第5話 人の作ったご飯は食べられない

 成瀬さんは蚊の鳴くような声で囁いた。


「というわけで……俺は大丈夫なので……佐伯さんは帰っていいよ……あ、俺の財布からタクシー代とか迷惑料取ってね……」


「いくら知り合いとはいえ他人に財布を預けちゃだめです。いえそれより、エネルギー不足ってことは食事が必要なのでは? 昨日も丸一日食べてないんですよね。あの、適当に作った雑炊が残ってますが、よければ食べますか」


 私が尋ねてみると、半分閉じかかっていた成瀬さんの目が開いた。


「え、雑炊?」


「昨日も数口食べたんですよ、覚えてますか」


「いや覚えてない。それ食っていいの?」


「あんなものでよければ」


「頂きます」


 彼はすっと体を起こして顔を凛とさせた。ナニコレ、食に興味がないわけではないのか、完全に食べる気満々じゃん。普通に食べることは好きだけど、それよりめんどくささが勝って食事を抜いてるってことか。


 私は少々引きながら冷蔵庫に向かった。かろうじて置いてあった電子レンジで温め、スプーンと一緒に成瀬さんの元へもっていく。テーブルが存在しない家なので、彼は手にタッパーを持つとそのまま食べ始めた。格好は正座、育ちがいいんだか悪いんだか分からない。


「頂きます! うわ、染みるーうまっ」


 笑顔で言いながら食していく。悪い気はしなかった。変な状況だけど、成瀬さんは本当に美味しそうに食べてくれてる。あんなの適当なものぶち込んで作った簡単なものなのに。


 私はとりあえず正面に座り、頭に浮かんだ疑問をぶつけた。


「でも掃除はめんどくさくないんですか? おうち綺麗ですよね」


「あー家事代行頼んでるからやってもらってるだけ」


「あ、なるほど。でも、なら食事も作ってもらえばいいじゃないですか。一週間分とか作り置きしてくれますよ」


「あー俺ね、他人が作ったものって基本食べれなくて」


 私の作った雑炊を頬張りながら、成瀬さんは言う。


「昔バレンタインでもらったチョコの中に、細かく刻んだ髪の毛が入ってたことがあって」


「ひ、ひぇえええ!!」


「もちろん外食とかは平気なんだけどさ、それ以外はどうしても食えなくて」

 

 なるほど、いい男ならではの悩みとも言える。モテすぎるがゆえそんなホラーな体験をしなくてはならないなんて、不憫だ。普段の成瀬さんなら、きっといっぱいプレゼントもらうだろうしなあ。


 そこで私は、黙々と雑炊を頬張る彼に言ってみた。


「でもあの。それ、私が作ったんですけど……」


 そう、さっきから口に入れているそれは紛れもなく私の手作り。そう言って渡したはずだ。


 成瀬さんはケロッとして言った。


「あ、佐伯さんは信頼してるから」


「は、はあ」


 首を傾げながら返事をした。成瀬さんとは仕事上の会話を交わすくらいで、そんな信頼を得るような関係ではないと思うのだが。しかし、私の疑問に気づいたのか彼は笑って言う。


「仕事ぶり見てたら分かるから。佐伯さんは真面目で信頼できる人。

 人の成功は一緒に喜べるし常に一生懸命。だから、大丈夫」


 きっぱり言い切った成瀬さんは、いつも職場で見る成瀬さんに見えた。


 そんな真っすぐに褒められるとは想像もしておらず、私は小声でお礼を言いながら小さくなる。顔が熱い、あの成瀬さんにそう思われていたとは。どうせ私のことなんて顔と名前を知ってる、ぐらいの認識かと思っていたのに。今の成瀬さんは置いておいて、普段の彼は本当にすごい人なので嬉しくないわけがない。


 あっという間に完食した成瀬さんは、満足げに手を合わせた。


「あー久しぶりにちゃんとした朝飯食べた。美味しかった」


「いつもはやっぱり栄養補助食品なんですか?」


「のときもあるけど、基本食べないかな。昼にちゃんと社食食うし、って思って」


「成人男性は昼一食ではカロリーが足りないと思いますが……」


「ご飯はおかわりしてるから」


 そういう問題じゃない。私は呆れて成瀬さんを見た。


 大丈夫なんだろうかこの人。絶対健康にはよくないよね。これまで若さで保ってきただろうけど、これから体調とか崩していくんじゃ……営業部のエースが倒れたら困る!


「あの。よければ私夕飯ぐらい作りましょうか?」


 口からすっと出た。成瀬さんが目を丸くする。慌てて付け足した。


「あの、私の家すぐ近くじゃないですか。だからどうせ自分の分夕飯作るので、それをお渡しするくらい手間じゃないなあと思ったんです。あ、でも成瀬さんが迷惑でなければ、ですが……」


 徐々に声が小さくなる。提案してから後悔した。あの成瀬さんに手作りの夕飯を持ってきます、なんて。気持ち悪いと思われたらどうしよう、下心があるわけじゃないけど、そう受け止められたら。


 だが成瀬さんは、まるで犬のように目を輝かせて笑った。


「え、いいの!?」


「…………」


「いやー俺腹は減ってるんだよ。でも動くのがめんどくさいだけでさ、信頼できる人からご飯を貰えるならこんな嬉しいことないわ。毎日じゃなくていいから、たまに恵んでくれるとありがたい」


 ニコニコして受け入れた成瀬さん。


 仕事が完璧でスマートで、何事にもぬかりなくてリーダー素質。大人っぽくてみんなの憧れの的なのに、今目の前にいるのまるで小学生男子じゃん……。


 私はすぐに付け足した。


「あ、でも当然ですけど会社の人には誰にも言わないでくださいね!」


「え? なんで?」


「成瀬さんのご飯作ってるなんてばれたら私殺されますよ!」


「なんで俺のご飯作ったら殺されるの?」


 きょとん、としてこちらを見ている。まじか、自分がどれほど影響力のある人間か自覚ないタイプなのか。女子たちの壮絶な取り合いも気づいてないのかなあ。

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