第11話 鋭い人




 家に戻ると無心で野菜を切った。


 頭の中はぐちゃぐちゃで何を考えているかもよく分からなかった。とにかく大和からあんな発言をぶつけられるなんて思ってもみなかったから、何が起こったのかさえ理解できていない気がした。


 解凍した肉も使って炒め、水を足す。適当に煮込んだらルーを割り入れ、部屋中に食欲を誘う香りが充満した。それでも、私は食べたいとは思わなかった。


 無言のままカレーを小分けする。そしてそれを袋に適当に入れると、部屋から飛び出した。


 歩いて少ししたらすぐに見えてくるマンション。手に持っている鍵を使い、もう慣れさえも出てきた成瀬さんの部屋に入った。相変わらず玄関にゴミ袋がある。もう、前日に明日はゴミの日ですよって教えてあげたのに。


「お邪魔します、成瀬さーん?」


 廊下を抜けてリビングの扉を開ける。ソファの方を見て、そこに誰もいないことに気が付いた。普段、必ずと言っていいほどあそこにいるのに。寝室かな、それとももしかして留守? 会社にはいなかったし残業じゃないと思うのだが。


 いないかも、と思うと心がずんと落ちた。いつも入れば必ず成瀬さんはいたし、いないなんて想定していなかった。今日は大和のこともあったから、話し相手が欲しかったのかもしれない。でも仕方ない、カレーだけ置いて帰ろうか。


 くるりと踵を返した途端、何かに顔面をぶつけてしまい倒れそうになる。後ろに傾いた私の体を、熱い腕が支えてくれた。


「おっと、ごめん佐伯さん」


 見上げると成瀬さんだった。彼はやや毛玉のついたスウェットに、肩にタオルをかけている。髪が濡れ毛先から水滴が落ちていた。風呂上りらしい。


「あ、成瀬さん!」


「ごめん、ふろ入ってた」


 そう子犬のように笑う彼の顔を見ると、ずっとさっきまであった胸のもやもやがすっと消えた。肩に入っていた力が抜ける。いないかと思っていたので、会えてほっとしてしまった。


 めんどくさそうに毛先の水分を拭いている。仕事中の成瀬さんとは違うオフの彼は、なんだか見てると気が抜けるんだよなあ。


 これが大型契約取ってくる凄いお人なんだもんなあ……。


「あ、こ、こんばんは。成瀬さん、ご飯は食べられないのにお風呂は入れるんですね」


「風呂とか歯磨きはかろうじてするって最初に言ったはずだよ。虫歯とか痛いの嫌いだしね。まあ正直言うと、次の日が休みなら風呂はさぼることもある」


「え゛」


「男なんてみんなそんなもんだよ」


 そうニッと笑って見せる彼に、つい笑ってしまった。絶対に『みんな』ではないと思う。


「ていうか、その匂いカレー?」


「あ、分かりますか? 大量に作ったのでこれ」


「やったー俺カレー大好き! 食べようっと」


「ご飯も持ってきました」


「完璧じゃん……」


 私の手から袋を受け取ると、目をキラキラと輝かせる。またしても笑ってしまった。


 成瀬さんはソファの前に正座すると早速袋を漁り始める。私は慌てて言った。


「成瀬さん、食べるにしてもまず髪を乾かした方がいいじゃないですか」


「男なんてみんな髪乾かしたりしないって」


「(だから絶対みんなじゃないと思う)

 夏ならまだしも、こんな寒い時期じゃ風邪ひきますよ! ドライヤーどこにあるんですか!」


「えー洗面台の下に一応入ってるけど、一度も使ったことないから使いかたわかんない」


「コード指してスイッチ押すだけですよ絶対」


 私は呆れながら洗面所にお邪魔する。すっきりした洗面所の扉を開けてみると、確かにドライヤーが奥の方にひっそり置いてあった。私はそれを手にして戻る。


 彼はすでにカレーのふたを開けていた。私はコードをコンセントに刺し、成瀬さんに見せる。


「ほら、あとはこれで温風が出ますから」


「あ、乾かしてくれんの? ありがとう、頂きます」


「へっ」


 きょとんとした私をよそに、彼はカレーを頬張り始める。美味しそうに笑顔で唸りどんどん食べ進めていく。髪を乾かす気はさらさらないようだ。


 ここまで準備してしまった手前、今更引き下がることも出来ず、私は恐る恐るドライヤーのスイッチを入れ、成瀬さんの髪に触れた。こんなこと、大和にすらやったことなかった。やけに緊張してしまう。


 成瀬さんって、めんどくさがり屋な上、人との距離感もちょっとおかしいんだな。財布とか鍵とかすぐ預けちゃうし……。


 ドキドキしながら髪を乾かしていく。長さはあまりないのですぐに乾いた。私はスイッチを切りコンセントを抜くと、彼はすでに一杯目を食べ終わっているようだった。


「うまい! おかわりいい?」


「ど、どうぞ」


「あ、髪ありがと。おお、乾くとなんか頭が軽いな」


「ちゃんと乾かさないとまた熱出しちゃいますよ」


「佐伯さんは面倒見がいいねー。ほんと凄い」


 ほくほくした顔でまたカレーを食べ始めている。私は呆れと、なんだか微笑ましい気持ちになった。これもしかして、感覚が麻痺してきている? 普通に考えて、成人男性がこんな生活してるの微笑ましいわけがないのだが。


 成瀬さんはもぐもぐと食べつつ、私に突然聞いた。


「でもなんかあった? 元気ないね」

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