。さっきまで空腹だったはずなのに、今は全身が何かに満たされ、食欲なんて吹き飛んでしまっていたのだ。
相変わらず凄い食欲でたくさんの料理を食べつくした成瀬さんと二人、店を出る。もう帰るのかな、と思っていると、彼は買い物を提案してきたのですぐに乗った。普段めんどくさくて出かけることが少ないので、せっかく外に出た日はここぞとばかりに動いておきたいらしい。
仕事用の靴からプライベートの服まで見て回る。同時に私の服なども一緒に見てくれ、面倒な顔一つせずに似合うと褒めてくれた。特に服なんて欲しいと思っていなかったのだが、そのまま購入してしまった。単純すぎる。
ゆっくり買い物をし、途中でお茶もし、たっぷり一日堪能した。気が付けば日が落ちてくる空に変わっていた。冬は日が短いことを憎んだ。同じ時刻でも、外が暗くなると帰宅せねば、という気にさせるからだ。
私たちは両手にいっぱい持った荷物を抱え、ようやく電車に乗り込んだ。
たくさんの買い物をし、成瀬さんは満足そうにしていた。テーブルをはじめ、欲しいなと思っていたものは大体購入できたらしい。
やや人が多い電車に揺られ、最寄り駅に到着する。
「いやー買った買った、仕事用のものとかほしかったんだよね。佐伯さんに付き合ってもらってよかった」
「私も買い物してすっきりしました、買い物ってストレス発散になるし」
「あー女の子はそれいうよね」
「成瀬さんは違うんですか?」
「どうだろう。一人で動いて買い物行くのは億劫で仕方ないんだけど、今日は佐伯さんと一緒だったし楽しかった。すっきりした感じあるかも」
白い歯を出してニコリと笑う。私も笑い返そうとするも、またしても胸の音がうるさくてうまくできなかった。荷物を無駄に持ち直してみたりして平然を装う。
「そういえば佐伯さんの家って知らなかった、こっちだっけ?」
「あ、そうなんです、本当に目と鼻の先なんです」
駅からしばらく歩いたところで、自分の住むアパートが見えてきた。いつも私ばかり成瀬さんを訪ねているので、自分の家がどこなのか説明する機会がなかった。熱々カレーをそのまま食べられるぐらいの距離なのだ。
そして、自分の家が見えてきてしまったことに気分が落ちた。そんなこと、これまでの人生で初めてのことだった。ああ、一日が終わる、と思ったのだ。
これが何を意味しているのか、自分でも気が付いていた。
絶望の気持ちで見慣れたアパートを見上げる。一歩一歩が憎くて辛い。進むな、足。
ついの目の前までたどり着き、足を止める。成瀬さんは私の気もしらず、明るく言う。
「本当に近いんだ、すぐそこだ」
「そ、そうなんです、あっという間で」
「おかげで佐伯さんにはお世話になってるから、この偶然に感謝しなきゃ。
じゃあ、今日はありがとう、おかげでテーブルも買え」
「ゆ、夕飯食べていきませんか!?」
切り上げようとした成瀬さんに、言葉を被せて言ってしまった。つい口から出てしまった誘いで、言ってしまった後自分でも後悔した。軽率な言葉を言ってしまった。
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