第12話 お出かけの約束

 そんな鋭いことをぶち込んできた成瀬さんに、私はぎょっとして目を丸くした。彼は食べる手は止めないままさらに言う。


「なんとなくそう思っただけだけど。なんかあったかな、って」


 ごくりと唾を飲み込んだ。それはもちろん、帰りに大和に会ったことが原因だろう。


 復縁を迫られて、自分のことは好きじゃないんだろうとか言われて、心は乱れている。でも成瀬さんに会うと彼のペースに巻き込まれて半ば忘れていたのだが、なぜ気づかれたというのだろうか。洞察力が凄すぎる。


 言おうかと口を開いて、閉じた。こんなこと、言っていいのかな。浮気されたことは口が滑っちゃったけど、あまりに個人的な話で成瀬さんを困らせるかも。


 私は笑顔を作って答えた。


「ちょっと予想外のことが起きたんですけど、大丈夫です。すぐに解決しそうなので」


 私が言うと、成瀬さんはちらりとだけ私を見た。少し間があった後、深く追及はせずに再びカレーを食べ始めた。これ以上聞かれないことにほっと胸を撫でおろした。


 しばし沈黙が流れた後、成瀬さんがあっと思い出したように言った。


「そういえばさ、休み空いてるところない?」


「え? ああ、晩御飯なら」


「そうじゃなくて、いい加減テーブル買おうかと思ってるんだけど、一人じゃめんどくさくて動けなくてさ。

 佐伯さんも前買い換えたいって言ってたじゃん? 一緒に家具屋行ってくれないかな。誰かと約束すれば俺動けるから」


「えっ」


 思ってもみないお誘いに驚く。休日に二人で買い物? しかも家具屋だと。


 成瀬さんは何も考えて無さそうに軽く言ってくれたけど、成瀬さんと並んで歩くなんて緊張してしまうのだが……。


 なぜかドキドキと胸が鳴った。でも断る理由も特にないので、頷く。


「は、はい、私も見たいなあと思ってたので」


「よかった! 佐伯さんのおかげで食事もまともに取れるようになったし、さすがにテーブル買わなきゃなって。俺最近人間みたいだなって思う」


「人間なのでは」


「人間だと信じてる」


「あ! でもどこにいくんでしょう? あまり近くだと、会社の関係者に見られたりするかも」


 私が慌てると、成瀬さんが不思議そうに言った。


「前も言ってたけど、なんで俺の家来てることとか言っちゃだめなの?」


「成瀬さん自覚してください! 人間であるどころか、会社では凄く目立つ人なんですよ! 私みたいなモブ人間が成瀬さんと関わってるってだけで、壮絶な嫉妬に襲われることが想像できます!」


「え? 俺目立ってる? 寝ぐせちゃんと直してるつもりなんだけど」


「寝ぐせじゃないですよモテてるってことですよ!」


「え! モテてる? 全然だって、そんな体験したことねーもん」


 なんだこの会話。私は眉を顰める。そんなわけないじゃないか、もう一度言う、そんなわけないじゃないか。


 普段の成瀬さんはみんなの憧れだ。その外見だけで目を引くし、仕事ぶりを知ればなおさら。女子社員たちの憧れの的なのに、何を言っているんだろう。


「とにかく、もし知られたら私きっと会社に居づらくなります。彼女でもないのに家に出入りしているなんて、どんな怒りを買うか」


「彼女だったらいいの?」


「えっ。

 そ、そういえば、成瀬さんどうして彼女いないんですか、あれだけモテモテなのに」


 なんだか一人でドキッとしてしまったのを隠すように話題をそらした。絶対深い意味なんてない素直な疑問にいちいち反応なんてしてられない。


 彼はカレーを頬張りながら考える。


「いや付き合った子は大体『イメージと違った』って幻滅してくから……ちゃんと自分でもまともな生活が送れるようになったら作ろう、って心に決めてから、そんな生活が送れていないだけ」


「ああ……イメージ……」


 つい納得してしまった。外にいる成瀬さんを見たあと、この成瀬さんを見たらギャップに愕然とする。だってテーブル持ってないし、二日もご飯食べずにいられる人間だなんて誰が思う? そりゃなかなか受け入れられないか。


 成瀬さんはため息をついて言う。


「だからねーモテてる、って言われても、絶対プライベート見たら離れるじゃん、って分かるし、たいして嬉しくないよね」


 なるほど、と理解した。彼自身もややコンプレックスに思っているということか。プライベートの自分は受け入れられない体験をしているがゆえ、ちょっと自信を無くしているのか。


 これまた意外な一面だ、仕事面ではあんなに自信たっぷりではないか。


「……まあ、私も最初はびっくりしましたけど」


「やっぱね」


「でも、話してるとやっぱり成瀬さんだなあ、って思うことよくありますよ」


 彼はふと手を止めて私を見る。意外そうな顔だ。


「生活力のなさはびっくりして別人かなって思ったけど、私の失恋に的確な励ましをくれたり、落ち込んでることにすぐに気が付いてくれたり、やっぱりそういうところは成瀬さんです。普段の成瀬さんが垣間見えます」


 笑顔で嘘偽りなく言った。


 私は彼の言葉で吹っ切れた。今日だって、なんかあったの、って聞かれたその一言で随分心が軽くなってる。そういう細かな気遣いは、普段リーダーシップを発揮してる成瀬さんだ。当たり前だが、完璧な成瀬さんもめんどくさがりな成瀬さんも同一人物。


 彼は面白そうに少し笑う。


「そんなこと言われたの初めてかも」


「あ、でも限度がありますよ! 家事をちゃんとやれとはいいませんから、ご飯を注文して毎日食べるぐらいのことはできるようになってください!」


「はーい……」


 少し口を尖らせて返事をする彼に声を上げて笑った。


「じゃあまあ、それは置いといて。俺と関わってることが知られたら佐伯さんが困ることは分かった」


「分かっていただけてよかったです」


「ちょっと離れた家具屋行くか。後でサイズ測んねーとなー俺絶対やらないと思うから、カレー食い終わったら殴ってやらせて?」


「ついに私に殴らせるんですか……」


「うまいねこのカレー。どうやったらこんな美味く作れるの? めちゃくちゃうまい」


「さすがのS&Bさんですね」


 私たちは笑いながら時間を共有していく。その後、さすがに殴ることはしなかったものの、寝そべった成瀬さんの腕を引っ張ってサイズ測定をしたのは、ちょっと疲れた。


 そんな私のカバンの中で、スマホがメッセージを受信していたことに、その時は気が付かなかった。



『明日、佐伯さんにお話ししたいことがあります! よろしくお願いします 高橋』




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