第15話 ちゃんと出掛けられるのか



 今泉さんが言うように、成瀬さんが上手く上司に説明してくれたようで、スムーズに指導係は変更になった。(女子社員たちは元々感づいていたようで、労いの言葉と高橋さんへのいら立ちを口にしていた)


 結局彼女の指導係は成瀬さんではなくほかの男性社員になった。


 しかしそれ以降、何かあるたび成瀬さんのデスクに相談しに行く姿を頻繁に見るようになる。


 その姿をみるたびに、もやっとした気持ちになるのはなぜなのか。






 全身鏡でくまなくチェックを入れる。うん、大丈夫変なところはない。メイクだって朝早く起きてばっちり仕上げた。髪だって跳ねてないし、昨晩はちょっと高いトリートメントを使ってみた。


 時計を見て、そろそろだと鞄を持つ。そこまでしてようやく、ああなんでこんなに気合を入れているんだ自分は、とげんなりした。


 成瀬さんと出かける約束をし、その日が来てしまった。私はと言えば、昨日から落ち着かずそわそわし、朝早くから必死になって準備を行い今に至る。


 まあ、あの成瀬さんの隣りに並ぶわけだから、少しでも女として恥ずかしくないようにしたいだけだ。深い意味なんてない。


「よし、忘れ物もないしそろそろ出よう」


 やや離れた家具屋に行く予定なので、待ち合わせ場所もその近くにしてある。家がすぐそこなんだから別に一緒に行ってもいいけど、その間知り合いに見られたりしたら大事だ。


 二人きりで出かけるなんてもちろん初めてのこと。今日はテーブルを買って、時間を考えればどこかでランチぐらいするかもしれない。私は必ず伝えたいと思っていたことがあった。


 例の高橋さんとのことだ。私が悪役になりそうなところを、成瀬さんが庇ってくれた。あの一件について、まだしっかりお礼を言えていないのだ。当然ながら社内で言うタイミングなんてないし、あの後一度晩御飯を届けにいったけど、成瀬さんはお風呂に入っていたのでご飯だけ置いてきた。今日、ちゃんとお礼を言いたい。


  ドキドキしながら汚れの少ないお気に入りの靴を取り出し履く。普段は仕事帰りに会ったりするから、私服姿で会うことは少ない。特に成瀬さんは……


「待てよ」


 はたと止まる。朝からめかしこんだはいいものの、思えば成瀬さんの私服って見たことないぞ。いつもよれよれの部屋着でいるだけだ。私は自分の顔が青くなるのを実感した。


 営業でよかった、身だしなみとか普段は気にしないから……成瀬さんはいつだったかそんなことを言っていた。あの生活ぶりを見てれば分かる、ファッションなんて興味なさそうだ。


 もしや今日とんでもない格好で来るのでは!? 気合十分は私だけで、あっちは部屋着で来たらどうしよう! そもそもあの人本当にちゃんと約束通りくるのだろうか!?


「頭痛してきた」

 

 お礼を言うだとかランチをするだとかの前に、ちゃんとあの人と会えるのか、それすら心配なのである。





 駅まで歩き電車に乗る。しばらく揺られ、目的地までたどり着いた。私はわくわく感と不安に挟まれながら駅から降りる。待ち合わせは家具屋から一番近い出口、ここのはず。


 外に出ると、温かな暖房の空気は一気に無くなり寒さが襲う。私は人の邪魔にならないよう壁際に寄り、コートのポケットに手を突っ込んだ。マフラーに顔を埋もれさせ、成瀬さんを待つ。


 一度スマホを取り出した。特に連絡は入っていない。もしかしたら『今日は空腹で動けませんまた今度』なんてふざけたメッセージが入っているかと思っていたので安心する。いや、まだ寝てるだけかも。そしたらドタキャンの連絡すら入れることが出来ない。


 ああ、誰かと出かけるのにこんな不安を抱いたのは初めてだ。ちゃんと来るのか、来ても服装などは大丈夫なのか。成瀬さん、来れますように。あとスウェットじゃありませんように。


 痛いほど鳴る心臓を何とか落ち着かせながら立っていると、駅から出てきた女の子二人組が、何やら声を弾ませて話しているのが耳に入る。


「……だね! すごいよね」


「つい目が行っちゃったよねー」


 なんとなく気になり、視線をそちらに向ける。つい目が行く? なんだか非常に気になるワード……。


 私が彼女たちの方に首を伸ばした時、突如にゅっと視界が遮られた。目の前に整った顔が現れ、笑顔で私に声を掛けたのだ。


「ごめんね、お待たせ」


 私を覗き込んでいるのは、成瀬さんだった。


 驚きで変な声を上げてしまう。そんな私を見て、成瀬さんが笑った。


「成瀬さん!」


「ごめん、びっくりさせた?」


 子供みたいに肩を揺らす彼を見て、私は何も言葉を発せずにいた。じっとその姿を見つめてしまう。

 

 寝ぐせなんてついていなかった。風にサラリと靡く髪は跳ねずに素直に降りている。服装だって、黒を基調とした至ってセンスのいいもの達。毛玉ついてたり袖がびろんと伸びてたりしてない。私は唖然として成瀬さんを見上げる。


 そんな私を不思議そうに見下ろしている。近くを通ったあの女の子たちが、熱い視線で成瀬さんを見ていた。ああ、つい目が行くって、そっちの意味の……。


「佐伯さん?」


「あ、ど、どうも」


「どうした?」


「成瀬さん、ちゃんとしてるんだあ、って」


 正直な感想が漏れてしまった。彼はぷっと噴き出す。


「ははは! 言ったじゃん、俺人と約束したらちゃんと出かけられるんだよ。相手が恥かかないように、身だしなみだってそれなりにするよ」


「は、はあ、意外でした」


「正直だな」


「いつもよれよれの部屋着しか見てなかったもので……」


「そっか、そりゃしょーがないね。待たせてごめん、寒かった? 行こうか」


 成瀬さんは楽しそうに笑いながらそう言った。私は頷いて、彼の隣りに並び歩き出す。そして朝からしっかりめかしこんできた自分を褒めたのだ。やっぱりちゃんとしてきてよかった。顔面偏差値はどうしようもないけど、この成瀬さんと並ぶには最大限の努力をしたといっても過言ではない。


「佐伯さんも、普段と雰囲気違うね」


「へ!? そ、そうですか!?」


「うん可愛いね」


 そんなことをサラリと言われた私は、真っ赤になってしまった顔を隠すように首が痛くなるほど俯いた。そして家にいる成瀬さんを必死に思い出し、ドキドキした胸を落ち着かせる。


 ああ、マイナスな部分が大きくて忘れがちだけど、やっぱりこの人凄くかっこいいし目を引く。なんていうんだろう、華がある、だ。この人を惹きつけるオーラは、営業トップを維持する一つの武器なんだろうと思う。

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