第9話 欠点あるんですよ
沙織が不思議そうに言った。
「何かあったの?」
「あーうん、そうね……」
私は迷う。部署が違えども、成瀬さんは有名人なので沙織も知っている。沙織は仲いいし信頼できる子なので、言ってもいいかなあとも思うが……やはり名前は伏せておこう。そう決めて、私は成瀬さんのことはぼかしながら、知り合いにとんでもなく生活力がなくて食事の面倒を見てることを説明した。彼からの助言で、前向きになれたということも。
聞いていた沙織の表情が曇る。
「何それ。家にまで入って面倒みてやってんの?」
「あ、材料費とか多めに貰ってるよ。バイトみたいなもんかな、家事代行?」
「鍵までもらって? 家に入ってんの?」
「まあ、預かってるけど」
「何それ。抱かれたの?」
「ぶほっ」
私は思いきり吹き出してしまう。なんてことを言いだすんだこの子は。慌てて否定した。
「ないない! 全然ないから!」
「ふーん?」
「そういうのほんとないよ。ご飯だけ食べて終わり、って感じで。相手も絶対そんな気ない」
「よくわかんないけど不思議な関係だね」
それには強く頷いた。倒れた成瀬さんを看病したことで知ってしまったあの生活ぶりなんだけど、まさか合鍵を使ってご飯を運びにいく関係になるなんて思ってもみなかった。
ちょうど頼んだランチが運ばれれてくる。私たちはフォークを手に持ち、熱々のパスタに手を伸ばす。だがそこで、沙織が変なことを言ったので、食べる手が止まってしまった。
「まあ新しい恋を見つけて忘れたっていうならよかった」
「え?」
ぽかんとして沙織を見る。だが、向こうは向こうでぽかん、として私を見ていた。
「え、そういうことでしょ? だって、いくら副業を始めて忙しいからって、そんな前向きになれないでしょ」
「い、いや違うよ。確かに言われた言葉に救われて前向きになれたけど、そこに恋愛感情とかないから」
「え? 違うの?」
「違うよほんと」
普段の成瀬さんならともかく、あの横になったら動けない様子を見ていたんじゃ、恋なんて芽生えない。尊敬する先輩に変わりはないが、恋とは違う。
だってあんなタイプ、好きになったら絶対苦労する。食事すらまともに取れない人が彼女を大事に出来るの? デートとかどうするの?
どこか納得してない様子だが、沙織はふうんと頷いた。
「まあ、志乃が落ち込んでないならなんでもいいんだよ。まあ、その人の言うことは正しいしいいこと言うよね。確かに、志乃が充実した生活を送るのが一番向こうにダメージ行く気がするよ。志乃にとってもいいことだしね」
「うん。まだ完全に立ち直ってるとはいえないけど、大分落ち着いてるよ」
「しかしその後輩さあ、志乃の彼氏って知ってて略奪したのかね? 知ってると知らないじゃ大きな違いがあるよねー」
「うーん。なんか言いたそうにしてる気はするけど、私はもう仕事以外では一切関わりたくないからスルーしてる」
「それが一番だね。ああむかつく。もし元々は知らなかったとしてもさあ、鉢合わせたときには知ったわけじゃん? そのあとも付き合ってますアピールとかどんな神経してんの!」
私は苦笑いをした。同感だよ、本当なら口も利きたくない。でも指導係としてちゃんとせねばならないから頑張ってるだけだ。
高橋さん、今何をどう思ってるんだろうなあ。
沙織が目撃した情報から見るにやっぱり大和とは上手く行ってるみたいだし、私を敵視しなくていいと思うんだけど。
「ってやば、食べなきゃ昼休憩終わるって」
「ほんとだ、食べよう食べよう」
私たちは慌てて目の前のパスタを食べ始めた。
慌てて仕事場に戻る。まだ仕事は山積みなのだ、また午後から必死に踏ん張るか。そう思い中に入った時、何やらオフィス内が賑やかだった。ちらりと見てみれば、上司と成瀬さんが何やら話している。上司はにっこにこで、成瀬さんの肩に手を置いていた。
それを横目で見ながら、何事だろうと疑問に思う。席に座ると、隣に座っていた今泉さんに声をかけてみた。今泉さんは私より一つ年上の女の先輩で、さばさばした性格が面白い人だ。席が隣ということもあり、よく話したりしている。
「今泉さん、何事ですか?」
声を潜めて尋ねてみると、彼女は視線を成瀬さんたちに向けたまま言った。
「また成瀬さんが凄い契約取ってきたらしいよー」
「はーあ。さすがですねえ」
私は感嘆のため息を漏らして成瀬さんを見た。
ピシッとスーツを着こなし、髪もしっかりセットされている。堂々とした立ち振る舞い、余裕のある表情。はあ、あれが家ではソファから起き上がれないんだもんな。
今泉さんは言う。
「あの人ってさあ、欠点あるのかね。顔よし、スタイルよし、仕事はできるし性格もいい。神は二物を与えずっていうけど嘘だよね、完璧じゃん。彼女いないみたいだけど不思議でしょうがないなー理想めっちゃ高いとかかな?」
それを聞いた自分は、ぐっと言葉に詰まった。
……あるんですよ、欠点。家に帰ったら何も出来ない無気力人間なんですよ。仕事中とはまるで別人なんですよ。
もちろん言えるわけもなく、私は愛想笑いをしてごまかした。それと同時に、あの残念でならない成瀬さんの姿は、私しか知らないのかあ、と思うと、どこか胸がムズムズした。なんだろう。
ちらりと成瀬さんを見る。上司との会話を終え、自席に戻っていく。いつでも整理整頓されたすっきりしたデスクだ。玄関にあるごみ袋も同じように処理できないものか。
と、彼に祝いの言葉を言いに女子社員たちが駆け寄る。どの子もメスの目を輝かせている。そしてその中に、高橋さんの姿を見つけた。あの子、私が午前中にお願いした資料作成ちゃんと進んでるんだろうか。
呆れている私の視線に気づいたのか、今泉さんが小声で言う。
「どう? 指導のほどは」
「ははは、まあ、はい」
「いつも男たちに仕事教えてください~って駆け寄ってるよね。もう冬だっつの、いつまで入りたての気分なのよ。しかも、佐伯さんがちゃんと丁寧に教えてるのに」
「なかなか思うように進まず……」
「何しに来てんのよ会社に。男探しに来てんのかな」
「ううん、私の教え方が悪いのか」
「私よく隣から見てるけど佐伯さん教え方本当丁寧だしうまいよ。聞いてないだけだよあれ。早々に寿退社とか狙ってんのかね、あの子明らかに成瀬さん狙ってるよね」
私は目を丸くして今泉さんを見てしまう。彼女は確信を持った表情で言い切った。
「絶対そうだよ、まあ競争率ナンバーワンの相手だしあんまり上手く行ってないみたいだけど」
「え、でも高橋さんには」
彼氏がいますよ。と言おうとして黙る。どうして知ってるの、ともし聞かれれば上手く言える自信がない。まさか『私の彼氏が寝取られまして、そのあと匂わせてくるんです』とは言えまい。
沙織も見たというから、間違いなく大和と付き合ってると思うんだけどなあ。成瀬さんを狙ってるというのは間違いじゃないかと思う。
今泉さんはふうと息を吐きながら伸びをする。
「とにかく、あまりにひどかったら上司に相談した方がいいよ。まあ、あの子の場合その上司にも媚売ってるから上手く行くかわかんないけどさ」
「そうですね……合わないなら指導係を代えてもらったほうがいいかもですしね」
「佐伯さん、自分の時間削って教えてるから残業も増えてるのにね。お疲れ様」
哀れんだ目で見られたが、私の頑張りを見ていてくれる人がいるんだ、と思うと嬉しくて笑ってしまった。教え方が上手い、と褒められたのも自信に繋がる。
成瀬さんも最近よく頑張ってるね、と褒めてくれたし、やる気出ちゃうな。単純かな。
私は気合を入れて仕事に取り掛かった。
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